落合順平 作品集

現代小説の部屋。

からっ風と、繭の郷の子守唄(7)

2013-06-23 11:31:42 | 現代小説
からっ風と、繭の郷の子守唄(7)
「ヘルメットに仕込まれたインカムと、もと最強の暴走族」




 「なるほど・・・・こいつは、いつもの店長の悪戯だな。
 純正のオーディオ機器に細工を加えて、会話用のインカムをヘルメットに組み入れたのか。
 待て待て、少し音量の調節をしてみるから。
 どうだ、このくらいの音量なら。会話も聴きやすくなっただろう。
 それにしても、お前
 絹を裂くようなあの甲高い奇声は、一体何だ。
 凄まじい絶叫のせいで、思わず俺の心臓が停りそうになっちまった。
 まったくもって、危ないところで命拾いをした・・・・」


 「それは、わたしのセリフです。
 初めて聞く男の悲鳴で、耳の鼓膜が破れるかと、本気で思ったもの。
 ねぇ、それにしてもヘルメットをかぶったまま会話できるなんて、便利だわねこのシステム。
 何がどうなっているのかしら・・・・」


 「最近のビッグスクーターには、4輪車なみの居住性が求められているそうだ。
 オーディオ機器はもちろん、大型のナビや、液晶テレビまで組み込まれている車種まで有るそうだ。
 新しい物がすこぶる大好きな、あの店長のことだ。
 またあちこちと細工して、会話が出来るようなシステムに仕上げたんだろう」


 「と言う事は、私たちはこうして、ヘルメットを被ったままで、
 周囲からはまったく気づかれることも無く、愛をささやくことができるという仕組みになるのね。
 お天とうさまがさんさんと輝いている、こんな真っ昼間からでもアイラブユーが言えるのか・・・・
 そうとわかれば、康平の耳はすっかりわたしの、独り占めだ」


 「君が望むなら、それも可能さ。
 それよりなんだい、さっきは。俺に何かを聞きたかったようだが」



 「ああ・・・それそれ。肝心なことを忘れていたわ。
 さっきから沢山見えている看板の、『ひがしのくにの文化と歴史の街道』って、どこの道のこと?。
 気にはなるんだけど、道路マップでも見たことは無いし、まったく初めて聞く
 あたらしい名前です」


 「あれは、東国文化歴史街道(とうごくぶんかれきしかいどう)と読むんだよ。
 そういう名前の、特別の街道が存在をしているワケじゃない。
 群馬県内に点在をしている歴史的な名所や史跡、遺跡などへ通じていく
 たくさんの連絡道路群たちの総称だ。
 国道17号や国道122号、国道353号、国道354号などの主な観光道路へそれぞれ
 接続をしていく、間道や枝道などのことを指している。
 東国と言うのは、関東から発祥をした源氏の武士たちのことを意味している。
 江戸幕府を作った徳川家の発祥地は、新田義貞を生んだ群馬県東部の
 新田の荘(にったのしょう)の一部にあるし、
 足利幕府を興した足利氏は、新田の荘と川一つ隔てた対岸の栃木県足利市だ。
 また、その昔に京に都をおいていた朝廷たちは、関東以北の東北地方を制圧するために、
 極めて大きな軍事拠点と交易のための街道を、関東平野に設置した。
 関東や東北への軍事支配のための巨大な道路の事で、『東山道』や、『東国街道』と呼ばれた。
 いずれにしてもこの辺りの一帯、群馬県の南東部は、古い歴史を持つ、
 源氏の血を引く、東国武士たちの発祥の地だ」



 「へぇ・・・・で、今走っているこの歴史の道は、どこへつづいていくの?」



 「この道は、前橋市の千代田五丁目を基点に、赤城山の山頂までを
 一直線に結んでいる、県道4号線だ。
 いま説明をした東国文化歴史街道のひとつで、赤城山の最高到達点までの22キロの山道を
 長い裾野に沿って、まったく一気に駆け上がる。
 赤城山は、きわめてなだらかな長いすそ野を引いていることで有名だが、
 この22キロの山道は途中で一度も下る事が無く、登るにつれて急勾配の道になり、
 連続するヘアピンカーブも現れてくるという、まったくの登り専門の山道だ。
 市街地から5分も走れば、赤城山のシンボルとされている赤城神社の真っ赤な大鳥居へ出る。
 そこから全開モードで3分も行くと、ラブホテルと蕎麦屋やうどん店などが見えてきて、
 中腹部に建物が密集をする、赤城山の南面では唯一ともいえる休憩地帯に入る。
 人家はもちろん飲食店や土産物屋も、このあたりまでで、道路はこの先から、
 手つかずの赤城の大自然の中に入る。
 自然保護で規制を受けている一帯なので、建物などは一切なくなる。
 現役の頃なら、最高到達地点の1400mまで、およそ15分もあれば駆け上がれた」



 「22キロの山道を、15分余りで駆け上る?・・・・
 いったいあなたは、何キロでこの山道を駆け登って行くの」



 「さぁね・・・・運転が忙しくて、速度をいちいち確認をする暇が無かった。
 おそらく平均時速で、80から90キロくらいは出ていただろう。
 30分も有れば、山頂と麓の往復が可能だった」


 「あきれた・・・・康平って、もともとは暴走族なの!



 「そう言う表現も有るが、
 俺はただ純粋に、バイクを走らせることが大好きだっただけの話さ。
 それも、一般車がほとんど通らない深夜に限っての走行だ。
 赤城山の南面を一気駆け上がっていくこの道路は、もともとは有料道路として整備をされた。
 当時から、きわめて路面のコンディションが良かったために、走り屋には人気があった。
 おまけに夜になると、山頂方面から下ってくる車などは皆無になるために、
 対向車を気にせずに、思い切り全力で駆け上がることができるという事から、ここは、
 県内でも、数少ない”走り屋”たちの聖地になった。
 かつては、バイク乗りたちの全力走行のメッカだったが、今は
 『ドリフト族』という4輪の、タイヤを滑らせて山道をかけ下る連中が、主役になったようだ。
 金曜日の夜になると、ギャラリ―たちがたくさん見物に集まってくるし、
 ドリフト族たちが、車のタイヤをきしませて、この道の急カーブを次々とかけ下ってくる。
 今も昔もこの道は、夜になると、若者たちによって暴走の舞台に変わるという場所だ」


 「康平は、もう、暴走はしないの?」



 「後部座席に、高価で、美人の台湾ワインを積んでいるだろう。
 おまけにこのワインときたら、油断をすると、時々俺にくってかかってくる・・・・
 どう考えても、この先では、安全運転に専念する他ないだろう」


 「うん。ワインの輸送には、くれぐれも気をつけて頂戴ね。もと、暴走族くん」





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