ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ダライ・ラマの法話

2009-11-02 11:17:13 | Weblog
土曜日、ダライ・ラマの法話を聞きにいった。

毎年、少しずつ会場の雰囲気が違う。
今年おもに違ったのは、入り口すぐに出ていた売店が、
本屋さんばかりだったことかな。
以前は、チベット難民の子どもたちが作ったという
ストラップや布なども売られていた。もちろんチベットの国旗も。
でも、今年は本とDVDばかりだった。
飛ぶように売れていたので、出版社も大喜びだろう。

ダライ・ラマの講演会は、これまでも何回か聴きに行ったことがあるけど、
法話ははじめてだった。
いつも講演会の最初で、「自分は特別な能力をもっているわけではなく、
ただひとりの僧侶だ」とダライ・ラマは言うのだけど、
今回は法話だったからか、この前置きがなく、
般若心経をみなで唱和することからはじまった。

「自分」「苦しみ」などをどのようにとらえるか、そして「利他」という
いつもダライ・ラマが述べていることを、いつもよりも仏教色が強い内容で
話されたのだけれども、
この人にとって、祖国というものがどれだけ重く、
そして心をくだいているのか、言葉の端々から伝わってくる思いだった。

講演会の最後、いつも質疑応答がある。
何か言葉を交わしたいと思うのだけど、質問が浮かばない。

ダライ・ラマのような人に、通常のカウンセラーや友人にするような
「悩み事相談」を投げかけては申し訳ない。
なにか概念と実践において、しかも政治色をなくし、
他人を害するようなことなく、
ダライ・ラマに話しかけられたらいいのだけど、
なにか問いが浮かぶと、
そのこたえは、すでにその前の講話のなかにあったのだと気づかされ、
挙手することができない。

では、なにかユーモアのあることでも言ってやりたいと思う。
きっと、もっとトンチがきいた答えが返ってくるだろうから。

私の周りには、宗教、というか仏教と聞いただけで
ある新興宗教のことを思い出し、極端な拒否反応を示す人がいる。
それはそれで、個人の判断だからいいと思う。
 
人っておもしろいなあと思う。