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つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

戦火に焼かれた徒花。 ~ エスの肖像。

2019年11月11日 08時48分45秒 | 手すさびにて候。

ほんの手すさび手慰み。
不定期イラスト連載、第百二十三弾は「エスな女子」。

それまでの価値観を捨てて西洋化を目指した明治期、
女性の中等~高等教育の門戸が開かれた。
新しく「女学生」という社会層が誕生する。

彼女たちをターゲットに最初の雑誌が創刊したのは、明治35年(1902年)。
以後、昭和初期にかけ多数が刊行され「少女小説」が人気を博した。
題材は「エス(S)」。
「友情以上の強いつながり」で結ばれた少女たちの親密な関係で、
「姉妹」を表す英単語「Sister」の頭文字をとり、そう呼ばれた。

(旧制)高等女学校に通う生徒は、いわゆる富裕層が中心。
良妻賢母となるべくモラルを重んじながら、異性との交遊はご法度。
そこで少女たちは、上級生と下級生、同級生の間で、
手紙やプレゼントを交換したり、一緒に登下校したり、買い物にでかけたり。
お揃いの服装や髪型にしたりして、親交を温めた。

親主導による結婚までの限られた時間の中で育まれた「エス(S)」は、
思慕、敬愛、崇拝、憧れをベースにした、刹那的なファンタジーとも考えられる。

前述の少女小説を著したのは、
「与謝野晶子」、「吉屋信子」、後のノーベル賞作家「川端康成」など。
錚々たる作家陣のペンに、お嬢様方は盛大にのぼせた。
更に、読者モデルが主人公らになり切り、
小説のストーリーを実演する企画が大反響。
「エス」の流行に拍車をかけた。

しかし、太平洋戦争がはじまり、戦局悪化に伴って軍部からの圧力がかかる。
少女雑誌は路線変更。
恋愛テーマは消え、戦時色に塗りつぶされた。

少女たちの王国は滅亡した。
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深まる秋の気付き。

2019年11月10日 07時43分42秒 | 自然

ハンドルを握り駆け抜けていたのでは、見過ごしてしまう風景がある。
速さは便利だが、ゆっくりと移動するからこそ心に留まるものがある。
僕は、愛犬を伴い散歩を始めたお陰で、そう気が付いた。
・・・いや、正確には「思い出した」と言えるかもしれない。

空を流れる雲。
頬をなでる風。
眩しい陽射しと、地面に落ちた自身の影。
人家の灯りや、夕餉の支度の物音と匂い。

歩く他に手段がなかった頃。
幼いながら敏感だった感性は、そんな諸々から何かを受け取っていたのだと、
リードを握りながら述懐して10年余りが経つ。

さて、きのう(2019年11月9日)、
散歩中に本津幡駅近くの踏切辺りで、こんな看板を見つけた。

雪国・北陸には「消雪装置」なるものがある。
道路に埋め込んだパイプを伝い、路上に設置したノズルから地下水を散布して、
除雪・融雪・路面凍結を防止するための備えだ。
それが、ここらで途切れることを報せている。

「立冬を過ぎ、北海道では初雪が観測されました」

ラジオで、そんなニュースを耳にした。
自分のいで立ちも随分厚着になっている。
吐く息も微かに白い。
冬が近づいてきたなと実感した時、コレが目に留まった。

「水準点」だ。
水準測量によりその標高が精密に求められた花崗岩の標石である。

水準点は、河川や道路、港湾、下水道、鉄道等の正確な高さの値が必要な工事で、
測量の基準として用いられている。
また、高さの変化・・・地盤沈下量を把握する為のポイントにもなる。

さして重要にも思えない県道に設置された理由で思い当たるのは、
近くの堤(つつみ)の整備と、道路の拡張工事か?
何にせよ、ある時期を境に周辺の景観が変わったのは間違いない。

そんな事に思いを馳せることが出来るのは、
やはり散歩のお陰なのだ。
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河北潟(かほくがた)の恵み。

2019年11月04日 18時47分40秒 | 自然

きのう(2019年11月3日)、
「第30回 河北潟ふれあいフェスタ2019」が開催された。

この催しは、生産者と来場者が触れ合い、
干拓地農業への理解を深めることを目的として、毎年、行われている。

河北潟で採れた新鮮な野菜の直売。
ダイコン、レンコン、小松菜、グリーンリーフなどが並ぶ。
現地酪農で採取した牛乳の試飲・販売、加工品の販売。
河北潟産の牛ふんたい肥も販売。

家族連れには嬉しい、子牛とのふれあいコーナー。
アメリカザリガニ釣り。
ステージイベントなど、場内は賑やか。
僕は、つきたての餅(200円)を購入しいただく。
柔らかく温かで、美味い!。

ご覧の通り、会場の周囲は見渡す限りの農地が続く。
しかし、ここは元々水の底か湿原だった。

河北潟は、石川県のほぼ中央に位置し、
金沢市、津幡町、内灘町、かほく市にまたがる県内一の大きな水辺。
その成り立ちは数千年前に遡る。
内灘砂丘の発達によって日本海と遮断されて形作られてゆき、
海水と淡水が混ざった「汽水湖」が出来た。
サイズは、東西4km、南北8km。
今の3倍の大きさを誇っていたという。

