落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第85話 

2013-06-04 11:05:35 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第85話 
「忠治の墓から見えるもの」




 本堂の横に抜けて西へ向かうと広大な墓地が目の前に開けてきます。
そのほぼ中央にこんもりとした一理塚のような木立ちが有り、その脇には屏風のような
大きさの「長岡忠治の墓」と書かれた石碑が建っています。
忠治の墓は少し離れた場所にあり、盗難を避け鉄柵に囲まれ守られています。
忠治は逃亡先で捕えられた後、見せしめとして磔の刑に処せられましたが、その首は
密かにこの養寿寺へ運ばれました。
当時の住職が、忠治の子供の頃に、読み書きを教えた人という縁で、生家にも近い
ここへ忠治の墓(首塚)が建てられたといういきさつがあります。



 「捕えられた忠治は、大勢の目の前で粛々と磔の刑を受けて
 大往生を遂げた事でよく知られている。
 だが、アウトロ―で極道の大悪人だった忠治がいつのまにか
 庶民のヒ―ロ―に生まれ変わたというこの話には、実は隠された裏が有る。
 近隣の生まれで、男勝りだったという茶屋の娘が後年に忠治の最後の愛人となった。
 こいつは器量も良かったと言うが、頭もすこぶる切れて、
 今でいう、芝居の舞台を演出するような才能を持っていたらしい。
 刑が近づき消沈をしている忠治を励まして、男らしく
 最後を決めて、いさぎよく大往生を遂げろと引導を渡したそうだ。
 散り際を立派に決めた忠治は、そのおかげで庶民のヒ―ロ―に昇華をした。
 これもまた、男をたてる上州のかかあ天下の典型だ」


 「ねぇ。なんで墓碑が長岡忠治という名前なの。国定とは書いてないし」



 「良い質問だ。
 忠治が生まれたのは佐波郡の国定村だが、本名は長岡忠治郎という。
 姓を名乗ることが許されてされているということは、
 長岡家は比較的豊かな農家の印で、忠治はそこの2番息子として生を受けた。
 鎌倉幕府を滅ぼした新田一族の血を引くか、その家来の一族とも言われているが
 そうした事実は、いまのところ証明されてはいない。
 だが、とにもかくにも群馬県人は国定忠治が大好きだ。
 福田親子や中曽根氏、小渕と4人も時の総理を輩出したが、いずれも彼らを抑えて
 群馬県の知名度NO-1の人気者は、やくざの国定忠治だ。
 俺も・・・・あやかりたいものだ。忠治の人気に」


 「ボランティアもやっているし、原発労働者の救済もしているじゃないの。
 立派だと思います、岡本のおっちゃんは」



 「馬鹿野郎。立派なやくざなんか、この世にいるものか。
 やくざは極道と呼ばれて、人の道に外れた上に、
 ほとんど、世の中の役になんかたっちやいないのさ。
 第一、国定忠治とはスケールが違う。
 忠治の美談といえば、重税と悪政で苦難にあえいでいた村人たちを救うために、
 悪代官どもを切り捨てて、幕府を敵に回して楯ついたことだ。
 今でいえば、無責任で煮え切らない態度を繰り返しているくせに、
 勝手な言い分で、電気料を値上げをしておきながら
 あげくの果てには、福島の事故から教訓を学ばずに、社運だけを考えて
 新潟の柏原発の再稼働まで画策している東電の社長を、問答無用で、
 一刀のもとにたたっ切るようなものだ。
 また政策はそっちのけで、駆け引きにばかり明け暮れている国会へ乗り込んで行って、
 この先で、庶民の暮らしを苦しめるだけの、消費税の引き上げを止めさせるために
 野田総理の首根っこを掴んで、『庶民を苦しめるのもいい加減にしろ!』
 と、啖呵を切る様なもんだ。
 逆立ちをしたって、俺には真似が出来ねぇよ」


