病院の診察室に入ると、直ぐに採血が始まった。いつもは必死で部屋から出たがるのに、疲労困憊なのか大人しく診療台に引き上げられた、ほとんどじっとしていた。何と早いもので10分ほどで血液検査の結果が出た。腎臓の数値が異状に悪いという。エコーや点滴が必要で、当然ながら陸は病院におあずけとなる。診察台から陸を降ろすと、とたんに逃げようとした。以前ほど力強くはないが元気はある。私が入口方面を塞ぎ、懸命に陸をなだめる。それでも隙間に突進しようとする陸。妻の「よろしくお願いします」の声が聞こえると、リードを替えられ、陸は奧に引っ張られていった。それでも、こちらに来ようとしている。やがて陸は見えなくなった。午後5時にエコー検査の結果が出るので、また動物病院へ話しを聞きに来た。もちろん、入院中の陸の顔を見ることが第一だ。2階にある動物病室の格子ゲージの中で、陸は前脚に点滴をされ横になっていた。狭い格子なので手が入らず届かない。陸はこちらを目で追っているようだ。
また1階に降り診察室で先生の話しを聞きながらエコー画像を見ると、肝臓の腫瘍はかなり大きくなっている。腎臓にも大きな腫瘍が。副腎にも腫瘍が見える。私たちは愕然とする。やっぱりポッコリお腹の中は、腫瘍が膨らんだものだったんだ。そりゃ~苦しいはずだ。痛いはずだ。部屋で伏せをして薄目になり、口を少しばかり開け舌をちょろっとのぞかせ、ハーハーしていたのは痛みに耐えていたのだろう。ああ、陸の気持ちがまったく伝わっていない。推測もできていなかった。文明機器がこれほど進化しても動物とコミュニケーションが未だに取れない。犬と人間とで思いの交信ができていないのだ。草地で腹ばいになったのは、膨らんだお腹が熱かったのだ。今となっては、ゲージに入っている陸に何もしてやれない。触れることさえできないのだ。私たちは家に帰り、夕食が終わった頃、突然に病院から電話があった。しっこが出なくなり、体温が急激に上昇したという。直ぐに駆けつけると、陸はガラスのゲージに移されて喘いでいた。今度は、ガラス戸を開いて、陸に触ることができた。妻は陸に顔を寄せ、呼びかけている。息はハアハアと荒い。私は、瀕死だと思った。連れて帰り家で看取ることも提案したが、まだ頑張れば望みはあるということで、病院に任せることにした。また明日の月曜日10時に来るんだからと失意のまま帰った。なにかあれば、午後11時までに電話をしてくれるそうな。家で、その11時も過ぎて、私たちは寝ることにした。まだ陸は生きているのだ。
長い夜が明けて月曜日、面会時間の午前10時に動物病院に着いた。陸は同じゲージだったが、頭の向きが反転していた。ガラス戸を開けてもらい、妻が陸に顔を寄せ声を掛ける。やっと私たちにしっかり気がついたのか、寝ている状態から伏せに移ろうとする。妻が「寝とき、寝とき」とまた陸を横にした。前脚を動かし何かを掻き出そうとしている。そして、「ひゃーひゃー」と今まで聞いたこともない声をあげた。何を言いたいんだ。どう見ても喘いで苦しそうじゃないか。私たちが考え及んだ、安楽死のことを先生に伝えた。まるで、とんでもない、といわんばかりに、2~3日様子を見ましょう。詳しい検査の結果も出ますからと言う。なおも陸は声をあげている。私には辛く苦しそうに聞こえる。でもそうだな。陸を連れてきて、まだ丸一日だった。それで病院側が安楽死など許すわけがない。妻はひとしきり顔を寄せてから、私たちは診察室を出て、病院をあとにして暖かい日和の中で車を走らせ家に帰った。こんなに麗らかな良い天気なのに。夕方前になって私はぼそっと妻に言った。「1時間半、1時間、次の年は30分で、次はほんの15分、そしてゼロかあ。年ごとの散歩時間で解るんだなあ」。私は今年15歳の陸の寿命を暗示した。すると妻は、「また15分でも散歩できるといいね」。えっ。何を言っている。そうか。そういう考え方もあるな。私は陸が死ぬことしか考えていないのだ。これじゃ~ダークサイドに引き込まれる。暗黒への決めつけは良くないのだ。どんなに苦しくても動物は生きるために必死に生きているのだ。生きる可能性というか希望もあるじゃないか。なんといっても動物病院の獣医さんやスタッフの方々が最善のことをしてくれているのだ。妻のひとことで、私の気持ちがふわりと和んで、今日の日和のように暖かくなった。私は「うん」とだけ答えた。うん、ありがとう。と、心の中で妻に言った。今日も午後11時までに電話はなかった。陸は生きているのだ。闘っているのだ。
※写真は6年前の陸。この稿は終わりです。長文お付き合いありがとうございます。