小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

「モオ」って鳴くのは誰?

2013年09月14日 01時13分09秒 | 日記
2010年11月13日(土)(2歳7か月)


 わが家は南海高野線北野田駅の東側にある。

 西側に行くことは滅多とない。

 行くことがあっても場所は限られている。

 だから、駅の西側は知らないところがいっ
ぱいだ。


 今日もみんたと春奈が動物の話をしている。

 なんでも駅に西側には、ヤギを飼っている
家があると言う。

 「家で?」

 驚いて僕が訊き返す。

 それも、どうもペットとして飼っているら
しい。

 でも、そりゃそうだろうな。まさか町の中
で家畜として飼う人はおらんだろう。

 って思ったけど、ペットとしてでも普通は
ヤギは飼わんやろう。

 「道路に面して檻を置いてるから通行人にも
ヤギが見れるようになってんねん」

と、みんたが言う。


 それから、春奈に向かって、

 「羊はメエって鳴くで」

と、みんた。

 「ヤギもメエやな。牛さんはモオやな」

と、続けると、春奈、

 「モオはおかあさん」

 しょっちゅう「もう!」って言って怒ってる
からか?


177 ヤマトタケルの最後の旅路

2013年09月14日 00時59分38秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生177 ―ヤマトタケルの最後の旅路―



 実は、莵上王の兄曙立王(アケタツの王)を祭神とする神社も
また三重県にあります。
 それが三重県多気郡多気町の佐那神社で、曙立王と手力男命を
祀っています。

 それから、三重県と言えばヤマトタケルの最期の舞台でもあり
ます。
 三重県におけるヤマトタケルの足跡を辿ると、曙立王と莵上王
兄弟が登場するホムチワケ伝承と重なる部分が見えてくるのです。

 ヤマトタケルは伊吹山の神の前に敗北を喫した後、再戦するこ
となく大和への帰路に着きます。

 玉倉部を出立したヤマトタケルは美濃国の当芸野(たぎの)に
至り、この時に、
 「わが心は常に空を翔けてゆきたいと思っているのに、思いと
はうらはらにわが足はたぎたぎしく(弱々しく)なってしまった」
と、言います。

 「それでその地を当芸(たぎ=多芸)というようになった」

と、『古事記』は記します。
 その後、杖衡坂(つえつきざか=杖突坂)に来た時には足はさ
らに弱り、杖をつかないと歩けないほどにまでなっていたと言い
ます。
 それでもヤマトタケルは大和を目指して進み、尾津の岬のまで
来ます。
 尾津は、三重県桑名市多度町とされます。と、ここにはヤマト
 タケルを祭神とする尾津神社が鎮座します。
 また、同じ桑名市多度町には、やはりヤマトタケルを祭神とする
草薙神社が鎮座しています。
 尾津神社は式内社ですが、こちらの草薙神社もまた式内社尾津
神社の論社です。

 『古事記』は、ヤマトタケルが尾津の岬の一本松で、前にここを
通った際に食事をしてそのまま置き忘れて行った刀がそのまま残っ
ているのを見つけ、

 尾張にまっすぐ向かう尾津の岬の一本松君 君が人であったなら 
太刀を佩かせるのに 着物を着せるのになあ 一本松君

と、歌ったと伝えます。このあたり、『古事記』は文芸性に富んで
います。

 さらに進み、三重村にまで来たところでまた言ったことは、
 「わが足は三重に曲がってもうダメだ」
と、いうものでした。それでこの地を三重というようになったので
す。
 さらに進み、能煩野(のぼの)にまで来た時に、故郷を偲んで歌
を詠みます。

 倭は国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭しうるわし

 (大和はこの日本で一番のところだ 山波が作り出す青垣 その
中に籠る大和は実に美しい国だ)

 さらに、

 命の 全けむ人は 畳薦 平群の山の 熊白檮が葉を 
 うずの挿せ その子よ

 (まさに今 生をまっとうしている者たちよ 平群山の樫の葉を
髪飾りにして挿して歌い踊りたまえ 生きとし君たちよ)

と、詠みました。この歌は国思ひ歌(くにしのびうた)といいます。

 はしけしや 我家の方よ 雲居立ち来も

 (なつかしいわが家の方から雲が立ってくるよ)

と、詠みました。それから、

 愛しい人のもとに置いてきた つるぎの太刀 その太刀よ

と、読み終えると、とうとう亡くなってしまうのです。


 桑名市多度町には、多度大社も鎮座します。
 本宮の多度神社、別宮の一目連神社、それと摂社、末社を合わせ
て多度大社といいますが、元は標高403メートルの多度山を御神
体として祀っていたといいます。
 現在では、本宮の多度神社で天津彦根命(アマツヒコネノミコト)
を祀り、別宮の一目連神社で天目一箇神(アメノマヒトツノミコト)
を祀っています。

 本宮の祭神アマツヒコネは、天の安河において、スサノオがアマ
テラスの珠からうみだした5柱の神々の一神で、アメノオシホミミ、
アメノホヒの兄弟神でもあるのです。

 別宮の祭神アメノマヒトツは、アマツヒコネの御子神とされてい
ますが、『日本書紀』の国譲りの段の一書では、大物主を帰順させ
る際に、アメノマヒトツを作金者(かなだくみ)にした、とありま
す。

 つまり、多度神社の祭神は国譲り神話に関係する(アマツヒコネ
は間接的に、ですが)神を祀っているわけです。

 なお、多度大社では毎年11月8日にふいご祭を行っていますが、
これは鉄鋼関係者の祭で、この日に天から踏鞴が降って来たという
古事から、ふいごを清め感謝するものといいます。


・・・つづく