きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

信号待ちにて

2020-11-18 | 息子keke

朝、信号待ちをして思い出しました。

kekeが家にずっと居た頃もこうして信号待ちをしていたんです。
その時の高校生達の姿がまぶしかったのを思い出しました。

「みんなあんなに元気に登校しているのに、どうしてkekeはこんな風になってしまったのか・・・」
そう思って悲しくなりました。

ブログのお友達もみんな幸せで楽しそうでした。
(どうして私だけがこんなに悲しんでいるの?)どうして?どうして??
そう思って、どんよりしていました。

確かにあの時、あの高校生たちは楽しそうでした。
でも今はどうか分かりません。あの学生達の中には、今は大きなトンネルに入っている子達もきっといるにちがいありません。

私も今はこうしているけれど、この先は分かりません。
そう思ってはいけないと思いつつ、それを忘れては決していけないような気がするのです。

でもあの頃、本当に私は不幸だったのか?!
あんなに悲しくて辛いと自覚していたにも関わらず、私は不幸ではなかった。
なぜなら、kekeが家にいたからです。
事故に会う訳でも、ガンのような病気になるわけでもなく、そこにいたからです。
一度kekeは「自殺してやる」と家を飛び出したことがありました。
生きていてくれて良かった・・・と思います。

そして、我が子が死んでしまったら不幸だったのか?!
それも違うと思います。私の友人は事故でお子さんを失いましたが、(もちろんその時の心痛は想像を絶することですが)今はスポーツを楽しんだり、仲間と交流したりしています。
私にはいませんが、連れ合いとそれからの人生を有意義に過ごす方もいるでしょう。
そういう人も、この世界には大勢いると思うのです。

そう思ったら、何が不幸なのだろうと思います。
しばらく考えると、自分に何かあるよりも、誰かを殺めてしまうことではないかと思うのです。
例えば・・・あの池袋の(お年寄りの)車の事故のように。。。


被害に遭われた方ももちろんそうですが、うっかりブレーキの踏み間違いであのようなことになったら・・それから日本中から叩かれたら・・・・・。
自分の不幸ならまだしも、人を不幸にしてしまったことは、この先ずっと叩かれ続けることになるでしょう。

もっとも、そうなる前に運転をやめなかったという自己責任はあります。
でも私だって、人を車でひいてしまう可能性はゼロではありません。

でも・・・私も息子も、とりあえずあのような事件に巻き込む(巻き込まれる)ことはないまま来た。。。
これだけで充分良いのかもしれません。。。

当時の私はそれに気がつきませんでした。
2年後3年後、何かが降りかかったとして「でも人様に迷惑かけてないからシアワセシアワセ」と言える自信もありませんが。

また何かあれば七転八倒辛いだの悲しいだの思う自分が、そこにいるのでしょうが。

でもとりあえず、これでいいのだって、今日は思うことにします。


週末作り置きができず、黄色も赤もなくなりました。
息子にお弁当を作れるのも今のうちなのでしょうね。。。。