六甲1号の出撃にっき

撮影ロケの出撃模様のほか、日々の雑感なんかも綴ったものです。

阪神・淡路大震災から20年

2015-01-17 | 日記
 1995年1月17日 午前5時46分。私も自宅で被災をした、あの大震災から、早や20年。そして私が仕事の関係で神戸を離れてから4月で丸20年になります。もちろん住んでいた実家は六甲にまだあり、半壊から修理をして築46年の家にまだ弟が住んでいます。
 この20年は早いようで長かった、私にとってはほんとに遠い昔のように思えます。神戸に帰る度に、街のあちこちが変わっていて、住んでいる人以上に街の変わり方に驚きを感じているかも知れません。
 人口も震災からわずか5年で取り戻し、その後も拡大を続けてきましたが、2年前をピークに減少に転じています。やはり人口減少社会の余波を受けているのでしょうか? (なお全国10大都市の中で神戸市と京都市以外は人口は増加しています。)
 街も復旧したし人口も増えた。でも何か足りない。やはり活気がない。と昨日の震災関連番組で商店主のインタビューにありましたが、一戸建てに入れたのはお金を持っている中高年で、その人達が高齢者となり、若い人は賃貸マンションなどに入るも、昼間は大阪に働きに出ているので、日中の住宅地などはホントに人が歩いていません。
 商店は再建できず、次々と出来たのは東京資本のチェーン店だけ。

 大都市圏の災害復興ですらこうなのですから、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた三陸沿岸の各市町村や放射能による避難が続く福島県浜通り地域に至っては、人の回帰自体に難があり、消滅自治体と化す事も現実としてありえます。
 震災の復興は、これから日本が直面する人口減少社会・地方再生の大きな2つの社会問題と共に歩むこととなるのは避けられないと思います。

 写真は火災で焼け野原となった新長田の復興の象徴として、何を(過去?未来?)見つめる鉄人28号。(周辺の取扱店では東日本大震災寄付金付き鉄人Tシャツを販売しています。)

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2 コメント

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Unknown (Blairfindy1号2号)
2015-01-21 13:37:32
私もブログで書きましたが、神戸の街としての地力が落ちているのは、残念ながら否定し様がありません。
三宮界隈でさえ、店の数が震災前のレベルには戻らなかった様ですし、ハーバーランド等の再開発地区も今世紀に入ってからは活気が無くなっていて、テナントの苦戦が続いている状態は私にも判ります。
京都と神戸で人口が減少しているという事ですが、学校は大阪へ移転し、企業も大阪に集約するケースが多いと聞きました。大阪に吸われているという事なのでしょうか?
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阪神・淡路大震災から20年 (六甲1号(管理人))
2015-01-22 02:49:04
 神戸市役所が出している資料  平成25年度の人口の動き を見ると、大阪市へは若干転出してますが、大阪市以外の大阪府下からや、他の兵庫県内や西日本地区からも転入超過となっていますが、大幅に転出超過となっているのが東日本地域へ。
 この資料だと東日本のどの地方かは分からないので、東京へ吸い取られているのか、東日本大震災で東北からの避難者の帰還などもあるかも知れません。名古屋辺りも含まれてるかも。
 社会的移動では若干の転入超過だったのに対し、それ以上に自然減少(死亡)が多かったという事になります。
 若返ったようには思えませんが。
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