小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

気持ちの悪い言葉なのか?

2013年09月26日 00時40分26秒 | 日記
2010年11月29日(月)(2歳7か月)


 子どもたちがふざけ合っていて、その
中で、

 「いやん」

と、ゆうきがふざけて言うと、春奈、ははは、
と笑って、それから、

 「イヤンって言うな」

と、言った。

 ええ!?

 「春奈も前にイヤン言うてたやん」

と、僕が言うと、

 「だって気持ち悪いじゃん」

 うーん・・・たしかにそうなんやけど・・・。

 何なんやろう?

 自分だってやるくせに他の人がやると
イラッっとくることって、たしかにある
と思うよ。

 春奈、自分も言うのに他の人が言うと
気持ち悪いってか?

 と、言うより、春奈も人の言葉に対して、
気持ち悪いとか感じたりするようになった
のか。

 これって、だいぶ意味を持った言葉が増
えているってことだよな。

今日は七五三

2013年09月25日 00時58分25秒 | 日記
2010年11月28日(日)(2歳7か月)

 
 今日は春奈の七五三。

 実家の両親も一緒に家族で近所の菅生神社を
訪ねる。
 ちなみにここの神社は式内社である。

 ゆうきが、りえに、

 「おみくじする?」

と、訊けば、りえも、

 「おかあさん。お寺でくじ引きしていい?」

と、訊く。

 いや、お寺じゃなくて神社やから。

 それとおみくじとくじ引きは別もんやから。

 本殿に行くと神主さんが出迎えてくれた。

 春奈、みんたに神主さんのことを

 「あの人がジンジャさん?」

と、訊く。

 どうやら神社というのを人の名前と思っている
ようだ。

 ところが、いよいよ儀礼が始まると、その独特
の雰囲気にびびりまくり、みんたの胸に顔をうず
めて前を見ない。

 儀礼が終わり、神主さんが、七五三の記念のお
みやげが入った紙袋を持ってきてくれると、その
時だけは、顔だけを神主さんの方に向けて、

 「ありがとうございます!!!」

と、甲高い声で言うと、すばやく紙袋だけ受け取っ
てまたみんたの胸に顔をうずめる。

 怖くてももらえるものはもらっておこうと考え
てるのか?
 

 晩ごはんは実家の両親が外食に連れて行ってく
れた。

 店の人が個室をあてがってくれた。

 ちなみに和室である。

 春奈、それなりに食べて、

 「もういらん」

と、ごちそうさまをするなり、みんたのバッグか
らプリッツを取り出す。

 そして、みんたが、「おかし食べるんならごは
んをもっと食べなさい」と、言うよりも早く、お
じいちゃんに、

 「どうぞ」

と、1本渡して、おばあちゃんにも、

 「どうぞ」

と、1本渡す。

 舅と姑も食べていると春奈を叱る訳にはいかない、
となることを読んでいるのか?

 いや、これまでの春奈の行動パターンからして
十分にそれはありえる。

 まったくこんなことに知恵を使うなよ・・・。

 それから、1本だけあげるって、あいかわらずケチ
な性格だ。

181 大国主たちの御子神

2013年09月25日 00時50分26秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生181 ―大国主たちの御子神―


 アシハラシコオの名は『播磨国風土記』にも登場します。
 それが、これまでに何度かお話しした揖保郡の粒丘の神話
で、アシハラシコオとアメノヒボコの国占め争いの話です。
 この他にも、『播磨国風土記』はアシハラシコオとアメノ
ヒボコの国占め争いの神話として、宍禾郡の奪谷、伊奈加川、
御方の里の話を載せています。

『播磨国風土記』には、これらの他に伊和大神とアメノヒボ
コの国占め争いの話も2つ載せています。宍禾郡波加(はか)
村の神話と神前郡粳岡の神話です。


 ところで『播磨国風土記』は、この伊和の里の神話として
オオナムチの神話を載せているのですが、ここでは、オオナ
ムチの御子神として火明命(ホアカリノミコト)が登場する
のです。
 これまでに何度も取り上げたとおり、ホアカリは、『古事
記』、『日本書紀』ではアメノオシホミミの御子神とされ、
ホノニニギの兄にあたります。なお、『日本書紀』の異伝に
は、ホアカリはホノニニギと子とする神話が載せられていま
す。どちらにせよアメノオシホミミ系の神として描かれてい
ることになります。
 同時に、ホアカリは尾張氏たちの始祖でもあります。

