上野の森美術館で開催された「兵馬俑と古代中国」へ。
1974年中国の西安郊外で農民が井戸を掘っていた時、等身大の兵士や馬の俑(死者といっしょに埋葬した人形)が偶然発見されました。
映像で兵馬俑8000体が整然と並ぶ姿を初めて見た時の衝撃は、今でもはっきりと覚えています。にわかには信じられませんでした。
今回は兵馬俑36体が来日。
展示品が多いので(約200点)、音声ガイドを利用しました。
紀元前770年周王朝の権威が失われると春明戦国時代(秦,楚,斉,燕,韓,魏,趙の7国が独立し争った時代)が約550年続きました。この時代の副葬品は小さなものばかりでした。
紀元前221年「秦」は他の6国に打ち勝ち中国大陸を統一、秦始皇帝が誕生します。「万里の長城の建設」や「等身大の兵馬俑」で有名な始皇帝は、紀元前210年に旅の途中、49歳で急死し、その後秦王朝は滅亡しました。
始皇帝は死後も皇帝として永遠に世界の支配を夢見て、等身大の兵馬俑を陵墓の周囲に埋めさせたのではないかと云われています。
こちらは複製された兵馬俑です。
そして本物はこちら。
兵馬俑は始皇帝を守る軍隊で、歩兵、騎兵など様々な役割の兵がいます。
生前、始皇帝に仕えた実在の軍隊の人物をモデルに作られたと云われています。
😀 一体ずつ顔が異なります。紀元前に創られたとは・・・驚きです。
360度、背後の姿もリアルに制作されています。
戦車に乗り、小部隊を統率した高位の武官「戦服将軍俑」
😀 将軍俑は11体しか確認できていません。初来日の貴重な1体です。
ちなみに地味な色のイメージが強い兵馬俑ですが、元々はこのようにかなりカラフルだったようです。
😉 プロジェクションマッピングで再現されていました。
複製された「2号銅車馬」
😀 始皇帝の愛車がモデルと云われています。
実際はこのような形で発見されました。
今回の展示物で最も驚いたのが「里耶秦簡(りやしんかん)」
😀 湖南省の里耶古城の古井戸の捨てられていた木の札に書かれた(紀元前222年~紀元前208年 )の行政文書です。
昨日書かれたのではないかと思うほど筆跡が鮮明です。
😲 この保存状態は奇跡!・・・信じられない。
等身大の兵馬俑は「秦」の滅亡ととも終わり、その後約400年繁栄が続いた漢王朝では「小さな俑」となります。
見どころの多い展示が多く、おもしろかったです。
売店で「兵馬俑の落雁」 を購入。
それぞれ顔や服装が異なります。
お土産を物色しながら「それにしても、どうしてこの展覧会に行きたくなったのかな?不思議だね。」などと話していると・・・兵馬俑のレプリカが目に留まりました。
😲「おっ、おじさん!!」
等身大の兵馬俑を観ている時には全く気がつきませんでしたが、15cmほどの同じサイズの兵馬俑のレプリカを見て思い出しました。
我が家にいたのです・・・兵馬俑😅
ど~ん こちらが我が家の「おじさん」です。
20年以上前に買った福袋・・・かなり変わった(不要な)ものばかりで、当時4~5歳の姪にあげよう(押し付けよう)としたところ「これはいらない😒 」と戻されたのがこの兵馬俑でした。
捨てるのも忍びなく・・・以来、我が家では「おじさん」と呼ばれ、屋外の物置の蓋の「重し」として長年活躍しておりました。
実は兵馬俑の中でも格式高い「将軍俑」でした😅
もしかしたら「おじさん」に背中を押されて、この展覧会に行きたくなったのかもしれません😆