りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その20-⑤ 東田子の浦~

2016-08-30 08:55:00 | 旧東海道散歩
旧東海道を進みます。


国道139号線を渡ります。富士山が近い!


「青嶋八幡宮神社」通称・磔八幡(はりつけはちまん)


由緒について、吉原出身の漫画家・望月あきらさん(「サインはV」の原作者ですね)が描かれた漫画の説明板がありました。

1681年(5代将軍綱吉の時代)、幕府は財政建て直しのために地方の検地(年貢の徴収を目的した土地の測量調査)を盛んに行っていました。しかし前年の大津波で中吉原宿は壊滅、青島村も大きな被害を受けました。検地が行われると村人の生活は困窮し、村も存続できなくなります。そこで村の名主川口家2代目の市郎兵衛は、村人を救うために検地に反対し、役人の立ち入りを拒んみました。29歳の市郎兵衛はまもなく捕らえられ、江戸に送られて磔の刑に処せられました。村人は大変悲しみ、市郎兵衛の霊を当八幡宮に密かに合祀し(幕府にとっての罪人を公に祀ることはできませんでした。)、この八幡宮を「磔八幡」と呼ぶようになったそうです。
事件の82年後、市郎兵衛の罪は許されました。

本当にこの辺りには、津波にまつわる悲しいお話しが多いです。horori

富士市役所の前を通り、住宅地を抜けると・・・「富安橋」。


富士山と潤井川沿いには一足早い桜(河津桜?)・・・景色が良い場所です。かつて飛脚は江戸と京の間を1カ月に三度bikkuri行き来していました。その飛脚のために架けられた橋なので通称「三度橋」。

旧東海道の塀の中に、突然ドーン!!


大きな道祖神「さえの神」。
マツコ・デラックス風ですが、村へ悪霊が侵入するのを防ぎ、通行人や村人を災難から守る神様です。

県道を渡ると・・・


吉原宿と次の蒲原宿の中間にある「間の宿・本市場」。

かつては多くの茶屋が並んでいました。

「鶴芝の碑」


茶屋から富士山を眺めると、鶴が舞って居るように見えたので、京都の画家蘆州(ろしゅう)が鶴を書き、江戸の学者亀田鵬斉(ほうさい)が詩を添え、1820年石碑にしたそうです。

bikkuriうん?鶴?今までたくさんの富士山を見てきましたが・・・改めて富士山をじ~っと眺めると・・・


niko見えました~exclamation2exclamation2exclamation2exclamation2exclamation2exclamation2
気がついた時はテンション上がりました~kirakira
右側に頭とくちばし。中央に羽。
イメージとしてこのような鶴が羽ばたいている感じ。


もう一度。

winkいかがですか?見えますか?
果たしてこれが正解の「鶴の見え方」なのかは不明ですが・・・我々には、このように見えました。

大きな道路を迂回し・・・


江戸から35番目の「本市場一里塚跡」


富士本町通りから「JR富士駅」に到着!


20,360歩の散歩でした。

今回もわざわざ沼津駅へ戻り「沼津魚河岸鮨」で食事。
今回は新幹線利用なので、思いっきり飲んで帰宅しました。


その後の新幹線の乗り換えで気がついたのですが、お気に入りの「沼津魚河岸鮨」・・・実は、三島駅にも東京駅にもありました。hi
(2016.03.13)


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旧東海道散歩 その20-④ 東田子の浦~

2016-08-28 08:49:00 | 旧東海道散歩
再び旧東海道を進むと・・・


道がカーブしたところに和田川に架かる「平家越えの橋」。
源平合戦で有名な古戦場の一つです。


1180年伊豆で兵を挙げた源頼朝を討つため、平家軍7万人が富士川西岸に集結。対する源氏軍は東岸に20万人集結していました。平家軍は、農漁民の炊事の火を源氏軍の篝火(かがりび)と思うほど弱気になっていました。源氏軍が敵の後ろから攻め込もうと移動したところ、驚いた大群の水鳥が一斉に飛び立ちます。その音に驚いた平家軍は、敵の襲来と誤認し、我先にと逃げ出し陣中は大混乱。源氏軍は戦わずに勝利を収めた・・・ということで、後日平家軍が世間から嘲笑を受けるもとになった合戦です。

うんquestion2question2富士川?ここを流れるのは和田川です。富士川はもっと西側に位置します。しかも古戦場となった川にしては・・・小さすぎませんか?物語のスケールとイメージが一致しないsoppo

