「四日市市立博物館」にも立ち寄りました。
「時空街道」という常設展では、まず巨大なスクリーンに、原始・古代からの四日市が映し出され、テンションが上がります。
竪穴住居の時代、室町時代の四日の市や・・・
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照明で朝から夜まで体感できます。
江戸時代の四日市宿も映像を交えて再現されています。
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すごい!
「ご説明しましょうか?」と解説員の方が声をかけてくださったのですが、博物館見学は早めに終了して旧東海道を先に進みたかった我々・・・お気持ちはありがたかったのですが、今回は遠慮させていただきました。すみません
明治時代、昭和初期、昭和40年代の生活も再現されていました。
「懐かしい~!」と見学していると、別の解説員の方が「どうぞどうぞ部屋の中へ上がって良いですよ」と声をかけてくださいました。
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「えっ!? 中へ入って良いのですか?」
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「どうぞどうぞ!」
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「お邪魔しま~す」
わ~!子供の頃にタイムスリップしたみたい・・・友達の家に遊びに来た感覚で部屋の中を見せていただきました。
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鏡台、ペナント・・・あのぬいぐるみも記憶にあります!
解説員の方が、四日市市の歴史について説明してくださいました。
我々と同世代は「四日市」といえば「喘息」を思い浮かべる方も少くないと思います。
小学生の頃・・・・世の中は大気汚染公害が大問題になっていました。社会科の授業でも「四日市喘息」の話題は何度も取り上げられたことを記憶しています。
解説員の方が、公害がこの街でどのように発生し、市民はどのように受け止めていたのか、研究者、医師、市民、行政、企業がどのような取り組みを行ったのかなど、今まで知らなかった地元ならではお話しをうかがうことができました。
様々な環境改善により1976年(昭和51年)には市内全域で二酸化硫黄濃度(呼吸器系疾患の原因)は国の環境基準をクリアしていたそうですが・・・子供の頃のイメージというのは恐ろしいもので、大人になっても長い間「四日市といえば喘息」というイメージを抱いていました。
このことを正直に解説員の方にお伝えしたところ・・・
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「いやいや無理もありません。私も大学は東京でしたが、四日市出身と話すと公害とか、喘息とか・・・必ず言われましたから」
おそらくいろいろな思いがあり、今、解説員をされているのではないかと想像するのですが、我々にその思いを押し付けることもなく、とてもわかりやすく淡々と解説をしてくださる姿が印象的でした。
解説の途中、「君たちはどう生きるか」(思春期の頃に最も感銘を受けた本です)の作者である吉野源三郎さんと四日市市の繋がりなども教えていただき、話しは盛り上がり・・・気がつけば2時間近く博物館に滞在しておりました。どうもありがとうございました!
こにゅうどうくんの自動販売機を発見!
旧東海道散歩に戻ります。
阿瀬知(あせち)川に架かる阿瀬知橋を渡り・・・
「丹羽文雄(にわふみお)生誕之地碑」
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小説家 丹羽文雄は崇願寺で生まれたそうです。小説は・・・すみません拝読したことがありません
近鉄名古屋線の高架下を通り・・・
鹿化(かばけ)川に架かる鹿化橋を渡ります。
(つづく)