散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

子 規 庵 台東区根岸2丁目

2006-03-08 08:26:51 | Weblog
 

 

正岡子規は明治35年(1902)9月19日午前1時頃、母八重の呼びかけに

応えず天国に昇った。隣室にいた高浜虚子も呼びかけたが応えず。 享年34。

 墨汁一滴、病床六尺などを少年時代から愛読していた私は、その六尺の病床があ

った六畳間を前に、しばし感慨に耽った。子規庵では室内の写真撮影はご遠慮下さ

い ということでした。

 その後、高浜虚子、河東碧梧桐、寒川鼠骨らが庵を守り続け、昭和20年の空襲

で焼失したが、鼠骨らにより焼失前と同じに再建され現在に至っている。

 司馬遼太郎氏作 坂の上の雲の記述を借りると、幼馴染の秋山真之が明治30年

アメリカ大使館駐在武官を命じられ、出立の時「君を送りて思うことあり 蚊帳に

泣く」と詠んでいる。真之が訪れた時、何処に座ったかと思いを巡らせた。

 秋山真之は後に連合艦隊参謀になるが、同33年帰国して再び根岸の子規庵を訪

れている。

 雀より 鶯多き 根岸かな(明治26年の作)写真下は根岸町会の子規会による

俳句の展示。町の各所に張り出してあります。