実は、この疑問を抱えたまましばらく旧東海道散歩をすることになったのですが、蒲原宿で出会った「歴史の先生」(・・・と勝手に呼んでいます。)がこの疑問を解決してくれました。

nikoかつて富士川は現在の位置より東側に、しかも幾筋もの流れとなって海に注いでいたそうです。 川と川の間は広大な湿地帯だったので富士川の幅はかなり広かったと想像できます。その後、大地震などの影響で地形が変化し、富士川も西側へ移動し、現在の位置となったと考えられるそうです。・・・これで、スッキリ!疑問が解決しました。ok

3代目の吉原宿「新吉原宿」に入ります。


「東木戸跡」宿場の江戸側の出入口です。


岳南鉄道の踏切を渡り商店街へ。


アーケードのある昔ながらの大きな商店街が懐かしい。ただ週末にもかかわらず人通りが少ない・・・少し心配になります。


この商店街がかつての吉原宿の中心です。本陣2軒、脇本陣3軒、旅籠60軒もある大きな宿場でした。

「脇本陣跡」和菓子の南岳堂屋 

nikoこのようにかつての本陣・脇本陣はお店になっています。

江戸時代から続く「鯛屋旅館」

niko幕末は清水次郎長や山岡鉄舟の常宿でした。今はビジネスホテルです。

商店街のお休み処「吉原小宿」


中に入ると、お茶とお菓子でもてなしてくださいました。寒かったのでとても嬉しかったです!
係りの方がとても良い方で、静岡県内の東海道散策マップを頂き、吉原宿のことをいろいろ教えて頂くことができました。ご当地グルメは「つけナポリタン」。6月の「祇園祭り」は盛大でおススメ・・・と伺い「お祭りの時にまた来ます!」と約束してお別れしました。

頂いた散策マップを見ながら商店街をウロウロしていると・・・我々の横を通り過ぎた若者が、わざわざ戻って来てboy「何か迷ってますか?大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。

先程の焼きそば屋さんのこわもての男性、吉原小宿の方、この若者・・・親切な人々に出会って、すっかりこの町のファンになりました。meromero2

少し進むと「長さん小路」


長さんといえば・・・ザ・ドリフターズのリーダー「いかりや長介」さんです!子供の頃は「8時だヨ!全員集合」に夢中になり、大人になると俳優の長さんに魅了されました。
東京都墨田区の生まれですが、青春時代の16年間を富士市で過ごしたことからこの一角を「長さん小路」と命名したそうです。

この辺りに道標跡があると地図にあったのですが・・・見つかりませんでした。

nikoこの道は富士山への登山ルートでもありますが、旧東海道は左折。

「木之元神社」

niko祇園祭で使われる山車は、この格納庫の中。

小潤井川(うるいがわ)の手前に「西木戸跡」

niko吉原宿の京都側の出入口です。ここで吉原宿ともお別れです。

(まだ、つづく)






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旧東海道散歩 その20-③ 東田子の浦~

2016-08-26 09:03:00 | 旧東海道散歩
旧東海道へ戻るとこの景色。

bikkuriこの煙突!近くで見ると迫力があります。

もともと吉原宿はこの辺りにありました(元吉原宿)が、津波の被害で2度移転しています。


ちなみに遊郭があった江戸の「吉原」は、創設者の庄司甚内がこの地「吉原宿」出身であったためという説もあるそうです。(諸説あります。)

ちょうど良いタイミングで「やきそば 小川商店」


ミックス焼きそばを注文しました。量はやや少なめですが、素朴な味で美味しかったです。
店内には結構お客さんがいて、隣の席には、こわもてのお兄さんhanadi
トイレを利用したかったのですが、なかなか空かなくて席で待っていたら・・・
hanadi「空いたよ・・・」
・・・と親切に教えてくれました。イイ人でした。

踏切を渡ると・・・


日本製紙富士工場鈴川


「JR吉原駅」の前を通り過ぎると・・・


「吉原駅前駐車場」

niko屋根付きです!

