ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

仕事と日々・夢想と夜々

2009-11-16 15:09:32 | Weblog
ジャンケレヴィッチ 哲学的対話。仲沢 紀雄訳、みすず書房刊。

一日の最後に、眠りにつく前に、1章ずつ読み進めた。
問いや投げかけに対する回答として語られるジャンケレヴィッチの言葉は、
何とも秋の夜長にぴったりな雰囲気だった。

一度でいいから、実際にこの人と話をしてみたかった。
話をするのが無理だったら、ソルボンヌ大学で行っていた公開講座を聴講してみたかった。
フランス語はまったくわからないし、
ジャンケレヴィッチには、訳書をとおしてしか出会ったことがないけれど、
強く強くそう願う。

私にとっての一番の魅力は、
芸術と哲学を融合させているその接点の見つけ方と表現だ。

例えば、
「芸術家は、蝶が焔に対するように、直接のものとたわむれる。
曲芸のような危険な遊び。焔を直観で認識するには、
火の小さな舌先がおどるのを見るだけではなく、内側からその熱と一体になる必要があろう。
映像に、やけどという実存する感覚が加わらなければなるまい。云々」
という、わかりやすいものもあれば、

「終り、そして始まるすべてのもの、死にほかならない誕生、朝のぬるみと夜の神秘、
そして、それにもまして森の中の影の島は、音楽の王国に属する」
と、その先をずっと読んで行って、はじめて「こんな感じ?」と、聞きたくなるような文章もある。

さらっと、一度読んだだけでわかることは少なく、
何度も文章を読み返して格闘し、自分自身の感性をひろげる努力を強いられるような文章だ。

難解だし、向き合うのはつらいけど、でも、向き合いたいと感じる魅力がある。
そう、まるで、新しいピアノの楽譜の前に座った時のような気分になる。

それにしても、なぜ私が好きになる人は、
少し前の世代で、かつフランス語で書いていた人たちなのだろう。
シモーヌ・ヴェイユもジャック・デリダも、ジャンケレヴィッチも。
そして、みんなユダヤ系なんだな。

中国語は、学んでよかったと思うのだけど、
大学を卒業してからは、ぱったり中国関係の本を読まなくなり、
いまの興味の対象は、仏教と西洋哲学となると、
学ぶべき言語を実は誤ったのかもしれない、と、思えるときがある。