六甲1号の出撃にっき

撮影ロケの出撃模様のほか、日々の雑感なんかも綴ったものです。

祝 三陸鉄道全線復旧 ドタバタ旅 後編

2014-04-18 |  出撃 at 東北地方
 三陸鉄道南リアス線に無事乗車し釜石に到着しましたが、このあと北リアス線の乗車駅である宮古まで移動する必要があるのですが、この区間は東北の復興なんかよりも東京‐上野直通工事の方が大事と、JR東日本が山田線の運営を完全に放棄した形となっており、地元のバスを乗り継ぐしかなく、当然青春18きっぷなどの乗車券も効力が無いため、別途支払って乗る必要があります。1年半前に既に来ているので勿論学習済みです。
 後半の旅程は、釜石10:50→(岩手県交通バス)→11:39道の駅やまだ11:49→(岩手県北バス)→12:49宮古13:15→(三鉄113D)→14:49久慈14:56→(八戸線446D)→16:48八戸17:06→はやぶさ28号→17:44盛岡18:17→1550M→19:49一ノ関19:54→548M→21:33仙台
 ちょっと乗り継ぎが慌しいですが、頑張って乗り継ぎます。

 バス2本で釜石→宮古乗り継ぎ

 SL銀河号の試運転列車の音がするのを横目に、10:50発の岩手県交通・道の駅やまだ行きに乗ります。前回は銀色の古いバスでしたが、今回は割と新しい感じのバス。

 鵜住居・吉里吉里地区を通ります。この辺りも1年半前とほとんど変わってなくて、全く復興が進んでいない感じです。取り残された線路の路盤がそのまま放置されてます。

 おっと、ここで問題発生! 何とバスが10分近く遅れてしまい、岩手船越の駅前で既に乗り継ぎ予定の県北バスが先行停車中。でも止まってくれてるのでここで乗り換えようとした瞬間、何と乗り継ぎ客を無視して、そのまま発車していきました。次の道の駅やまだで乗り継げるかの期待も虚しく、乗り継げないまま下車することに。おいおいマジかよ!
 「乗り継ぎ時刻表って書いてあるんやから、ちゃんと接続取らんかえや!」と大阪から青春18きっぷで乗り継いできたという爺さんが運転手に噛み付いてましたが、悪いのは見切り発車した県北バスの運転手なので、ちょっと気の毒ですけど、逆コースもあるので、注意がてら怒ってるのでしょう。
 この爺さんは気仙沼のBRT乗車からずっと同じ行程で北上してきましたが、このあとの北リアス線の車内では見かけなかったので、怒って釜石(仙台)方面に帰ったのかも知れません。
 次のバスは約2時間後の13:36までありません、どうしよう・・・。


 道の駅やまだで取りあえず昼食とし、ここから後の旅程プランの練り直しです。今からだとどう転んでも宮古駅13:15発の列車に乗ることは不可能ですから、全て1本以上後ろへずれる形になります。

 宮古行のバスのうち、道の駅やまだを通過する盛岡行106急行が岩手船越を13:15に発車するので、仕方なく岩手船越まで歩いて戻りました。106急行を待っている間に、釜石からの1本後のバスが到着。これに乗る予定にしてたら、釜石でSL銀河の試運転列車の発車シーンが撮れたのになぁ・・・と思っても後の祭りです。106急行は時間通りに出発。釜石から乗り継いで来た地元鉄っぽいサラリーマン風の出で立ちの人と地元のオジサンと私の3名を乗せて出発。


 織笠付近。ここも壊滅状況の場所ですが、建設工事の土音は感じる場所です。写真とは反対側の車窓左手にあたる高台へ住宅造成工事用のコンベアが4月に入って動き出したとのこと。

 陸中山田付近の様子ですが、ここもまだまだ復興へはかなり足遠い状況です。

 海側は美しい景色が展開しており、ぼおっと眺めていると、恐ろしい津波の事など忘れそうなほどの景色です。

 しばらく行くと左側に山田線の線路が見えてきました。山あいや高台などではほとんど被害を受けていない感じでさえ受けます。すでに線路の一部が雑草で覆われている箇所もありました。

 宮古駅前に到着し、忌まわしかったバス乗り継ぎ区間を終えます。このバスはそのまま急行盛岡行きとして走ります。

 北リアス線 宮古→久慈に乗車

 いよいよ三鉄北リアス線に乗るため、駅舎に入ります。

 駅舎内では乗車券類の他に、土産物なども数揃えて、観光客を迎えます。盛・釜石・久慈を含めた中では一番大きいかも。

 宮古発15:05の久慈行に乗ります。こちらも36-700形。

 復活運転再開のヘッドマーク。こちらは純粋に広告なしの物。

 36-700形の車内。大きなテーブルがあって観光客に好評。

 田老に到着。国鉄時代にも乗った事がありましたが、風景は一変しています。

 小本付近。海からは少し離れているような気もしますが、ここはどうだったのでしょう?

