なんでそんな新聞が出てきたか、というと、本日、妻はやっと雛人形を仕舞うことにした。人形を入れる箱の底には、新聞紙が敷いてあって、妻がその新聞紙を代えようとして取り出し、紙面を見ながら、昭和52年の新聞だよ、と私に見せた。
正確な日付は、昭和52年2月17日、読売新聞の朝刊です。あまりにもホコリだらけなので、広げて読むことはしなかったけど。記事には、横浜球場スタートなんてのも。永大サッカーチーム存続の危機。今の時代でも、スポーツチームは存続の危機にあるから、時代は繰り返される。ロッテオリオンズの監督が金田正一となっている。
この頃の私は、まだ学生をやっていて、卒論は終わったんだけど、留年が決まってしまった。もうすでに24才。妻はと言うと、ちょうど結婚したばっかりだったという。今はもう、昔の話しですが。
昭和52年には、携帯電話も、パソコンも、インターネットもない。学生時代の私は、友達と共同でやっとこさ電話を引いたばかりだった。もちろんクルマだって貧乏学生は持てないし。コンビニがあったかもしれないが、当時としては利用する機会もなかったはず。
翌年は就職となるわけだが、自宅待機という、就職内定学生はいたと思う。派遣や、正規と非正規という分け方もなかった。フリーターという言葉もなかった。なにより外国人がほとんどいなかった。この頃から10数年後の、バブル絶頂期と向かうことになる。でも、結構よき時代だったかも。今は、日本人と外国人、正規と非正規、これらを上手く操りながら生き抜く企業。ちょっとしたカオスだね。こんな時代を見つめて、今日、雛人形たちは来年の2月まで眠りにつく。来年、人形たちはどんな世相を目にするのだろうか。
正確な日付は、昭和52年2月17日、読売新聞の朝刊です。あまりにもホコリだらけなので、広げて読むことはしなかったけど。記事には、横浜球場スタートなんてのも。永大サッカーチーム存続の危機。今の時代でも、スポーツチームは存続の危機にあるから、時代は繰り返される。ロッテオリオンズの監督が金田正一となっている。
この頃の私は、まだ学生をやっていて、卒論は終わったんだけど、留年が決まってしまった。もうすでに24才。妻はと言うと、ちょうど結婚したばっかりだったという。今はもう、昔の話しですが。
昭和52年には、携帯電話も、パソコンも、インターネットもない。学生時代の私は、友達と共同でやっとこさ電話を引いたばかりだった。もちろんクルマだって貧乏学生は持てないし。コンビニがあったかもしれないが、当時としては利用する機会もなかったはず。
翌年は就職となるわけだが、自宅待機という、就職内定学生はいたと思う。派遣や、正規と非正規という分け方もなかった。フリーターという言葉もなかった。なにより外国人がほとんどいなかった。この頃から10数年後の、バブル絶頂期と向かうことになる。でも、結構よき時代だったかも。今は、日本人と外国人、正規と非正規、これらを上手く操りながら生き抜く企業。ちょっとしたカオスだね。こんな時代を見つめて、今日、雛人形たちは来年の2月まで眠りにつく。来年、人形たちはどんな世相を目にするのだろうか。