落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第86話 

2013-06-05 12:33:46 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第86話 
「男は度胸、女は愛嬌?」




 本堂では坊主の長岡が、読経の準備をすでに整えて一同の着席を待っています。
「なんだ、俺たちが一番のりか。何をやってんだ、他の連中は。不謹慎者めらが・・」
響を連れて本堂に上がり込んだ岡本が、開口一番、不平を口にしています。


 「男は度胸で女は愛嬌。坊主はお経で、学生は勉強。庭で鶯ホーホケキョー、か。
 どうだ長岡住職どの。儲かっているか昨今は、寺の経済事情と売り上げは」



 「来る早々に、ご挨拶だな、岡本総長。
 例によってそいつは、フーテンの寅さんの啖呵売(たんかばい)のセリフだな。
 まあ、ぼちぼち(墓地、墓地)とでも答えておけば正解になりそうだ。
 これで何人目になるのかな、原発からのお客さんは」

 「詳しい事は、数えていねえから俺には解らねぇ、後でトシに聞け。
 たしか・・・・5人目か、6人目くらいだろう?。
 まぁおおむね、そんな程度だろう」



 「相変らず大雑把な奴だな、お前さんは。では、その仏さんの出身地はどこだ。
 いくら適当なお前でも、そのくらいなら覚えているだろう。
 供養をする、こちらの仏さんのためにも、な」


 「山本の出身地か・・・・どこだったっけか、響。
 能登の山間か、富山県のどこかだと思うが、もしくは福井の辺りだな・・・・
 詳しい事は、やっぱり忘れた。
 どうせ無縁仏になっちまうんだ。
 一向にかまわねえだろう、もとの住所なんか」

 「福井県の若狭です。
 美浜原発が有る、美浜の町が山本さんの生まれ育った故郷だそうです」



 見かねた響が、岡本の横から住職へ答えています。
「ほう。お連れのこちらの美しいお嬢さんの方が、どこぞの田舎者の極道よりも、
よほども、しっかりしていて助かるわい!。いゃ、いゃお見事、賢明、賢明」
と、坊主の長岡が大きな声をあげて笑い始めます。



 「悪かったなぁ、田舎者の極道で。
 俺の事は悪口を言ってもいいが、この美しいお嬢さんの悪口は言うんじゃねぇぞ。
 誰だと思う、この美しいお嬢さんの正体を。
 何を隠そう、恐れ多くも、あの蕎麦屋のトシの娘だぞ。
 どうだ、驚ろいただろう、たまげたか!
 あっ、いけねぇ、つい調子に乗って余計なことまでしゃべっちまった!
 悪い。この話しは、トシと清子にはくれぐれも内緒だぜ。
 聞かなかったことにしてくれ、このくそ坊主」


 「あ・・・・そういえば、
 お前さんが宇都宮で行き会って、思わず赤いランドセルを買ってやったという、
 あの時の、あの女の子か。この子は・・・・
 そうか、そうなのかやはり。清子の一人娘の父親は、やっぱりトシだったのか。
 なるほどなぁ。なんまいだぶ、まんまいだぶ、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」


 「おいおい、拝むなよ、馬鹿野郎。まったく縁起でもねぇ。
 そう言うことだから、あいつらには口外しないでくれよ。頼んだぜ。
 あぁあ・・・・おいら、寿命が縮まったぜ。まったく」


 「先ほど無縁仏とおっしゃっていましたが、
 山本さんも、やはり、無縁仏として供養されるわけですか?」



 「無縁仏とは、亡くなった人を弔う親族や縁者が
 無くなってしまったことで、お墓の継承者がいなくなり、後に入る人も無く、
 またお墓参りをする人もいないお墓のことを、無縁仏と呼ぶようになります。
 例えば、地方から都会に移り住んだ場合、家や土地は売ることがあっても
 お墓は簡単に整理して売るということが出来ません。
 そのままにしていることがほとんどで、都会の生活が長くなるにつれ、
 だんだんと足が遠のいて、草木に覆われたりして荒れ果てるお墓などが数多くなります。


