(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

エッセイ 米沢へ(その二)

2015-01-30 | 読書
エッセイ 米沢へ(その二)

 本論からはずれ、あちこち脱線することをお許しください。


 ロバート・ブラウニングの詩「ベン・エズラ博士」を再掲することから話を始める。

 ”努めよ そして艱難を苦にするな。
  学べ、 痛みを恐れずに
   行え 悩みをつぶやかずに 
  人生は 失敗とみえるところに成功が・・
   そしてそのように生きたひとは 火が消え灰になっても
   後に一粒の黄金が残る”

 この詩のことを知ったのは評論家として活躍された坂西志保さんの言葉からである。アメリカのミシガン大学を卒業し哲学博士の学位を得ている彼女は戦後も民主主義とはなにかについて語り続けたひとである。父親から聞かされた話の中から”人間は生きるために食い、食うために生きるのではない、ということばが記憶に残り、幼いなりに”人間は、なにかはっきりした目的をもって生きなければならない”と思うようになった。そんな時にブラウンニングの詩にであったとのことである。私は、この詩を読んで原文に接したくなった。1980年代のある年、海外出張で出かけた際、ロンドンに寄り道させてもらった。ロンドンの街の真ん中にあるチャリング・クロスとセント・マーティン・レーンをつなぐセシル・コートは神田のような古書店の集まる町である。ふと立ち寄った一軒の書店でブラウニングの詩集を見つけることができた。それはペンギン・ポエタリー・ライブラリーの中の一冊であった。古ぼけて変色もみられたが、チェリストのパブロ・カザルスがふと立ち寄った港のそばの古い楽譜屋で、ぼろぼろになり、時の流れに黄ばんだバッハの無伴奏チェロ組曲の楽譜に出会った時のような感慨を覚えたものである。原文の一部を載せる。

          

 ”(RABBI BEN EZRA)
Youth ended, I shall try
My gain or loss thereby
 Leave the ashes, what survives is gold
And I shall weigh the same,
Give life its praise or blame
Young, all lay in dispute; I shall know,being old.”

     注)ロバート・ブラウニングはヴィクトリア朝の詩人。日本では上田敏の『海潮音』の中の名訳「春の朝(あした)」を知らぬものはないであろう。劇詩「ピパが行く」”時は春、日は朝(あした)、朝(あした)は七時、片岡に露みちて、揚雲雀なのりいで かたつむり枝に這ひ 神、空にしろしめす。すべて世は事もなし”

 上杉鷹山が、”火種”と言ったのはこ一粒の黄金のことである。洋の東西を問わず、同じような考え方があるのは興味ふかい。この火種を次々と人の胸に移すことにより、鷹山は誰も考えもしなかった藩政改革に挑んだのである。鷹山は藩士や藩の家老など多くの反対を押し切り、古き悪習・淀んだ藩政、狎れきった商人との癒着。そしてなによりも変化を恐れる武士さらには商人・農民たちの考え方を変えていったのである。

 実はこのことは現代におけ企業経営にも通ずることである。日本の大企業でもそうであるが米国のエクセレント・カンパニーでも同じようなことが見て取れる。『上杉鷹山』の小説を読んでいた時、同時に「ものづくりの未来を変える GEの破壊力」というレポートを読んだ。(日経ビジネス2014年12月22日号) 日経の記者たちがGEの会長兼CEOのジェフ・イメルトなどの幹部や、同社とビッグ・データ活用で提携したソフトバンク・孫社長などの幹部にインタビューを行い、さらに製造業を激変させる可能性をはらんだインダストリアル・インターネットなどのGE社の取り組みを追った、極めて興味深く、かつクオリティのの高いレポートである。そのことに入る前にGEのことを少しご紹介しておこう。

  GE(ゼネラル・エレクトリック)はアメリカのダウ工業株30種のひとつである。この中では、3MやP&Gそれにユナイテッド・テクノロジーズなどが、私のひいきである。GEはご存知のように30万人の従業員をを擁する世界最大の複合企業(コングロメレート)であるが、かつて金融部門の比率が高く、”ごひいき”ではなかった。しかし最近になり製造部門の比率が70パーセントにもあがり製造業部門が中心となってきた。航空機エンジン/医療機器/産業用ソフトウエア/鉱山機械/鉄道機器/火力発電用ガスタービン/原子力/油田サービス/天然ガス採掘機器などなどでそれぞれナンバーワンかナンバー2の位置を保っている。あのジャック・ウエルチが会長をつとめ、世界最強の企業である。1889年にエジソンが創立した。産業機器では他を圧倒する同社に陰りはみられない。しかしイメルトは遥か先を見据え、単なるものづくり企業からモノとデータを融合する21世紀の産業革命を見据えているのである。主力のエンジンやタービン、鉄道車両などに無数のセンサーを組み込み、顧客の現場での稼働状況をリアルタイムで監視、そに尨大なデータを解析して故障の予防や稼働効率の向上につなげる。日本でも小松製作所が建設機械や鉱山機械ですでに実施している。しかしGEのそれは更に幅広く、また先を行っている。収集したデータはGEの開発プロセスにも反映され、製品設計の最適化へ生かされてゆく。インダストリアル・インターネットはGEにとって抜本的な事業モデルの刷新である。データ解析とソフトウエアの力で製品やサービスの顧客価値を飛躍的に高める、文字通りのものづくり革命なのである。GEを自己変革に突き動かすものは、アマゾンが小売業者を破壊し、アップルが音楽業界を破壊したように、GEが変わらなければ、いずれ産業機器でも同じような道を歩む、という恐怖にも似た認識である。インダストリアル・インターネット以外にも3Dプリンターを活用した極小工場や、開発期間を根底から短縮・迅速化するファストワークスなどの展開がすでに行われている。

