りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

3月末の週末は・・・

2020-03-30 09:02:00 | ガーデニング
土曜日は晴天で暖かい日でしたが、日曜日は一転、朝から雪snow


せっかく咲いた春の花にも雪snowsnow


うん?


大変!油断していたら、めだかの水鉢が雪まみれsnowsnowsnowhi


早速、救出に向かいました。
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果実酒

2020-03-22 09:01:00 | ノンジャンル
気が向いた時に果実酒作りをしていた時期がありました。
2006年と2007年に漬けた梅酒、2012年に漬けたクランベリー酒piyo


久しぶりに飲んでみると…とても美味しかったです symbol1

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旧東海道散歩 その42-⑤ 富田駅~

2020-03-19 07:53:00 | 旧東海道散歩
「大宮神社」と864年(貞観6年)創建の「興正寺」


天白川に架かる天白橋を渡ると・・・


両聖寺

niko境内で催される「つんつく踊り」は大勢の人が手をつなぎ、囃子に合わせて円陣を作っていく踊り・・・天白川の堤防を固めるために踊ったことが始まりと云われています。

「日永神社」


1656年(明暦2年)日永の追分に建てられた「追分道標」が、境内に移され残っています。

bikkuri東海道で最古の道標・・・貴重です。

織田信長の家臣滝川一益の菩提寺「長命山薬師堂」


「西唱寺」


そしてそして・・・記念すべき日本橋から100里の「日永一里塚址」は、家と家の隙間にありましたwink


「東海道名残りの一本松」

この辺りには大きな松の木が立ち並び、民家はなく「縄手」と呼ばれていたそうです。

「東海道日永資料館」は残念ながらすでに閉館していました。


追分の交差点


歩道橋を渡ると・・・


東海道と伊勢街道の分かれ道「日永の追分」

niko鳥居は1774年(安永3年)久居出身(三重県)で江戸に店を持っていた渡辺六兵衛が、伊勢出身者に浄財を募りこの土地を購入し、伊勢神宮の二の鳥居を建てたそうです。(一の鳥居は七里の渡しにありましたね。)

1849年(嘉永2年)建立の道標と常夜燈

niko「右 京大坂道」「左 いせ参宮道」

そして・・湧き水kirakira
昨日出会ったおばあちゃんお勧めの美味しいお水です。


四日市あすなろう鉄道「追分駅」・・・だいぶ暗くなりましたがもう少し頑張りましょう。


「大蓮寺」


真っ暗な道をひたすら歩き・・・


四日市あすなろう鉄道「小古曽駅」に到着!


26,731歩の散歩でしたrun


(2018.11.24)

名古屋へ向かう帰りの電車の中から見えたのは・・・季節外れの花火大会kirakira2kirakira2kirakira2


7月予定されていた桑名水郷花火大会が台風の影響で延期され、この日に開催されたそうです。
桑名から名古屋まで電車は伊勢湾の海沿いを走るので、長い間花火を楽しむことができました。ある意味特等席・・・ラッキーでしたmeromero2

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旧東海道散歩 その42-④ 富田駅~

2020-03-16 07:36:00 | 旧東海道散歩
「四日市市立博物館」にも立ち寄りました。

「時空街道」という常設展では、まず巨大なスクリーンに、原始・古代からの四日市が映し出され、テンションが上がります。


竪穴住居の時代、室町時代の四日の市や・・・

niko照明で朝から夜まで体感できます。

江戸時代の四日市宿も映像を交えて再現されています。



meromeroすごい!

「ご説明しましょうか?」と解説員の方が声をかけてくださったのですが、博物館見学は早めに終了して旧東海道を先に進みたかった我々・・・お気持ちはありがたかったのですが、今回は遠慮させていただきました。すみませんase

明治時代、昭和初期、昭和40年代の生活も再現されていました。


「懐かしい~!」と見学していると、別の解説員の方が「どうぞどうぞ部屋の中へ上がって良いですよ」と声をかけてくださいました。
bikkuri「えっ!? 中へ入って良いのですか?」
smile「どうぞどうぞ!」
niko「お邪魔しま~す」

わ~!子供の頃にタイムスリップしたみたい・・・友達の家に遊びに来た感覚で部屋の中を見せていただきました。

niko鏡台、ペナント・・・あのぬいぐるみも記憶にあります!

