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きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

彼らはそう言う風にできている

2016-10-10 | 女だから思ったこと
カメラを買って、私は図書館でデジカメの本も借りた。
Aモードだのの解説やら、撮り方やらを参考にしようと思ったのだ。
読み終えた所はどんどん忘れていくので内容はあまり頭に残っていないようであるが、1つだけ鮮明に印象に残ったことがある。

それは写真を撮る分野の中に、例えば私で言うと「料理写真」「夜景写真」というような区分の中に、「若い女性の写真」と言う分野があるらしいのだ、写真の世界ではどうやら。(ポートレートという名称がそうなのだろうか?)
モデルさんの若い女性のアンニュイな表情をはじめ、魅力をいかに写真によって引き出すかというのがポイントのようである。(写真雑誌においては、平気で禁断のチョメチョメが写っていたりする。)

私もそんなに何冊も本を読んでいるわけではないので、あくまで想像なのだが、女性が書いている本の人物のポートレートは、家族とか子供とか、赤ちゃんという分野になっているので、その・・・若い女性やチョメチョメっぽいものは、たぶん男性カメラマンによって確立されている分野なのでは?と疑っている。

そしてそれがどうして若い女性にのみ限定されているのか、謎でもありかつ、多少の憤りも覚える。同じように「若い男の子のモデル」と言う分野も確立しても良いように思うが、そこまでには行きつかない。おじさんは若い男の子に嫉妬もあるだろうし、女性はそういう色目な(?)写真を撮ることにそこまで情熱はかけない。これは日本のカメラマンに特化されたことなのだろうか、それとも世界中のカメラマンがそういう視点を持っているのだろうか。
(絵の世界のクロッキーは女性の曲線美などがあるので、女性となるのも分かるような気もしますが。。。)


今読んでいる佐野洋子さんの本に、「小さい子が好きとにかく好きで好きでたまらない女がいるように(佐野さんはそうではないらしい)、男が好きで好きでたまらない女もいるのだ。そう言う女はどんな状況でも男に擦り寄る」という内容が2度出てきたが(私なりにデフォルメして説明しました)、そう言う生理的などうしようもない現象の1つなのだろう。
(佐野さんはそのような男好きの女性の事を否定もせず、そういう人もいるんだわと達観している。)

何が言いたいかと言うと、私が最近感じたことである。
女は、個人を特定して好きになるが、男は最初に「女が好き」で始まるのである。
だから男は失恋しても、女ほどはたぶん苦しまず、さっさと違う女に行けるような気がする。その人でなくても、誰か女性がいてくれれば収まるのではなかろうか。(だから傷も浅く、前の彼女を思い出すことも平気。)

そういう仮説を持って、いろいろ検証していくと、ゲスの極み乙女のボーカルさんも、離婚してベッキーと別れて、今は19歳の彼女がいるとか。未成年に酒を飲ませたことで活動自粛しているが、それがなければ何でもないことなのだろう。(だから逆に言うと、彼の女性関係をヤンヤヤンヤと騒ぐのは女性が主なのでは?)


これに気が付いてから、私は恋愛が半分はアホらしくなった。
一生懸命やればやるほど、彼らのいい加減さにむかつき、そして求めたあげくに、冷たくされ、別れてみれば、サッサと別の女に寝返ることができる、彼らはハナからそう言う風にできている。
そう思ったら、ヤツラに無償で尽くすことがいかにくっだら無い事なのかと思えてきた。

女の人はそうしたいから、そうするしかないのだろうけれど、やればやるほど虚しさがこみあげてくるだろう、恋愛と言うのは、それを何度も繰り返すことでしかないのかもしれない。
彼らに期待できるものがあるとしたら、例えばお金とか、力仕事とか人脈とか(経験不足で他にあまり思いつかない)、そういうものなのである。

古来から、男と女はそう言う風に成り立ってきたのではないか・・・そんな気さえした。
たかが、ポートレートということから。


OMさんからいただいた唐辛子。
私はポートレートという写真分野は(今の時点では)関心がない。だったら家で唐辛子を撮ることにする。