古くは蓮湖(れんこ)、大清湖(たいせいこ)とも呼ばれ、
平安期には、河北潟を利用した物資の輸送、特に米の運搬が盛んに。
また、漁場として、水上輸送路として、人々の暮らしを支えてきた。

それが、1963年に始まった国の干拓事業により水面積が縮小。
海水が入り難くなり、やがて1980年、水門で海と隔絶。
完全な淡水となり、今は広大な農地が広がっている。

そこに産する大豆、麦、野菜、果物、牛乳などは大いなる恵みだ。
だが、もしも湖が姿を変えず残っていたとしたら、
僕たちは「別の何か」を享受できたかもしれない。
水郷の里は、観光資源になったかもしれない。
より多くの生き物たちにとって、楽園になっていたかもしれない。

ならば「河北潟ふれあいフェスタ」は、様相の違ったものになっていただろう。
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れきしる企画展、津幡の獅子舞~第二弾~。

2019年11月03日 22時17分46秒 | 日記

先日、拙ブログ宛にメッセージが届いた。
差出人は「津幡ふるさと歴史館」。

『企画展示のお知らせ
 津幡短信いつも楽しみながら読ませていただいております。
 本日(10月)26日から企画展「津幡の獅子舞2」を開催しています。
 時間がございましたら取材などしていただければ幸いです。』

お招きに与り、本日、お邪魔した。

拙ブログでは、毎年9月半ば、旧津幡宿四町での獅子舞の投稿が恒例。
それは季節の風物詩であり、平和と民力と民度が保たれている証。
これからも長きに亘り続くことを願って止まない。

また、我が町には、他の地区にも多くの獅子舞が受け継がれている。
今回の企画展は「中条(ちゅうじょう)地区」~
北中条、南中条、潟端(かたばた)、太田(おおた)の獅子舞を展示してある。
4つそれぞれに見応えがあったが、個人的に惹かれたのは北中条のそれ。

製作年代は、何と「弘化4年(1847年)」。
今から170年余り前、江戸末期との事。
解説に“津幡町最古”とあるのも頷ける。
一本の木材から掘り出された獅子頭は、漆が剥げ、片耳。
頭頂部の一角から垂れる毛も、痛みが見て取れる。
しかし、大きな両眼の「八方睨(はっぽうにらみ)」は、
老いてなお眼光鋭いライオンの如き迫力。

弘化4年は、ペリー来航まで7年、維新を19年後に控えた時期。
信濃、越後方面で大地震(善光寺地震)も起きた。
・・・きっと言い知れぬ「不安」や「魔」を払おうと、
幾人もの男たちが懸命に頭を持ち、舞ったに違いない。
バックに設えた、牡丹と巻毛紋の鮮やかな蚊帳と共に、
ひとしきり眺め、感慨を深める。
そして、歴史館の方と話ができ楽しいひと時を過ごした。

企画展「津幡の獅子舞2」は、12月22日まで開催。
月曜定休だが、振替休日の明日は営業する。
機会と都合が許せば訪れてみてはいかがだろうか。
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小春日に たらちね見遣る 碧き空。

2019年11月02日 19時22分11秒 | 追悼。

今日(2019年11月2日)は、よく晴れた一日だった。

母親が亡くなって、ちょうど一年が経つ。
津幡町・舟橋の「京武蔵 津幡店」に於いて、一周忌の法要が営れた。

この施設の本店は、お隣・金沢市吉原町。
昭和34年(1959年)「武蔵屋食堂」として創業し、
結婚式場、法要専門館へと、業態を変化させ現在に至る。
津幡町には、平成18年(2006年)に進出。
「津幡店」は、常時人を置かない予約営業。
維持経費・人件費を抑え、なかなかの利益を上げていると聞く。
頻繁に足を運ぶ店ではない。
僕は初めて足を踏み入れた。

キレイな館内の様子。
用を足したトイレはバリアフリーだった。

法要室として、イス席の仏間が2部屋ある。
こじんまりとしたサイズ感も、ちょうどいい。
お経をあげてもらったら、会食だ。

小広間に座っていただいた料理は八寸から、
茶蕎麦、寿司、お造り、天麩羅、炊き合わせ、蒸し物、ご飯、椀、香の物など。

お腹いっぱいである。
こちそう様でした。

縁者が集い、ひとしきり話に花が咲いて、故人を偲んで会はお開き。
外に出て見上げた空は、美しい碧。
母親が死んだ時の空は、漆黒で星が瞬いていたっけ。
などと過日を思い起こしていたら、視界の隅から音もなく一筋の雲が生まれ出て、
見る間に天空を横断してゆくではないか。

・・・頭の中で、ピアノのイントロが鳴り始めた。

♪白い坂道が空まで続いていた
 ゆらゆらかげろうがあの子を包む
 誰も気づかずただひとり あの子は昇っていく
 何もおそれない そして舞い上がる

 空に憧れて空をかけてゆく あの子の命はひこうき雲

 高いあの窓であの子は死ぬ前も
 空を見ていたの 今はわからない
 ほかの人にはわからない あまりにも若すぎたと
 ただ思うだけ けれどしあわせ

 空に憧れて空をかけてゆく あの子の命はひこうき雲

 空に憧れて空をかけてゆく あの子の命はひこうき雲
             
            <作詞作曲:荒井由実>
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