久しぶりにある作家の詩を読んだ。
妹さんが亡くなったあとに詠んだ詩で、悲しみがあふれている詩だ。
早世した妹への思いと、無力感から生まれる罪悪感、
この世の移り変わりへのやり場のない気持ち、いろいろなことが込められている。
なかで私が一番共感するのは、
大切な人がどこへ行ったのかわからないということは、なんといいことだろう、
というようなことを述べているところだ。
私も両親と別れたとき、同じようなことを感じた。
私は正直に言って、母が亡くなったときに、少しホッとした。
解放感すらあった。
それは、「苦しむ時間が引き延ばされなくてよかったね」なんていう
きれいな感情ではなくて、
まったくもって自己中心的な感情で、
「ああ、これで私の範疇を超えた。もう苦しまなくてすむんだ」という気持ち。
そして母が亡くなったあと、この気持ちと正面から向き合うことをしなかったので、
父の死で、痛いほど向き合うことになったと思う。
父が事故にあって瀕死の状態で集中治療室にいたとき、
駆けつけた私がまず最初に感じたことは、
「ああ、また私はこの匂いと何年も付き合っていかなければならないのか」ということ。
父に対する心配ではなかった。
そしていま、日々、罪悪感にさいなまれている。
私が毎晩寝る前に考えることは、
いつか、この罪悪感を少しでも越えることができるように、ということ。
そして、私の死は引き延ばされないように、ということ。
でも、こんな無目的な毎日を生きている。
すでに、毎日が引き延ばされた死のような気持ちすらする。
あんなに美しく、そして温かい人間の血が流れているような詩が書けるような人間に
私はなれない。
詩が書けるかどうかという点ではなく、大事な人を思うという人間らしさの一点において、
私はきれいな心に接するのがこわい。
妹さんが亡くなったあとに詠んだ詩で、悲しみがあふれている詩だ。
早世した妹への思いと、無力感から生まれる罪悪感、
この世の移り変わりへのやり場のない気持ち、いろいろなことが込められている。
なかで私が一番共感するのは、
大切な人がどこへ行ったのかわからないということは、なんといいことだろう、
というようなことを述べているところだ。
私も両親と別れたとき、同じようなことを感じた。
私は正直に言って、母が亡くなったときに、少しホッとした。
解放感すらあった。
それは、「苦しむ時間が引き延ばされなくてよかったね」なんていう
きれいな感情ではなくて、
まったくもって自己中心的な感情で、
「ああ、これで私の範疇を超えた。もう苦しまなくてすむんだ」という気持ち。
そして母が亡くなったあと、この気持ちと正面から向き合うことをしなかったので、
父の死で、痛いほど向き合うことになったと思う。
父が事故にあって瀕死の状態で集中治療室にいたとき、
駆けつけた私がまず最初に感じたことは、
「ああ、また私はこの匂いと何年も付き合っていかなければならないのか」ということ。
父に対する心配ではなかった。
そしていま、日々、罪悪感にさいなまれている。
私が毎晩寝る前に考えることは、
いつか、この罪悪感を少しでも越えることができるように、ということ。
そして、私の死は引き延ばされないように、ということ。
でも、こんな無目的な毎日を生きている。
すでに、毎日が引き延ばされた死のような気持ちすらする。
あんなに美しく、そして温かい人間の血が流れているような詩が書けるような人間に
私はなれない。
詩が書けるかどうかという点ではなく、大事な人を思うという人間らしさの一点において、
私はきれいな心に接するのがこわい。