 また、都会で生活している人でも子供が無かったり、
 跡継ぎが離れて住んでいたりなどの理由で、1代限りのお墓となり、
 無縁仏になったお墓が、東京都内の主要霊園だけでも実に、1割を超えると言われています。
 確かに・・・・この辺りでもよく見かけるように、草木に覆われて
 荒れ果ててしまったお墓などは、横を通るたびに気の毒な思いをします。
 特に立派なお墓であった場合には、人間の世界の栄枯盛衰ぶりをひとしおに感じます。
 でもあなたや、トシさんや岡本さんが、こうして元気で居るうちは、
 山本さんは、無縁仏とは呼ばれません。
 いつでも本堂に安置をしておりますので、想いだしたときに会いに来てください。
 仏様に会いに来る行為のことを、供養と呼んでいるのです。
 思い出した時にやって来る。それだけで立派な供養になります」



 住職の説明が一段落をする頃、ようやく本堂の上がり口にトシと清子が姿を現し
その背後から、黒ずくめの凸凹の二人連れが顔を見せました。
全員が揃ったところで、山本の供養の読経が始まります。
香りの高い線香の煙がたなびく中、住職の低い読経の声が静かに本堂を流れます。
俊彦と清子。響と岡本。横に控えた凸凹コンビの若い衆。
たった6人が参列をする中、住職の読経は30分を越えて続きました。



 「いつもながらの、30分一本勝負だな・・・・
 清子はいいが、あとの5人には、正座するにはきついものが有る。
 クソ坊主め。次回からは椅子に座って供養をしょうぜ。俺たちの足がもたねぇ」



 足を崩して岡本がぼやいています。
黒ずくめの凸凹コンビは、立ちあがりことすらできず長々と畳に伸びています。
住職が退座をした本堂では、足のしびれからの解放だけをひたすら待ち続けている一団が、
雨に降りこめられたまま、ぼんやりと時間だけを過ごしています。


 「清子。一つ舞いを見せてやれ。
 山本への供養も含めて、響に『黒髪』を見せてやってくれないか。
 すこしばかり艶めかしすぎるような気もするが、山本だってやっぱり男のはしくれだ。
 最後を艶っぽく送ってもらえれば、本人もそれなりの往生を決めるだろう。
 頼むぜ。ご祝儀なら後で、たんまりと払う」



 「野暮なことは言わないの。
 いらないわよ、ご祝儀なんか。
 じぁ、サヨナラ代わりに山本さんへ、清子が供養の舞いなどを見せましょうか」



 ついっと立ちあがった清子が、そのまま本堂の中央へ進みます。
着物の襟を正した清子が、一度背中を一同に見せた後、静かにこちらへ振り返ります。
ゆっくりと顔を伏せ、しばらくの間下げ続けた後に、再びせり上がってきた時には、
もうすでに、あのにこやかな普段の清子の顔はありません。
これから舞いをはじめる自分の世界へ、十二分に浸りきっている清子がそこにいます。
切れ長の目が、一瞬だけ、きわめて妖艶な光を放ちます。
シャンと手拍子が一つ鳴ったあと、一瞬にして本堂は、舞いの座敷に変わります。



 ♪~黒髪の むすぼれたる 思ひをば とけてねた夜の 枕こそ 
   ひとり寝る夜の 仇枕 袖はかたしく つまじゃといふて 
   ぐちな女子の心としらず しんとふけたる 鐘のこえ ゆうべのゆめの 
   けささめて ゆかし 懐かし やるせなや 
   積もるとしらで つもる白雪


 黒髪が描くストーリーの本題は、やるせない女の嫉妬心です。
伊藤祐親(いとうすけちか)の息女・辰姫が源頼朝(みなもとのよりとも)への恋を
北条政子に譲り、二人を二階へ上げた後、ひとり自分の黒髪を梳きはじめます。
悲しみと、切ないまでの嫉妬の想いを、狂おしいまでに歌いあげていく・・・・
それこそが黒髪に込められている、女の哀しい情念の世界です。
その秘められた情念を丹念に舞い終えた清子が、ほっと短い吐息をついたあと、
最後に、にこりと小さな笑顔を見せました。