 実際、この『播磨国風土記』の餝磨郡の条には、尾張氏が
登場するのです。
 
 「伊和の里の船丘の北に馬墓の池あり。昔、雄略天皇の時
代に尾治連(尾張連)らの先祖長日子はよき婢(女性の私有
民)と馬を持っていた。
 長日子は死の床にあって、わが子に自分の埋葬について遺
言した。
 それにより3つの墓を造った。
 1つ目は長日子の墓とし、2つ目は婢の墓、3つ目は馬の
墓である」

と、記されています。

 さて、上記のアメノヒボコとの国占め争いは宍禾郡に集中
している印象を受けますが、宍禾郡(現在の兵庫県宍粟市)
には伊和大神を祀る伊和神社が鎮座します。
ところで、その伊和大神を祭祀する氏族がどうやら餝磨郡
(現在の兵庫県姫路市)にも存在したらしいことが『播磨国
風土記』の餝磨郡の条に記されています。
 それが餝磨郡伊和の里の伝承で、

 「伊和部(いわべ)と名づけるは積嶓(宍禾)の郡の伊和
君らの一族がこの地に来て住み着いたので伊和部になった」

と、あるのです。
 現在、伊和神社では伊和大神と大国主は同神であるとして
います。
 もっとも、これについては、研究者たちの間では別神とす
る考え方が優勢のようなのですが、しかし、オオナムチとホ
アカリの神話がこの伊和の里を舞台にしていることから、伊
和大神とオオナムチの密接なつながりが想像できるというも
のです。

 そして、『出雲国風土記』は、伊和大神の御子神として伊
勢津彦の名を記しています。
 イセツヒコは、「伊勢国風土記逸文」では伊勢に坐す神と
して描かれ、また三重県の足見田神社のかつての祭神であっ
たと伝えられています。

 そうすると、親子関係で見てみると、

 大国主 ― アヂシキタカヒコネ(『古事記』)
 オオナモチ ― アジスキタカヒコ(『出雲国風土記』)
 オオナムチ ― ホアカリ(『播磨国風土記』)
 伊和大神 ― イセツヒコ(『播磨国風土記』)

と、いうことになり、いずれも製鉄に関係すると思われる神々
が、大国主や同神とされる神と親子関係にあるのです。
 これらの神はまた尾張、伊勢につながりを持っています。
 ホアカリは言うまでもなく尾張氏の始祖であり、イセツヒ
コは伊勢に坐す神でした。
 では、大和の鴨に坐す神アヂシキタカヒコネは、と、言い
ますと、その妻であるミカツヒメの神話が「尾張国風土記逸
文」に記されていますし、『古事記』や『日本書紀』に描か
れる喪山は美濃(岐阜県)にある山だとされています。

 喪山の神話とは、大国主の国譲りの際に登場するエピソー
ドで、死んだアメノワカヒコの葬儀に訪れたアヂシキタカヒ
コネが、その容姿があまりにアメノワカヒコに似ていたため
に、ワカヒコの親がわが子と間違えてアヂスキタカヒコネの
手足にすがり、
 「わが子は死んでいなかった」
と、言って泣いたので、アヂスキタカヒコネは、
 「なぜ吾を穢い死人に比べるのか!」
と、大いに怒り、喪屋をメチャクチャにしてしまう、という
ものです。
 『古事記』はこの物語の舞台を、

 「此は美濃国の藍見河の河上の喪山ぞ」

と、記します。

 しかし、この喪山の神話よりも、妻ミカツヒメの神話こそ
注目すべきものなのです。


・・・つづく

秘密のお店

2013年09月24日 00時34分16秒 | 日記
2010年11月26日(金)(2歳7か月)


 先日春奈が、ゆうきとりえのガムを見て、
「自分も食べる」、と駄々をこねるからガム
の代わりにハイチューを与えてみた。

 春奈、ずいぶんと気に入ってしまい、今日も

 「お父さんのガム!」

と、せがむから、

 「もうないよ」

と、言って諦めさせることにした。

 すると、

 「また買ってきてな。どこで売ってるん?」

 どこにでも売っているけど、それを言うと
スーパーやコンビニに行くたびに「買え買え」
とうるさいだろうな、と思ったから、

 「春奈の知らん店」

と、答えると、

 「ひみつのお店で買ってきてね」

 「知らん店」をそういう意味にとらえるかよ。

180 アシハラシコオの再考察

2013年09月24日 00時27分42秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生180 ―アシハラシコオの再考察―


 水銀の採掘される地では鉄などの鉱物も採取されます。
 アケタツ王を祀る佐那神社の鎮座する多気町仁田のあたり
にはJR佐奈駅や佐奈小学校など佐奈の名が残されています。

