「韓国挺身隊問題対策協議会」の記者会見(6.23,ソウルの日本大使館前)
6月22日は、日韓両国の国交正常化から50年を迎える日だった。当日、ソウルと東京での祝賀会には両国首脳が参加し、それぞれ祝辞を述べている。
日本大使館主催の宴会で朴槿恵大統領は「今年を、韓日両国が新たな協力と共栄の未来に向かう転換点にしなければならない。最大の障碍となっている歴史問題の重い荷物を、和解と共生の心で降ろせるようにすることが重要だ」と述べた。
一方、韓国大使館主催のレセプションでは安倍晋三首相が、歴史問題には全く触れずに「韓国と日本の協力強化、日米韓3国の協力強化がアジア太平洋地域の平和と安全に重要だ」と強調し、歴史ではなく安全保障の現実に力点を置いた。
「祖父・岸信介の日韓正常化における関与」を引き合いに余裕綽々と未来志向を語る安倍首相に比べ、ひたすら日本の善処を切望するかのような朴大統領のスピーチは、どこか悲壮感すら漂わせるものだった。わずか数日前までは、「日本軍慰安婦問題は現在、交渉の最終段階にきている」と意気高らかだっただけに、一体、彼女と韓国政府に何があったのだろうか。
「慰安婦」問題に関する彼女の発言は、6月12日付『ワシントン・ポスト』に掲載されたインタビュー記事だった。もっとも、朴大統領の見解に対し菅官房長官は6月15日、「発言の趣旨がはっきりしないので、コメントは差し控える」と、一蹴している。そして「日韓請求権協定で解決済みである、との日本政府の立場に変化はない」と付け加えることを忘れなかった。
朴大統領の豹変は推測するに、米政府から強い“警告”があったからではないだろうか。オバマ政権は北朝鮮を敵視し、中国への包囲政策を強化することを東アジア戦略の中心に据えている。米日韓の三国同盟がその要であるが、「慰安婦」問題など歴史清算がネックとなって日韓関係は極度に悪化している。
当初は中立を装っていた米政府も、今年に入って、朴槿恵政権の姿勢に露骨な不満を示し始めた。4月に訪米した安倍首相を歓待し、その未来志向を讃えて“歴史問題には目を瞑る”ことも躊躇しなかった。まるで、“国内の反対にもめげず集団的自衛権行使にひた走る”安倍晋三は優等生で、“国内世論に押され歴史問題に執着して大局が見えない”朴槿恵は問題児、と言わんばかりである。
米政府の関心は歴史問題の解決ではなく、日韓両国が米国の主導する三国軍事同盟において、各自の役割を忠実に果たすことだ。上述した朴大統領のインタビュー記事に接し、業を煮やした米政府が「イエロー・カード」を出したとしても不思議ではあるまい。
中東呼吸器症候群(MERS)への対処に失敗したこともあって、朴槿恵政権は厳しい局面に置かれている。「対日関係を改善せよ」との米政府の“要請”を受け入れるうえで、6月22日は格好の舞台だったようだ。
そして米国務省は同日、「肯定的な精神で50周年を記念しようとする日韓両国の努力を歓迎する。域内諸国の強力で建設的な関係が平和と安定を増進させ、それが各国の利益だけでなく、アメリカの国益にも合致すると信じている」とのコメントを発表している。
しかし、心から日韓の和解と友好を願う両国市民にとって、そして強制的に「慰安婦」とされた被害女性たちにとって、日韓両国首脳のコメントは看過できない内容である。
6月23日、日本軍「慰安婦」被害者である金福童(キム・ボクトン)さんと吉元玉(キル・ウォンオク)さんをはじめとする『韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)』の会員たちが、ソウルの駐韓日本大使館前で緊急記者会見を行った。この日は火曜日だ。毎週の「水曜デモ」以外の日に被害女性たちがこの場で会見するのは、珍しいことだった。記者会見には、日本の市民団体からもメッセージが送られている。
記者会見では、韓国政府の対日姿勢に関する糾弾が続いた。「慰安婦」被害者のキム・ボクトンさんは「韓国政府は一体、どこまで無能なんだ。この老いぼれが、何十年間もここに座って‘謝罪せよ’と言わなければならない」と、怒りを露わにした。
『挺対協』はコメントを出し、「アジア・太平洋地域の平和が脅かされているのは、日本政府が過去を反省しないからであり、軍事的に再武装したからである。アメリカが背後で操る軍事同盟の強化は、より一層緊張を高める要因となる。...安倍総理が太平洋戦争のA級戦犯である母方の祖父、岸信介を取り上げて国交正常化50年を祝う姿は、東アジアの平和な未来を威嚇する兆候のように見える」と批判した。
朴大統領の祝辞に対しても「これまでになく韓日関係が悪化した状況で、顕著な成果を出そうとした政府の焦りと無原則な外交政策が、何の意味もない祝辞を言わしめた。朴大統領が語る‘和解と共生’は、加害国日本が過去の侵略歴史を直視し、真摯な反省と謝罪、それに相応しい責任ある実行措置があってこそ可能だ」と強調した。
ユン・ミヒャン『挺対協』代表は「昨日の大統領発言を聞いて、慰安婦問題の解決なしに幕引きされるかも知れないとの危機感を持った。日本軍慰安婦と侵略戦争被害者の人権と名誉を回復せずに、真の解放はあり得ない」と強調した。
ユン代表はさらに「記者会見で安倍首相は、加害者なのに特別な権利があるかのように振る舞った。一方の朴大統領は、まるで弱みがある者のように日本政府の前で萎縮していた。韓国政府の外交姿勢は屈辱的だった」と一喝した。