 「お恥ずかしいものを、ご披露いたしました。
 なぜ『黒髪』のリクエストなのかを考えもせずに、ただただ、
 本能のままに、踊り始めてしまいました。
 今頃になって、急に恥ずかしさのあまり汗などが出てまいりました・・・・
 岡本さんも、冗談は顔だけになさってくださいましな。
 清子は、おだてられると木に登ってしまう性質ゆえ、
 常に暴走などが、停まりません。うっふっふ」



 「いやいや、いつもながらの見事な舞いだ」と岡本が絶賛をしています。
初めて清子の地唄舞を目にした響は、なぜか、いつまでたっても胸の動悸が収まりません。


 (女がやきもちを妬くほどに、美しすぎる母の舞いの世界だった・・・・
 女が嫉妬するほどの、色気と美しさというものを、私は生まれて初めてこの目で見た!
 それほどに、母の舞いは鮮烈で強烈だ・・・・
 それにもかかわらず舞っている姿は、心が洗われて涙が出るほどの、
 なんともいえない、美くしいものがあった・・・・)



 本堂を後にして、雨雲の様子を見上げながら参道を歩き始めた響きが、
その興奮を思いだして、思わずぽつりとつぶやいています。
後ろから追いついてきた岡本が、「見ただろう」と、響きの肩へ手を掛けます。


 「どうだ。お前も納得をしただろう。
 あれが清子の芸の凄さと、素晴らしさだ。
 舞い姿も美しく素晴らしいものが有るが、それだけじゃない。
 男たちを引きつけるのは、舞に込める清子自身の心情とその表現力だ。
 妖しいほどに、清子の舞いには、特別なものがある。
 いくら愛した男といえども、時と場合によれば平然として、
 別の女に譲るくらいの覚悟と甲斐性を、常に私は持っていますと、
 あれほど雄弁に宣言をされてしまったら、
 もう男は、だれ一人として、清子に手も足も出せなくなっちまう。
 明快にそこまで表現されてしまったら、いくら惚れていようがやっぱり
 諦めるしかないだろう・・・・
 舞いを通じて、清子は総長への返事をしたんだぜ。
 総長に一切の恥をかかせず、、清子は簡単に引導を渡しちまったんだ。
 なんのためにそんなことをしたのか、わかるか。
 お前には」


 傘をひろげた岡本がそれを、響の頭上へ差しかけます。
朝から降り始めた雨はひと時も止むことはなく、結局一日を通して
降り続けるような気配を、濃厚に漂わせたままです。
山門をくぐり参道を戻りはじめると、雨脚がさらに強くなってきました。
先頭を行く凸凹コンビが、あわてて傘をひろげています。
その後方を行く俊彦と清子の一つの傘が、お互いをかばい合うような形で
距離が狭まり、自然と肩が寄り添いはじめます。


 「私を育てるという、たったそれだけの理由のためだけかしら。
 母が、言い寄ってきた男の人たちのすべてを、袖にしてきたのは・・・・」



 「それだけじゃないだろう。
 自分がはじめて愛したたった一人の男のために、清子は純愛を貫き通した。
 清子という、上州生まれの湯西川の芸者は、
 お前を愛し、さらにたった一人の男を愛して、湯西川で芸をひたすら磨きぬいた。
 湯西川の芸者は、粋でいなせで、すこぶる情にも篤いそうだ。
 決めた男には、一生をかけて尽くす抜くという純真さも持ち合わせていると聞く。
 いまでも立派に生きているんだぜ、純愛とか純真と言う言葉が。
 お前さんは・・・・
 働き者で、常に男をたてる甲斐性をもった上州女の血と、
 湯西川で、磨きぬくためにピカイチの芸と感性を身に付けてきた努力家の女が、
 意地と女としての生き方のすべて賭けて、産んで育ててきた子供だ。
 どこまでも、胸を張って歩け、響。
 第一、清子もいい女だが、・・・・
 トシも男がほれるほどの、いい男だぞ」



 「でもさぁ・・・・なんで一緒に暮らさないんだろうね。あの二人」



 「さあなぁ。そればっかりは俺にもわからねぇ。
 そう言う男女の組み合わせもあるんだろう、この世の中には。
 たぶん・・・・俺には理解ができないが・・・・」




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