さんでんじです。

ブログで思いのまま、自分なりの感想も含めて、発信します。

排他的な街、京都が被災松の送り火を拒否。

2011-08-08 17:27:34 | Weblog
東日本大震災で津波になぎ倒された岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松で作った薪にメッセージを書き込んで、京都の伝統行事「五山送り火」の大文字で燃やす計画が中止にされた。その理由が、放射能物質は大丈夫か、とか。灰が飛んで琵琶湖の水が汚染される、とか、どう考えても的外れな心配する京都人の声が京都市などに寄せられたという。陸前高田市で放射能なんてほとんど影響がないはず。灰が飛んで琵琶湖の水が汚染される、というのも、毎回の送り火のことでしょう。要は、京都市民は、いつもの大文字送り火に、よそものの薪がもちこまれるのを嫌がっているだけなのだ。そうです。京都人というのは、ほかの地方からの人間が京都の住まいの中まで立ち入られるのを嫌がるのですよ。つまりは排他的なんですね。そりゃ観光都市だから表面的には、おいでやすとにこやかに愛想を振りまきますよ。でも、心の奥では、用事が済んだらはよ帰ってんか、なんですよ。

ある人が京都の街角で、居合わせた初老のおばあさんに、挨拶代わりに「今日は暑いですね」と、声を掛けたそうな。すると、そのおばあさんは「あんたはんは、わてのことしってはりますのんか」と怪訝そうに答えたという。「いいえ、存じ上げません。初めてだと思いますが」と返すと。そのおばあさんは「気安うに声かけたりせんといて」と言って、手押し車を押しながら帰っていたそうな。京都ってそうなんですよ。そりゃ~、困っていて道を聞いたりするのは、教えてくれますよ。対等に話をすると、嫌がられるのです。要は、プライドが高いのですね。京都の人はよそもんをしっかりとはっきりと区別します。それが風土なんだから仕方のないことです。だから、送り火の被災松を拒否するのも、京都人にとっては当然のこと。自分たちの送り火の薪の中に、よそもんの薪が混じるのを嫌っているだけですから。不愉快な思いをさせてはいるでしょうけど、害はないはず。そもそも被災松を、わざわざ京都で送り火にしようなんて、余計なお節介をした人が悪いのですから。だからこそ、京都の文化が受け継がれているわけですから。

桃が届いた。

2011-08-08 02:42:01 | Weblog


妻の故郷の岡山から、箱入りの桃がいっぱい届きました。おいしい桃、凄くおいしい桃。高い桃、凄く高い桃、があるらしい。なんでも妻が言うには、桃というのは大体、山によってその桃の価値が決まってくるらしい。ま、長年の伝統があって、あそこの山の桃はおいしいという評判というか、お墨付きというのがあるという。すると、そこの山の桃というか、その山の桃畑を管理している農家が出荷する桃は、高値で取引されるというわけなのです。で、妻に届いた桃というのは、評価の高い山の農家の、隣の農家の桃らしい。なので、評価の高い山と、同じ山から取れた桃なんだそうな。日当たりや、土壌、手入れの仕方などによって、それぞれおいしさって違うものなのかもしれない。そりゃ~、工場から製品じゃあるまいし、自然が生み出すものだから、ひとつひとつは厳密に同じものはないはずだから。

ところで、桃というのは、到着してすぐに食べてはいけないらしい。というか、じっくり熟してから食べるのが、一番甘くっておいしいという。なので、日々妻は桃をチェックしております。ちょっとキズが入ったりして、傷みの早いものもあるらしい。そういう桃から日々、食べております。桃、おいしいよ~。