沼川に架かる河合橋を渡るとこの景色。


街道沿いの松の木も数本残っていました。


東海道新幹線のガード下を通ると・・・


「中吉原宿跡」

津波の被害で元吉原宿から移転した、2代目「吉原宿」です。
富士山が左側に見えてきました。
旧東海道を京都へ向かうと、常に富士山は右側に見えます。左側に富士山が見えるのはこの場所と茅ヶ崎の南湖のみ。「左富士」として有名な場所です。

「左富士神社」


神社の前の広場には、江戸から34番目の「依田橋一里塚」


きれいに整備されている・・・と思ったら、5カ月前(2015年10月)に完成したばかりでした。実際の一里塚は神社の50mほど北側にあったそうですが、今まで「一里塚跡」がなかったために訪れた人々が場所を同定できず問い合わせが続出!・・・ということで、このように立派に整備されたそうです。

meromero2これまで旧東海道を歩かれた先輩方!見て下さい!!このような立派な「依田橋一里塚」が完成しましたよ!ここを訪れた多くの先輩方が依田橋一里塚を探し、迷い、問い合わせて下さった結果です!そして整備して下さった町の皆様、ありがとうございます!

敷地内には、江戸時代の津波の被害がどれほど深刻であったかを記した碑もありました。津波の被害で宿場は「元吉原宿」からこの「中吉原宿」へ移転しましたが、その後この地も津波に襲われ「新吉原宿」へ移ることになります。悲しい歴史です。

歌川広重 「東海道五十三次之内 吉原 左富士」

絵の左奥に富士山。手前の馬には三人も乗っていて、後ろの子供が富士山を見ています。道に立つ黄色い杭の文字は読めませんが、「名所 左富士」などと書いてあるのでしょうか。

今はこの景色。


交差点の一角に、左富士の碑がある小さな公園がありました。


少し進むと突然標識。「名勝 東海道左富士」

wink先程の浮世絵の中の黄色い杭の文字はこれが正解かも?標識も黄色です。

(つづく)
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東京定点写真&写真の教室

2016-08-24 07:06:00 | ノンジャンル
久しぶりに銀座「ソニービル」へ。

ソニーイメージングギャラリーで開催されている写真家・鷹野晃さんの作品展「東京定点写真 ~夕暮れと100年散歩~」に伺いました。


5台のモニターに連続した写真が次々と映し出され、東京の「夕暮れの時間」「100年の時空」を楽しむことができます。通常の写真展とは異なった企画に驚きました。
動画とは違った時間の流れを味わうことができて、とても心地よい時間でした。

meromero2是非DVDで発売して欲しいsymbol1

新刊「1週間で突然うまくなる!写真の教室」


プロの技術をわかりやすく学ぶことができます。周囲の写真好きの人々にもプレゼントしたいと思います。
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旧東海道散歩 番外編⑮ 昭和のETV

2016-08-22 09:40:00 | 旧東海道散歩
旧東海道散歩中の坂道から見たこの景色で、昔のテレビ番組を思い出しました。


昭和の教育テレビ(ETV)「はたらくおじさん」


タンちゃん(男の子)とペロくん(犬)が職場を訪ねてどのような仕事をしているか学ぶ・・・という番組です。町工場が紹介されることも多かったので、この景色を見て思い出したのかもしれません。主題歌も覚えています。

symbol7ヤッホー ヤッホー ぼくタンちゃん  ワンワンワワン ぼくペロくん まるいめくるり みえるかい ながいみみぴくり きこえるかい あってみようよ あのおじさん きいてみようか このおじさん タンちゃん ペロくん ふたりで たんたんたん はたらくおじさん はたらくおじさん こんにちはsymbol7

もうひとつ、小学校の道徳の時間。
先生が観音開きの戸を開けると、箱の中からテレビ登場。学校でテレビを見る・・・という特殊な状況にテンションが上がる子供たち。

低学年の時は「みんななかよし」


symbol7口笛吹いて~ 空き地へ行った~ 知らない子がやって来て~ 遊ばないかと笑って言った~ ひとりぼっちは つまらない 誰とでも 仲間になって 仲良しになろう 
口笛吹いて~ 空き地へ行った~ 知らない子はもういない みんな仲間だ 仲良しなんだsymbol7

高学年になると「明るいなかま」


symbol7あいつを初めて知ったとき ジロリとにらんだだけだった イヤな感じと思ったけれど 話のわかるヤツだった ケンカもしたさ 仲間だもんな 仲間 仲間 仲間
あいつがその朝こなかった ポツンと机があいていた なんだかやっぱり気になるんだよ きのうのうちにゴメンナと 言えばよかった 仲間だもんな 仲間 仲間 仲間symbol7

この主題歌が流れる時の映像・・・広い校庭に楽しそうな遊具。当時流行っていたタイヤの跳び箱。憧れでした。
懐かしい昭和の教育テレビの思い出です。
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