 最後まで復旧で残った田野畑駅にて。取り敢えず線路を通したという感じです。海にこれだけ近くて高さも無いことから、津波の影響はさぞかし酷かったと容易に想像できます。

 普代駅に到着、ここからは元国鉄久慈線を引き継いだ路線となります。

 有名な掘内の鉄橋からの眺め。何かドラマの場面に出てきた風景?

 「ほりうち」じゃなくて「ほりない」なのね。ちなみに開通時にはドラマで設定されていた駅名に替えるイベントもありました。

 堀内を過ぎると、今度は鉄橋から道路を見下ろす場所があり、バックにはこれから向かう八戸線の走る海岸段丘が見えます。

 野田玉川で初期型車両と交換。

 無事定刻に久慈駅に到着。途中から高校生が乗り込んできてかなり混雑しました。

 満員の高校生+観光客を降ろしたあとは、5分も経たないうちにいつもの静寂に戻っていました。

 あまちゃんを大きくアピールしてたのは、やはり久慈駅で、ここがやはり中心地なんだなと思わせます。

 あまロスの人にはとっても恋しいかも知れない記念撮影コーナーが跨線橋にありました。

 久慈駅前にて三鉄の駅舎を1枚。大きくて立派だが、中がガランドンのJR久慈駅とは対照的です。

 盛・宮古とともに、久慈駅でも三鉄グッズを売っていましたが、少々少なめの感がありますが。 

 あまちゃん人気に加え、開業30周年ということで、何のキャラクタか知りませんが、えらい飾ってありました。

 久慈駅の車庫風景。南北リアス線を通して一番大きな車庫がこの久慈駅構内にあります。

 JR八戸線で八戸へ

 久慈17:00発の八戸行きに乗ります。キハ40+48の2両編成ですが、車掌が常務。

 夕暮れの北三陸の海を見ながら列車は北へ。1本前の列車だったらもう少し明るかったけどね。

 陸中八木にて、昔来た時も確かここで交換したかな?何か記憶があります。久慈から随分乗っていますが、ここはまだ岩手県。八戸線のイメージからするとすぐに青森県に入ると思いきや、意外と岩手県内の距離があります。

 八戸に3分遅れで到着。手前の駅で馬鹿高校生が不正乗車未遂で運賃収受のための遅れ。新幹線への乗換え時間はあと7分、おまけに階段が混んでで上がるのに2分。さらに券売機の前に列。
 そこへ上りはやぶさ号の入線アナウンスが流れ、あ~もうダメだこりゃ。
 ということで、新幹線の改札口で青春18きっぷを見せて「中で切符買うから」と言って発駅証明書をもらい、新幹線ホームへ。あ~ぁ駅弁も買えず(泣)

 八戸から仙台へ
 元々の旅程だと夕方16時台に八戸に着くので、盛岡まではIGRでも新幹線でもどちらでも行けたのですが、1本遅れたので、新幹線を使わなければ今日中に仙台へ戻ることは出来なくなってしまいました。

 八戸-盛岡間は18きっぷだど、どっちにしろ別途購入になるので、第三セクターでも3,040円、新幹線だと3,500円と5百円以内の差額なので、それならばとまだ乗っていなかった東北新幹線の延伸区間に初めて乗ります。

 初めてのE5系でしたが、座席はむしろスライド機構の付いているE2系の方がいいかもとすら感じられました。
 東北本線上り普通 盛岡20:35→22:09一ノ関

 盛岡からは再び18きっぷで東北本線の普通列車に乗って一ノ関まで行きます。701系でしたが、4両編成だったので、割と余裕がありました。

 東北本線の上り列車がもうなくなった一ノ関からは再び新幹線に乗って仙台まで移動、再度E5系に乗ります。1号車は私1人だけの貸切状態でした。

 あれ?〔はやぶさ号〕って全車指定席じゃなかったっけ? いや自由席もあるんデス。

 そして本日の最終目的地仙台に到着。上り列車はもう無いので発車表示も真っ黒に。
 以上、朝からぐるっと北東北を反時計回りに回りましたが、やはり途中のバスの乗り継ぎが問題で、今後も乗り継ぎが出来ないような対応なら、2度と釜石-宮古へは行かないでしょう。ってか一ノ関→仙台間の新幹線代3,500円、岩手県北バスの人に払ってほしいぐらいです。岩手県北バスの人、見てたらカンパちょうだい!
 と少し後味の悪い?乗り継ぎ旅となりました。でも心配御無用、三鉄には、また乗りに行きたいと思います。

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