解説員の方が、四日市市の歴史について説明してくださいました。


我々と同世代は「四日市」といえば「喘息」を思い浮かべる方も少くないと思います。
小学生の頃・・・・世の中は大気汚染公害が大問題になっていました。社会科の授業でも「四日市喘息」の話題は何度も取り上げられたことを記憶しています。
解説員の方が、公害がこの街でどのように発生し、市民はどのように受け止めていたのか、研究者、医師、市民、行政、企業がどのような取り組みを行ったのかなど、今まで知らなかった地元ならではお話しをうかがうことができました。
様々な環境改善により1976年(昭和51年)には市内全域で二酸化硫黄濃度(呼吸器系疾患の原因)は国の環境基準をクリアしていたそうですが・・・子供の頃のイメージというのは恐ろしいもので、大人になっても長い間「四日市といえば喘息」というイメージを抱いていました。
このことを正直に解説員の方にお伝えしたところ・・・
smile「いやいや無理もありません。私も大学は東京でしたが、四日市出身と話すと公害とか、喘息とか・・・必ず言われましたから」

おそらくいろいろな思いがあり、今、解説員をされているのではないかと想像するのですが、我々にその思いを押し付けることもなく、とてもわかりやすく淡々と解説をしてくださる姿が印象的でした。
解説の途中、「君たちはどう生きるか」(思春期の頃に最も感銘を受けた本です)の作者である吉野源三郎さんと四日市市の繋がりなども教えていただき、話しは盛り上がり・・・気がつけば2時間近く博物館に滞在しておりました。どうもありがとうございました!


こにゅうどうくんの自動販売機を発見!


旧東海道散歩に戻ります。


阿瀬知(あせち)川に架かる阿瀬知橋を渡り・・・


「丹羽文雄(にわふみお)生誕之地碑」

niko小説家 丹羽文雄は崇願寺で生まれたそうです。小説は・・・すみません拝読したことがありませんase

近鉄名古屋線の高架下を通り・・・


鹿化(かばけ)川に架かる鹿化橋を渡ります。


(つづく)
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旧東海道散歩 その42-③富田駅~

2020-03-13 08:51:00 | 旧東海道散歩
四日市宿に入りました。
四のつく日に市場が開かれていたため「四日市宿」・・・本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠98軒の宿場でした。

1550年(天文19年)創業、なが餅の「笹井屋本店」


「東海道 ここは四日市」という「こうにゅうどうくん」ののぼりが出迎えてくれました。


「問屋場跡」

nikoこの辺りに本陣、脇本陣もありました。

四日市市立中部西小学校付近には幕府天領支配の「代官所」がありました。


1810年(文化7年)建立の「手差し道標」

niko「すぐ江戸道 すぐ京いせ道」・・・「すぐ?」と疑問に思ったら「まっすぐ」のことでしたase2

この辺りは旧東海道が現存していないので(戦災で焼失してしまいました)・・・


回り道をして遠くに見える「スワ栄アーケード」を目指します。

niko詳細な地図をありがとうございます。

「スワ栄アーケード入口」


「諏訪神社」

nikoここまでが四日市宿・・・四日市宿の西側入口です。

このアーケードが旧東海道。


この頃、ゆるきゃらグランプリで組織票が問題になっていた四日市市のゆるきゃら「こにゅうどうくん」」

nikoいたずら好きな妖怪の男の子・・・お父さんは日本一大きいカラクリ人形「大入道」

アーケードを歩いていると・・・いました!

説明は特にないけど・・・間違いない!きっとお父さんの「大入道」・・・昭和感が半端ない。
首が・・・伸びます。しかも・・・サンタクロース姿wink


親子で似ていない気もするのですが・・・よく見ると太い眉毛がそっくりsymbol1
いつの間にか、このビミョーな親子のファンになっていましたmeromero2


ランチは四日市名物「とんてき」を頂きました。

meromeroと~っても美味しかったです。

近鉄四日市駅前で初めて見ました「緊急ボタン」・・・サイレンを聞いたら周りの人が110番するシステムです。


四日市市には「近鉄四日市駅」と「JR四日市駅」があるのですが、両駅は1kmほど離れています。賑わっているのは近鉄四日市駅周辺です。
前日、四日市に宿泊した我々・・・この状況を把握していなかったのでJR四日市駅を下車。閑散とした駅前にはタクシーもバスもなく・・歩き疲れた身体で、15分歩いて近鉄四日市駅近くのホテルに向かったのでしたhi

駅の構内にある「四日市物産観光ホール」




萬古焼の「日本一の蚊やりぶた」

niko身長160cmもあります。

(つづく)
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