趣味の日記

観劇・歴史・小説・漫画などなど、思いつくままの語り日記

飯盛山

2008-12-14 23:56:37 | Weblog
神社の脇から、直接飯盛山へと登るハイキングコースの入口があります。
さっきの資料館で、ちょっときついけど階段で登る整備された道だという話は聞いてたので、覚悟して歩き始めた時でした。
ちょうど出くわした年配の女性ハイカーの人から、声を掛けられました。
何でも、これから飯盛山へ登るのだけど、人気の少ないハイカー道なので、一人では登りにくいとのこと。私としても、一人では心細いところだったので、ご一緒することになりました。
が、その人が登って行こうとしておられる道が、常道のハイキングコースではなかった(笑)。常連ハイカーが好んで歩く、まさしく山道(爆)。
先導していただきながら歩きましたが、いや~まさか、あんな道を通ることになるとは(苦笑)。山肌に沿って細く付けられた急な道で、おっかなびっくりな箇所がいくつもありました。
歩き出してしばらくすると、息は切れるは汗は出てくるは・・・(薄手のダウンコートを着てたのですが、山登りには暑過ぎました/汗)。
常道なら家族連れでも歩けるハイキングコース、と聞いてたので、私もそのつもりで行きましたから、まさかこんな本格的(?)な山道を歩くことになろうとは・・・。
それでも、いいお天気だったこともあって、そんな道でも何度か同じハイカーの人たちとすれ違いました。・・・皆さん、よく道をご存知なんですね(苦笑)。
ただ、険しい道をゼーハー言いながら登って、ふと振り返ると、見事に大阪平野が一望!見晴らしは抜群でございました。
同行して下さった女性の方は、ベテランハイカーらしく、神戸の六甲山などもよく歩いておられるとのこと。飯盛山も、近所なのでたびたび歩きに来られるとか。私が歴史散策で来たと言うと、やはり驚かれました(苦笑)。やっぱり世間的には、太平記ファンってのは珍しいみたいです。

ようやく山頂に到着!小さい休憩所兼展望台が設けてあり、その向こうに、お目当ての楠木正行像が建っている!(昨夜の書き込みに添付した写真)
ご一緒して下さった女性ハイカーの方は、歩き慣れてない私を見かねたのでしょう(苦笑)、下りもご一緒しましょうか?と誘って下さったんですが、私はしばらく頂上で休憩&ウロウロしますので~ということで、ここでお別れ。本当にお世話になりました。ありがとうございます~!

さぁ一直線に正行像のもとへ向かうと、結構高い台座のはるか上に、どっしりと正行くんが立っている!じぃ~っと見つめると、なかなかの男前♪清廉な若武者らしい、凛としたお姿に、気がつけば目がハート(爆)。
鎧武者姿で、立派な太刀を佩き、左手に軍扇、右手には・・・なぜか筆を持っている。んん~?筆??正行の辞世の句「帰らじと かねて思へば梓弓 亡き数に入る 名をぞ留むる」は有名ですが、これって筆じゃなくて、矢じりで刻んだはずだしなぁ。
正行くんの持つ筆に、疑問を覚えながらも、周囲をぐるぐる回ってそのお姿を堪能し、その視線の先を追いました。先ほどの女性ハイカーの方が言われるには、正行が目指した京都の方角を向いているとのことでしたが・・・。

そのあと、ようやく休憩所に戻って、コンビニで調達してきたおにぎりをほおばり、やっと昼食にありつきました。この時点で14時。
山頂からの眺めはやはり素晴らしく、大阪平野が一望に見渡せました。もやがかかっていたので、クリアにというわけにはいかなかったですが、大阪中心部のビル群の林立した様子も見て取れましたし、さっきの女性ハイカーの方は、見通しの良い日には六甲山や明石大橋まで見えると仰ってましたね。

この飯盛山、四条畷の戦の時は、足利方の陣があった場所なのですが(なのに今は正行像が建ってるのも不思議な話/苦笑)、確かにこれなら、敵味方の様子が手に取るように見えたでしょうね。
ちなみに正行率いる楠木軍は、もっと南のほう、信貴山と生駒山の中間にあたる現在の東大阪市六万寺に陣を構え、そこから北に向かって攻め上りました。
何段にも構えられた足利方の陣を次々に打ち破り、総大将高師直のいる本陣にまで肉薄しましたが、飯盛山のふもと、四条畷付近でついに力尽きたということです。
合戦の陣立てなどをあれこれ調べると、いかに楠木軍が捨て身な強行突破を試み、すさまじい勢いで突進して行ったかが見えてきて、正行にそこまでさせた要因は何かと思わずにいられません。どう考えたって多勢に無勢、無謀な突出には違いないですから。
南朝の首脳たちの強硬さのせいなのか、正行自身のやむにやまれぬ決意があったのか(一説には、正行は病で先がなかったとも言われますし)、そういった想像をするのも、歴史の面白さではありますけど。

どっぷり正行の行く末に浸って、ようやく山を降りようと思った時、またまたお声が掛けられました。今度は、かなり年配の男性ハイカーの人(笑)。
おそらく、女性ハイカーの人と私の会話が聞こえてたのでしょうね・・・私が初心者で、降りる道もあまり知らないとわかって、心配してお声を掛けて下さったみたい(苦笑)。
ここでも、私が太平記ファンと知って、驚かれました・・・。どーせマニアックですよ~・・・。
この人のご意見では、先ほどの女性ハイカーの人と違って、正行像は京都ではなく、正成パパと別れた桜井の駅方向を向いてるとのこと。どっちが正しいんでしょう??方角だけすれば、確かに何となく京都より桜井かも~ってな方向なんですけど(笑)。
ともかく、そんな話をしながら、いつしかご一緒に降りることに。
今度こそ、正当なハイキングコースを~と整備された階段を降りはじると、やはり人が多い(笑)。家族連れや、小学生くらいの男の子だけのグループとかもいて、確かにこっちの道なら気軽なコースなんだな~と思える道。
ところがしばらくすると、ご一緒した年配ハイカーの人が立ち止まりました。「こっちからも降りれるよ~」・・・って、またまた細くて険しいハイカー道。ちょっと迷いましたけど、これもご縁、一人では絶対歩けない道なら、こういう機会に試してみようと、登りの時よりもさらに細い枯葉だらけの道を降りはじめました。
いやはや、こっちもこっちで、かなり怖い道でした(苦笑)。なにせ下が丸見え、険しさがよくわかる(爆)。にもかかわらず、やっぱり何度もハイカーの人とすれ違う・・・山好きの人って、こんな道を歩くことこそが好きなんでしょうね~。しかも、こんな道がいくつも枝分かれしてて、知ってる人じゃないと絶対迷うぞ~って感じ。一人では、絶対歩けません、こんな道。
案内していただいて、無事にもとのハイキングコースへ出たと思ったら、もう出発した神社がそぐそこに。かなり足がガクガクしてましたけど、コケることもなく到着できて、ホッとしました。
一緒に降りて下さった人は、登山口にあるベンチで休憩してからお帰りになるとのことで、まだ行く先のある私は、ここでお別れしました。ほんとにありがとうございました!

行きも帰りも、親切なハイカーの人に助けていただいて、山歩きだからこその交流というか、人懐っこいあったかさというか、一人でウロウロしていると、そういうことが本当にありがたいですし、嬉しいですね。



コメント (2)
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