ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

自覚してない悪意

2009-11-07 10:00:29 | Weblog
先日、朝日が差し込む駅のホームに立っていたら、
後ろ側に長くのびる人の影が、なぜか古代エジプトのレリーフに見えてきた。

この人の体型はトト、帽子がホルスっぽい、カバンがアーンクに見えるなあ、など、
ボーっと考えていたら、電車に乗り遅れた。
昔から古代文明系は好きで、いろいろな本を読んでは、とても勝手な空想をしていた。

エジプトの神殿の場合は、朝日が差し込む時間の美しさを想像することが多く、
その次は、強い日差しから守ってくれる午後のひととき。
ぜひ、その2つの時間帯に、実際に訪れてみたいものだ。

人が作るものには、何であれ、祈りが込められている。
なにも宗教施設だけがそうなのではなくて、日用品もそうだし、言葉や文字もだ。
たとえ、大量消費されるものであっても、まったく憎まれるだけで世の中に出てきたものは
決してないと思っている。

少し飛躍するけど、人間関係にしたって、そうだと思う。
他人をどうしようもなく求めてしまうのは、
それは私の中に、ある種の祈りがあるからだと思う。

最近、私はよく、「悪意がある」「敵意を感じる」という言葉を聞く。
ネット上の書き込みや仕事での繋がりのときに聞くことが多く、
相手をしっかりと認識している場合もあれば、ほとんど「群集」に近い場合もある。

私は悪意や敵意に疎いらしく、
どちらかというと、サボりたくてやってるんだ、とか、いいかっこしたいんだな、などのように、
これはこの人のわがまま、という見方をする。
だから、相手を小ばかにしていると受け取られてもしょうがない。
そして、これが他人から見ると悪意に見えるんだろうな、と思った。