 この佐奈は、「鐸(さなき)」から来ているものと考えら
れます。と、言うのも、古代の製鉄などに関わっている地に
は「さなき」につながる地名が残されていることが少なくな
いからです。


 愛知県の猿投山(さなげ山)も「さなき」から来たとする
説があります。愛知県豊田市には猿投神社が鎮座しています
が、ここの祭神はヤマトタケルの兄大碓命(オオウスノミコ
ト)を祭神としています。

 もっともオオウスが祭神となったのは近世になってからの
ことだそうですが、オオウスが祀られるようになった理由と
してはこの地に残る伝承によるものと思われます。
 すなわち、オオウスが猿投山の山中で蛇毒によって命を落
とし山頂に葬られた、というものです。
 この伝承は、『日本書紀』が、ヤマトタケルが伊吹山の山
中で伊吹山の神の化身である大蛇に出会い、その後神の前に
気を失う、と伝える話によく似ています(『古事記』では大
蛇ではなく猪となっています)。

 伊吹山はその名が示すように、製鉄に関わったと考えられ
る伊福部氏(いぶきべ氏、もしくは、いおきべ氏)と関連が
指摘されており、そうすると、どちらの伝承も製鉄に携わる
氏族たちに間に伝えられていた話と思われます。

 佐那神社の鎮座する佐奈の現在の地名は仁田といいます。
 『出雲国風土記』がアジスキタカヒコの神話を伝えるのは
仁多郡で、仁田と仁多の関係性ははっきりしないのですが、
ただ『出雲国風土記』の仁多郡の条には、

 「以上の諸郷より出る鉄は堅くして、もっとも雑具(くさ
ぐさのもの)を造るに堪ふ」

と、あり、この地から良質の鉄が採れたことを伝えています。
 この点では、ふたつの地はともに製鉄という共通点を有し
ているわけです。

 アジスキタカヒコ(アヂシキタカヒコネとも)は、その名
の中に「鉏」という言葉が含まれていることから製鉄の神で
あったとする説もありますが、もし製鉄の神であるなら『出
雲国風土記』でオオナモチ(大国主)の御子神とされている
のはどういう理由からなのでしょうか。
 大国主自身に製鉄神の性格はあまり見られないのですが、
鉏が農具であるように、農具にも鉄が用いられます。大国主
が農耕神としての性格を与えられた時にアジスキタカヒコを
結びつけられた可能性も考えられます。


 もうひとつ、大国主の別名のひとつとされる葦原醜男(ア
シハラシコオ)についても今一度、再考察が必要かと思いま
す。

 『古事記』では、アシハラシコオは、大国主が根の国のス
サノオを訪問した時の名前として描かれています。
 最初オオナムチという名であった大国主は、八十神たちか
らの迫害を逃れて根の国に住むスサナオを訪ねますが、この
時にスサノオからアシハラシコオと呼ばれます。
 そして、スサノオの娘スセリビメをつれて根の国を発つ時
に、スサノオから、
 「これからは大国主命と名乗れ」
と、言われるのです。

 これが、『古事記』に描かれるアシハラシコオですが、実
際にはオオナムチとは別の神であるとする説も強くあります。


 それはさて置き、『古事記』の「垂仁記」におけるホムチ
ワケは、アケタツ王、ウナカミ王とともに出雲を訪れますが、
これは、ホムチワケの口がきけないのは出雲大神の祟りによ
るものとわかったためでした。
 『古事記』によれば、出雲に着いた一行は、肥の川で仮の
宮を造り出雲の大神を祀ります。
 その時に、出雲国造の始祖岐比佐都美(キヒサツミ)が川
下にて青葉で山の飾りつけをして御子に大御食を奉ろうとし
ますが、それを見た御子が、
 「この川下にある青葉の山は本当の山ではないね。もしか
してアシハラシコオの神を祀る者の斎場なのか?」
と、言う場面が描かれています。
 ここでは、出雲大神は、大国主でもオオナムチでもなく、
アシハラシコオの名で呼ばれているわけです。

 アシハラシコオの名は『播磨国風土記』にも登場します。
 それが、これまでに何度かお話しした揖保郡の粒丘の神話
で、アシハラシコオとアメノヒボコの国占め争いの話です。
 この他にも、『播磨国風土記』はアシハラシコオとアメノ
ヒボコの国占め争いの神話として、宍禾郡の奪谷、伊奈加川、
御方の里の話を載せています。

『播磨国風土記』には、これらの他に伊和大神とアメノヒボ
コの国占め争いの話も2つ載せています。宍禾郡波加(はか)
村の神話と神前郡粳岡の神話です。


・・・つづく