そして「慰安婦被害者をはじめ日帝の侵略戦争による被害者の人権と名誉が回復され、歴史の清算が正しく行われない限り、韓国と日本の‘未来志向的な関係’は、他の新たな葛藤を誘発する欺瞞に過ぎないだろう」と付け加えた。
『挺対協』法律専門委員のイ・サンヒ弁護士は、50年前の日韓協定が問題の根源だと診断した。「50年前の協定は、50年にわたって韓日の関係改善に足かせとなった。その過誤を繰り返してはいけない。人間の尊厳に基づいた外交と、そうした外交に依拠した韓日関係を作っていくべきだ。歴史問題は‘降ろさなければならない荷物’ではない。‘解決しなければならない課題’なのだ」と主張した。
『挺対協』の指摘は、悉く正当だ。植民地支配と侵略戦争の責任を不問にし、賠償権を放棄して「経済協力資金」を受け入れた1965年の日韓協定は、民衆の広範な反対を武力で鎮圧した朴正煕軍事政権だったからこそ、可能だった。
軍事政権には正当な基盤も道徳性もなかったので、日本政府と対等な交渉力を発揮することができなかった。交渉に関わった者たちの多数は、植民地統治に服務した下級官僚や日本軍の将校だった。彼らにとって日本の植民地支配は被害や苦痛とは無縁であり、立身出世の手段でしかなかった。国交交渉の相手である日本側の代表団とは、実質的にも心理的にも、主従関係にあったといえるだろう。
1961年5月16日、クーデターで執権した朴正煕は同年11月に訪日し、岸信介や池田勇人(当時の首相)、佐藤栄作らを前にして、流暢な日本語で次にように述べたという。
「私は日本の陸士出身です。強い軍隊を養成するには日本式の教育が最適です。...先輩の皆さん、わが国を助けて下さい。日本は先進国ですから、私たちは弟として仕えます。どうか、兄のような心情で私たちを育てて下さい。」(李東元・元外務長官の回顧録を参照)。
この言葉に日本側が感動したのは言うまでもない。「ようやく、話の通じる相手に会えた」と、交渉の前途を楽観したそうだ。一般の国家間外交ではあり得ない非正常な“主従関係”による交渉は、さまざまな弊害をもたらすことになる。米中央情報局(CIA)の特別報告書『日韓関係の未来』(1966.3.18)によると、「1961年~65年にかけて、朴正煕の民主共和党に6600万ドルの政治資金が提供された。同党の総予算の3分の2に相当する金額で、日本の6企業が支援した」と記録されている。
日本は、親日的な軍事政権の安泰を望み、組織的に裏金を提供することで韓国政治に介入してきたのだ。その過程で、1962年の「金-大平メモ」が誕生する。賠償権を放棄し「無償3億ドル、有償2億ドル」の財産請求権で決着させたこの交渉は、当時の韓国中央情報部長・金鍾泌が担当した。
情報機関のトップを特使として派遣するのは外交慣例上、極めて異例のことだろう。しかも、交渉の場所が会議室ではなく、赤坂の料亭だった。韓国軍事政権が愛用した料亭政治は、自民党にも馴染み深いものだったようだ。いや、これも朴正煕らが日帝時代に、関東軍高位層から学んだものかもしれない。
朴正煕政権が進めた日韓会談は、どの時期を取り上げても、こうした野合の悪臭に満ちている。韓国の民衆にとって、軍事政権が締結した日韓協定は屈辱であり恥辱でもある。歴史の過ちは正さなければならない。被害当事者の要求を受け入れ日韓協定の関連文書が公開されるのは、民主化が進んだ盧武鉉政権の2005年1月だった。
同年3月には日韓請求権協定の見直しに向けた「民官共同委員会」が発足し、同8月に、以下の公式見解が発表される。
「請求権協定は日本の植民地支配の賠償を請求するためのものではなく、サンフランシスコ条約第4条に基づき、韓日両国の財政的・民事的債権・債務関係を解決するためのものだ。日本軍慰安婦問題をはじめ、日本政府と軍隊など日本の国家権力が関与した反人道的な不法行為に対しては、請求権協定で解決したと見なすことができない。日本政府の法的責任は残っており、サハリンの同胞問題と原爆被害者問題も請求権協定の対象に含まれなかった」。
その後、韓国内ではこの公式見解に依拠して元徴用工とその遺族たちが、三菱重工業や旧日本製鉄に損害賠償を求めて提訴した。2012年5月、韓国最高裁は原告敗訴の原判決を破棄し、差し戻した。それを受け高裁と地裁では、2013年に相次いで原告勝訴の判決が出ている。言うまでもなく日本政府と各企業は「日本の法廷で敗訴しており、すでに日韓請求権協定で解決済み」と、強く反発した。
しかし、皆さんにはどうか冷静に考えてほしい。両国関係の核心である「植民地支配」という厳然たる歴史的事実に目を背け(基本条約)、その被害と苦痛を封印したまま、両国間の問題が“完全かつ最終的に解決された”(請求権協定)と言えるのだろうか。
解決されたのは、日本政府の言う「単なる領土分離の際の国の財産及び債務の継承関係」(『日韓請求権問題に関する分割処理の限界』1952年、外務省)だけであって、植民地支配や戦争被害への補償問題は何も解決されていない。少なくとも国連人権委員会と国際社会は、日韓請求権協定を“錦の御旗”とは決して見なさないだろう。「請求権は個人を対象にしたものであり、政府間の合意によって個人の請求権は消滅されない」というのが、国際的な人権意識の現状である。
歴史の過誤を正す作業は、被害国の一方的な意欲だけでは前進しない。「自国史の闇と不都合な真実」に向きあう加害国の勇気ある一歩があってこそ、巨大な虚偽の壁に穴を穿つことができる。日本社会の良心に期待したい(JHK)。