 「アウトローなのに、それほどまで庶民に支持されていたんだ。
 その忠治さんって」


 忠治の墓に線香をあげて、手を合わせた岡本が傘を持って立ち上がります。
一理塚の木立ちの向こう側へ歩いて行ってから、響を手招きをしました。
「よく見てみな。お前さんにはここからいったい、どんな景色が見える」
と、周辺の景色を指でしめしながら、岡本が響へ問いかけます。


 「どうって言われても・・・・
 たくさんの田圃と畑が見えて、所々には住宅地が有って
 真っ正面には、忠治が潜伏をしたという赤城山が、どんとそびえているだけだわ。
 それ以外にこれといったものは、何も見えません。私には・・・・」



 「そうさ。それが正解だ。
 見渡す限りに田圃と畑が有り、民家なんか点々と有るだけだ。
 デンと正面にそびえている赤城山からは、真夏には雷雲が発生をして、
 毎日のように夕立があちこちに雷を落として回る。
 真冬になれば、日本海からやって来た季節風が、山の裏手に大量の雪を降らした後
 乾いた冷たい空気となって、一気に赤城の山肌を吹き下ろしてくる。
 この「からっ風』が吹き荒れる季節になると、とてもじゃないが寒すぎて、
 此処では外で農作業をすることなんかできねぇ。
 群馬のヒ―ロ―と呼ばれている国定忠治が活躍をしていたのは、
 封建時代で、ましてや江戸時代の末期のことだ。
 田んぼと畑で作られた米と麦のほとんどは、高い年貢で消えちまう。
 わずかな野菜と残った穀物が、百姓たちの食糧だ。
 忠治は農家の次男坊に生まれて博徒になったが、若いころから人望が有った。
 日光の円蔵をはじめ、おおくの優秀な小分たちが集まったと言う。

 若いうちから一家を率いて、修業に出された新田郡の周辺を手始めに、
 最終的には赤城山を中心に、上州の東半分を支配した。
 庶民たちのために、悪代官やお上に楯をついたと言うのは、
 後になってから作られた講談などによる美談のようだ。
 だが、記録上には、飢饉に襲われた際には私財をなげうち、窮民を助け、
 湖沼の浚渫工事なども、すすんで引き受けたりという話も残っている。
 いずれも義賊伝説を裏づけるもので、
 忠治の生き様と思想を色濃くしめすエピソードだ。
 弱い者には常に優しく、権力者には反発していく姿勢とその行動には、
 庶民からは多くの支持が集まった。

 それを象徴した事件が、2度にわたる関所破りだ。
 渡世の仁義のために喧嘩の助っ人で旅立った忠治が、小分ともども信州へ至る関所を
 行きと帰りの2度にわたって、堂々と関所破りを強行した。
 封建時代は、他所への自由な移動などは、きわめて厳重に制限をされていた。
 生まれた在所からの逃亡は、謀反と同じにように扱われる大罪だった。
 関所破りは、世の中の秩序を破る当時における、最大級の犯罪だ。
 これが忠治が背負った罪状で、そのために常に幕府から追われることになる。
 やがて40歳を過ぎた頃に、幕府に捕えられ関所破りの地で、
 処刑をされて果てたと言うのが、あらすじだ」




 「悲劇のアウトロー、そのものだわね。
 でも、たしかに上州人らしい気質を物語るエピソードだわ。
 たしかに憧れを感じるし、生き方にも共感できそうな部分が、私にもありそうだわ」



 「だが、そんな忠治も・・・・実は、
 おおぜいの上州の女たちに支えられていたんだ。
 男は外で大勢の敵と戦うが、女たちは、地道に家庭内で暮らして常に男を支え続けた。
 太古のころから上州の女たちは良く働いた。
 春から秋にかけて大量に収穫をされた蚕の繭は、真冬になると
 女たちによって、絹のもとになる生糸となり、
 さらに機を織って絹を生み出した。
 だから、かかぁ天下の国と呼ばれているんだ。上州は」



