散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

三ノ輪橋界隈(南千住1丁目)

2008-03-21 07:51:19 | Weblog
 

 

 三ノ輪橋は、かつては石神井用水(音無川)と日光街道が交差する地点に架かって

いました。江戸時代には、市中と市外の境界に位置して、現在の台東区と荒川区を

結んでいました。  

 

 昭和初期に石神井川は暗渠になったために三ノ輪橋も撤去されて、その名も都電

の停留所に遺すだけとなりました。しかし都電の線路とほぼ平行に「三ノ輪橋銀座」の商

店街が店を並べて、大変な賑わいをみせています。

狸 塚 (多聞寺)

2008-03-20 07:50:46 | Weblog
 

 

 

 多聞寺(墨田5丁目)の境内には狸塚と刻んだ石があります。伝説にりますと、

昔、大きな松の木の根本に古狸の夫婦が住んでいて、村人をおどしたり、いたずら

をしたりしました。困った村人たちは住職と相談して、松の木を切り倒しましたが

狸は益々いたずらがひどくなりました。  

 困った住職は、本尊の毘沙門天に祈りましたところ、ある夜、毘沙門天の弟子が

現れて、棒で狸を打ち据える夢を見ました。翌朝、庭に二匹の大狸が死んでおりま

した。住職はこの狸を葬りまして石を建て狸塚にしました。

金龍の舞い (浅草寺)

2008-03-19 07:48:14 | Weblog
 

 

 金龍の舞いを見ました。仲見世を舞い踊る金色の龍、それに続くキレイどころの

奏でる笛太鼓の音色がなんとも言えないものです。隅田川から浅草寺の本尊である

聖観世音菩薩が示現されたといわれる、3月18日を記念して示現会の法要が行わ

れ、この日は金龍の舞いが催されます。  

 金龍の舞いは、昭和33年の観音堂完成を記念して創始されたものです。町内の

人々や観光客いっぱいの仲見世を練りましたが、シャッターを切る瞬間にオジサン

が前に飛び込んできまして残念な写真です。  

 

 宝蔵門前には奉納提灯も並んで賑やかな風情ですが、五重塔も心なしか誇らしげ

な感じですね。

多聞寺 六地蔵菩薩

2008-03-18 07:54:44 | Weblog
  本堂です

 

 

 多聞寺境内には、六地蔵座像が安置されています。「座像」は都内でも四例に過

ぎない貴重なものです。欠損や修復の跡がみられますが、18世紀前半に製作され

たもので、墨田区登録文化財になっています。

 

戦災鉄骨と木 山門を入って右側には、戦災に遭った鉄骨と木が展示しています。鉄骨

は浅草国際劇場のもので、1945年3月10日の東京大空襲で被爆したもので

す。木は、同年4月13日に西日暮里で被災したもので、戦災の木を保存する会が

保存しているものです。いずれも戦禍を忘れることなく、平和な時代を守っていこ

うとの願いを込めたものです。

多聞寺 茅葺の山門(墨田5丁目)

2008-03-17 07:40:22 | Weblog
 

  

 多聞寺はその昔、墨田堤の外側の水神森の近くにありましたが、400年ほど前

に今の場所に移されました。本尊の毘沙門天は弘法大師の作と伝えられます。が、

本殿の奥に鎮座されていまして、直接拝むことは出来ませんでした。山門の右に石

碑があり「隅田川の福の内 毘沙門天 正二位子爵 榎本武揚」と刻まれていまし

た。写真右です。  

 

 この山門は、江戸中期に造られた区内最古の建造物です。切妻造の四脚門で、現

在では珍しい茅葺の屋根を持ちます。墨田区は震災や戦災で多くの木造建築が失わ

れてきました。こうした中で多聞寺山門が現存することは、貴重であり、重要な建

造物です。(資料・墨田区教育委員会) 

カラオケで歌う

2008-03-16 07:30:56 | Weblog
 

 

カラオケといえば、もう四半世紀以上前ですかね。最初はスナックでした。それ

と温泉場の宴会の余興でした。テープを聞きながら歌うのですが、音感の悪い私は

出だしがわからない。女の子の ハイッという掛け声で歌いだすのですが、一拍遅

れて歌いだすのでした。

 今は映像が出る、歌詞が出る。美空ひばりが歌う。鶴田浩二が「世の中真っ暗闇

じゃござんせんか」と歌ってくれます。歌うところに色がつくなど、至れり尽くせ

りですね。ビルの中にボックスがあって、中学生でも歌っていますよ。「空」「オ

ーケストラ」です。みんな歌手です。

はにわ二体(日比谷公園)

2008-03-15 07:29:11 | Weblog
 

 この「はにわ」は宮崎県から寄贈されたものです。銘板を詠むと「東京都立日比

谷公園と宮崎県立平和公園が、姉妹公園として結ばれたことを記念し、その喜びを

こめてこの はにわ像二体を東京都の皆様に贈ります」とあります。昭和40年8

月21日のことです。  

 

 道一つ隔てた隣には、百年以上の歴史がある「日比谷松本楼」があります。年1

回、9月中旬には「10円カレーチャリティ」が行われ、秋の風物詩とも呼ばれて

います。

 

サクラサク(日比谷公園)

2008-03-14 07:45:51 | Weblog
 

 日比谷公園の西幸門近く「かもめの広場」の桜が咲いていました。早咲きの桜で

しょうね。ここ何日か暖かい日がつづきましたので、蕾が開いたものと思われます

が、キレイですね。  

 日比谷公園の南西角にある小さな広場です。中央には噴水池があり、昼休みのサ

ラリーマンが弁当を開いていました。賑やかになりますね。 

 

 公園の第二花壇にはチューリップ育成中の表示がありますが、まだまだ小さな芽

が出ていますが、咲くのはしばらく後になりそうです。

 

銭塚地蔵堂(浅草寺境内)

2008-03-13 07:49:36 | Weblog
 

 昭和39年に再建されたこのお堂には、石造の「六地蔵尊」が安置されており、

その下に「寛永通宝」が埋められているといわれていることから、「銭塚」の名が

あります。  

 江戸時代、摂州有馬郡に山口なる者がおり、その妻がある日、庭先で寛永通宝が

沢山入った壷を堀りあてました。だがこれに頼って働かずにいては、家は滅びてし

まうと考え、誰にもいわず再び土に埋め戻しました。この心がけによって一家は繁

栄したので、その壷の上に地蔵尊を祀ったといいます。  

 お堂のご本尊は、その分身を勧請したもので、商売繁盛のご利益があるといわれ

ています。(浅草寺由緒より)

数寄屋橋交番(銀座4丁目)

2008-03-12 07:35:13 | Weblog
 

 「KOBAN」は国際語にもなりました。この数寄屋橋交番(警視庁築地警察

署)は、とんがり帽子の待ち合わせ場所としても有名なモダンな交番です。この交

番は昭和57年(1982)に建てられたものです。  

 バックには有楽町マリオンや阪急、西部百貨店があり、交番はレンガ造りで三角

屋根、待ち合わせ場所としてはよろしいですね。屋根の上にある丸い玉を、待つに

ちなんで「待ち針」と言う人もあるそうですよ。