りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

富士サファリパーク

2015-12-27 17:34:00 | お出かけ
お天気が良かったので山梨方面へドライブ。


富士サファリパークに立ち寄りました。厳重なゲートを車で通過すると・・・


「熊ゾーン」 想像以上に大きい!


「ライオンゾーン」  基本、だらだらしていますが、近いので大迫力!

bikkuri木登りライオンも。近い!

「虎ゾーン」

niko絵になる格好良さ。

「チーターゾーン」

hekomi走る姿は見ることができませんでした。

園内には、万が一に備え警備の車が至る所で待機しています。


「草食動物たち」




「可愛い小動物たち」もいます。


このような写真も撮影できます。

「チーターと富士山」


「ゾウと富士山」


帰りは富士山が見える温泉に立ち寄りました。


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Merry Christmas 2015

2015-12-25 21:36:00 | ノンジャンル
可愛いクリスマスカードを頂きました。


今年のクリスマスも近所の公園へ。








可愛いキャンドルも大集合。


我が家のクリスマス。






壁に掛けてある絵は、明るいとこんな感じですが…


暗くするとイルミネーションが輝く仕掛けです。


意図していませんでしたが、今年のクリスマスのテーマは「家」となりました。
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「旧東海道散歩 その13-② 二宮~」

2015-12-22 20:04:00 | 旧東海道散歩
江戸より19番目の「小八幡の一理塚」跡。


この散歩を始めた時、最初の一理塚がものすごく遠く感じられましたが、気が付けば19番目。
一里の距離感もつかめてきた気がします。

杉並木を歩いている、目を引く立派な黒壁と門。


説明板はありませんでしたが、調べるとと「川辺本陣跡」でした。ということは、ここも「間の宿」・・・ということですね。現在は児童養護施設となっています。

酒匂(さかわ)川と酒匂橋。


江戸時代、酒匂川には橋がありませんでした。(江戸を防衛するために)幕府は渡し船も認めなかったので、旅人は渡し場から輦台(れんだい:人が担ぐ板)に乗ったり、人夫に肩車されたり、自ら徒歩で・・・といった方法で川を渡るしかなかったようです。旅人にとって大きな川はとても不便で、印象深い場所。小田原には立派な小田原城があるにも関わらず、旅人が小田原といって思い浮かべるのは酒匂川だった。・・・故に、多くの浮世絵に描かれているのでしょう。

歌川広重 「東海道五十三次之内 小田原宿 酒匂川」




川の東側の渡し場は、今の酒匂橋のたもと辺りにあり、西側は100m程上流の八幡神社の近くにあったそうです。
川が増水すると川を渡ることはできないので、「間の宿」が利用されていたのですね。

少し寄り道をして「新田義貞首塚」へ。案内板はありますが、少しわかりにくい場所にあります。


新田義貞は、「鎌倉攻め」で有名な鎌倉幕府を滅ぼした鎌倉末期の武将ですが、足利尊氏に敗れ、越前国(福井県)藤島で討死し、38歳の生涯を閉じました。義貞の家臣が足利尊氏から義貞の首を奪い返し、義貞の本国である上野国(群馬県)に葬るために東海道を進んでいたところ、この辺りで病気となってしまい、やむなく義貞の首をこの地に埋葬したと云われています。(首塚は他の場所にもあり、諸説あるようです。)

旧東海道へ戻り、山王川を渡り・・・


「山王神社」


山王神社の近くに「江戸口見附跡」


小田原城下に入る東側の出入り口で、ここから小田原宿となります。
この近くの海寄りに江戸より20番目の「山王原村一理塚」があったそうです。


niko大正時代の江戸口見附の様子です。

新宿交差点を左折して、蹴上(けあ)坂を登ると・・・小田原名物「かまぼこや」さんが建ち並ぶ通りに出ました。すっかり日も暮れて、静かな町並みです。


童謡「おさるのかごや」で有名な「小田原提灯」


♪エッサ エッサエッサホイサッサ おさるのかごやだ ホイサッサ
日暮れの山道 細い道 小田原提灯ぶらさげて ソレ
ヤットコ ドッコイ ホイサッサ ホーイホイホイ ホイサッサ♪