 常識を破壊するような変革を巨大企業で行うのは容易ではない。そこでGEはリーダーたちの意識を変え、変化を加速するように仕向けている。社員数が30万人の巨大企業では変革の難しさも桁違いである。

 ”GEのリーダーは、経営トップの生の声を聞き、会社が何を目指しているのかを徹底的にシャワーのように浴びる。そんな強烈な伝達システムが存在する”~日本GEキャピタル安渕氏談
 毎年1月にフロリダ州ボカラトンで65名の世界中の経営幹部が集合する。またNYのクロトンビルにある人材育成の中核拠点では、イメルトCEOが月に2ないし3回足を運び、経営幹部に直接語りかける。またGEでは、企業文化そのものにもメスを入れている。GEは社員が重視する価値観も考えなければならないと考えている。また失敗しても挑戦を評価する姿勢である。 

 以上見てきたことは、上杉鷹山が米沢藩改革で取り組んだに共通している。そんなことをふと感じたのである。藩政改革も企業の経営改革も、要は人の問題であり、人々の意識を変えることにあらゆる努力を惜しまなかった上杉鷹山の偉大さを改めて思う。その鷹山に幼少時代から影響を与えた細井平州のことを稿を改めて語りたいが、ここでは彼の記念館が名古屋の東海市にあることだけを付け加えて置く。親しい友人が調べてくれたところによれば、平洲は愛知県知多郡平島村(今の東海市)の生まれである。彼は、実学的で、政治的には身分制度を打破する自由・平等の思想をもち、その著書の『嚶鳴館(おうめいかん)遺草』は吉田松蔭や西郷隆盛などの幕末の志士たちにも影響を与えたといわれる。同じ郷土に育った人間のひとりとして、そのことを誇らしく思うのである。

 
     ~~~~~~~~~~~~~~

 かなり道がそれてしまった。最後に米沢そのもののこと触れておくことする。今から137年前のことである。明治も初期の11年に一人の英国夫人が日本の奥地(東北・北海道)を単身で旅をした。彼女の名は、イザベラ・バード。その旅行記が『日本奥地紀行』と題して出版された。当時、日本最善の旅行記と言われた。6月から9月、三ヶ月をかけて東京から日光、そして会津、新潟、山形、秋田、青森さらに蝦夷(北海道)へ足を伸ばした。山形県の置賜(おきたま)盆地(米沢平野)に入った時、その美しい田園風景について、”実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカデア(桃源郷)である”と称賛している。また単なる景観だけでなく、肥沃な大地が耕作する者たちのものであり、そこの圧迫のない自由な暮らしがあることに深い印象をもったのである。紀行文の一部をここに抜粋しておく。

     

 ”数多くの石畳を登ったり下ったりして高い宇津の峠を越えた。・・・私は、うれしい日光を浴びている山頂から、米沢の気高い平野を見下ろすことができて嬉しかった。米沢平野(置賜盆地)は長さ30マイル、10ないし18マイルの幅があり、日本の花園のひとつである。木立も多く灌漑がよくなされ、豊かな町や村が多い。壮大な山々が取り囲んでいるが、山々は森林地帯ばかりではない。・・・”

 ”たいそう暑かったが、快い夏の日であった。会津の雪の連峰も、日光に輝いていると冷たくは見えなかった。米沢平野は南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤で耕したというより鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろこし、煙草、麻、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカディア(桃源郷)である。自力で栄えるこの豊沃な大地は、すべてそれらを耕作している人々の所有するところのものである。彼らは、葡萄、いちじく、ザクロの木の下に住み、圧迫のない自由な暮らしをしている。これは圧政に苦しむアジアでは珍しい現象である・・・”

 
      (小国町の黒沢峠)


 いやますます米沢へ行ってみたくなりました。せっかくですので自然の風景に加え上杉鷹山が奨励して始まった米沢織の美しさも眺めてみたくなりました。そして最後には、やはり米沢牛ですね!あはは(笑) 長文におつきあいいただき、ありがとうございました。


      

 


コメント (4)
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