 「ふぅん・・・・でも残念ながら私は湯西川です。生まれたのは」



 「そうだよな・・・・お前が生まれたのは、たしかに湯西川温泉だ。
 清子がお前さんを産んだのは、たしか20歳の初夏だった。
 お前を産んだ後、清子は、舞にひたすらに精進をしはじめたという話だ。
 きっと何かが、ふっ切っれたんだろう。
 お前を育てるために、必死で芸を磨き始めたのかもしれん。
 言い寄ってくる男たちには目もくれず、ひたすら舞いにとりくんだという。
 それからわずかに4年で、清子は湯西川の芸者たちをすべて飛び越えて、
 『舞なら清子』と言わしめるほどの上達ぶりを遂げてみせたそうだ。
 それを成し遂げることができたのは、おそらく、
 お前さんを、一人で育て上げたいと心から願ったための
 意地と執念によるものだろう。
 事実、お前を産んだ後の清子からは、男たちの噂が一切途絶えちまった。
 子持ちの芸者が、男への執着を捨てて芸事に精進をしたんだぜ・・・・


 それを象徴するような笑い話が、一つ残っている。
 バブル絶頂の頃の極道は、全員が同じようにボロ儲けをして一様に大金を持っていた。
 極道が大金を持てば、必ず手を出すのが2号を作るか愛人の囲い込みだ。
 芸も達者で器量も良かった清子は、極道の間でもすこぶる評判が良かった。
 何としてでも清子を落としたかったある組の総長が、
 一千万近い札束を目の前に積んで、清子を口説いたことが有るそうだ。
 この金のすべてやるから俺の愛人になれと迫った総長に、清子が笑って答えたそうだ。


 『お金で買える自由はこの世に沢山ありますが、これほどまでの大金で、
 たかが田舎の温泉芸者を囲ったと有れば、親分さんのお名前に傷がついてしまいます。
 呼ばれたらいつ何どきでも、清子は喜んでお座敷に飛んでまいります。
 どうぞ、清子の舞いだけを見て、楽しいひとときをお過ごしくださいまし。
 湯西川の芸者はすこぶる不器用につき、ひとつのことだけに
 生涯をかけて精進をいたします。
 舞いが、清子の命です。
 それ以外の道に、清子の望みはありません。
 どうか野暮なことはなさらずに、清子の舞いだけを心いくまでご賞味ください。
 未熟な芸にありますが、清子は命の全てをかけて舞いたいと願っています。
 駄目ならば、また後ほどに、芸を磨いてあらためて出直してまいります。
 覚悟のほどをお見せいたしますので、どうぞごらんください」
 そう言って半畳舞のひとつ、『黒髪』を見事に舞って見せたそうだ」




 「半畳舞いの黒髪?
 普段のお座敷で踊る舞いとは、また別な踊りなのかしら。初めて聞きます」



 「華やかなお座敷用の舞いとは一線を画し、
 主に上方などで発達をしてきた、女たちの舞いだそうだ。
 地歌を題材に、女の内面に潜む憂いや悲しみを、
 畳一枚のスペースで踊ると言う、きわめて熟練した技巧を必要とする舞いだ。
 清子がもっとも得意とする舞いのひとつだ」



 「・・・・どんな舞いなの、その黒髪って」


 「おっ良い反応だ。、またまた食いついてきたな。
 黒髪は、地唄の中でも、最も愛されている曲の一つだ。
 恋しい人に捨てられた女の淋しさを舞ったもので、
 雪の降る夜に、一人で過ごしながら、女が黒髪をくしけずる。
 昔のことを思い出し、去っていった人のおもかげを求めても、得られぬわびしさに、
 そっと涙をするという場面をえがいたものだ。
 外には雪が、しんしんと降り積もッていると言う情景が、なんともうら寂しいかぎりだ。
 おっ、おっと・・・・坊主が呼んでいるぜ。
 本堂で読経が始める時間らしい。
 じゃ、話の続きは、またそいつの後にしょう。
 とりあえずは、山本の供養のほうが先だからな。行こうぜ、響」





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