小田原提灯は、「畳んで携帯できる便利な提灯」として江戸時代に大ヒットしたそうで、小田原宿には多くの提灯造りの家があったそうです。

静かな町並みを抜けると・・・「小田原宿なりわい交流館」。
夜の町に、雰囲気のある素敵な構え。小田原の観光案内所です。


江戸時代は旅籠で、大正時代は魚網の問屋だったそうです。中に入ると、冷たい麦茶でもてなして下さいました。喉が渇いていたので、美味しかった~!ご馳走様でした!
誰でも立ち寄れる「お休み処」・・・という役割もあるそうで、我々と入れ違いに「こんばんは~!また来ちゃいました~!」と地元の若者が入って行きました。住んでいる町に、このような憩いの場所があるというのは羨ましいです。

北へ向かうと・・・ライトアップした和食料理店「だるま」が目を引きます。


商店街にはスモーク専門店。割引してくれたので、思わず購入。美味しかったです。


「JR小田原駅」に到着。


駅の改札には大きな小田原提灯が!


発車メロディーは、やはり「おさるのかごや」でした。(しばらくこの曲が頭から離れず・・・困りました。)

20,090歩の散歩でした。

(2015.9.22)

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「旧東海道散歩 その13-① 二宮~」

2015-12-21 20:38:00 | 旧東海道散歩
今回は車で移動。
二宮駅周辺に駐車場が見つからず、国府津駅の近くに駐車しました。たまたま見つけた駅前の「相仙」でランチをすることに…。
小鉢にはかまぼこ。小田原が近いことを感じます。


ご常連が多い人気店。調べたら、歴史のあるお店でした。
大正時代、国府津駅は小田原、熱海、箱根への玄関口として栄えていたそうで、待合茶屋「AISEN THE HAUSE」は、外国人遊覧客も接待していました。
相州(相模国)の「相」と主人の名前「せん」から「相仙」。名付け親は伊藤博文。
せんの兄が伊藤博文の用心棒だった縁で、伊藤博文もこのお店で電車の到着を待っていたそうです。

niko昔の相仙 です。(相仙H.P.より)

JR東海道線で国府津駅から二宮駅へ移動し、改めて「二宮駅」から出発です。


国道1号線をしばらく歩くと…


分岐点に「押切坂一里塚」。日本橋から18番目の一里塚です。

分岐点を左に進んだ堀切坂が旧東海道です。

坂の途中にある家の庭先に「松屋本陣跡」


本陣・・・とはありますが、宿泊する場所ではなく、休憩所だったようです。
江戸時代、宿と宿の間にある村は「間の村」と呼ばれていました。
大磯宿と小田原宿は16kmと長いので、この辺りに「間の宿(あいのしゅく)」として休憩所があったそうです。
近くの酒匂川が増水すると、旅人はこの「間の宿」で待機せざるを得なかったようで、かなり賑わっていたようです。

途中に道祖神。


押切坂といっても、平坦な道が続く・・・


と思ったら、下り坂は結構急でした。

niko振り返って見たところです。

国道1号線に合流し、さらに進み・・・押切橋を渡り・・・


ついに小田原市に入りました!


押切坂を上り、下ったところで遠くに海と箱根の山々が見えてきました。今後、難所と云われるあの箱根の山を超えなければなりません。

旧東海道沿いに大山道(羽根尾通り)の入口。立派な道標が目を引きます。


ここから北へ向かうと大山です。江戸時代、大山詣でが盛んであったことが垣間見えます。

あまりにも立ち寄る場所が少なく、単調な散歩なので、旧東海道を少し離れ、北へ向かいました。高台にある「近戸神社」に到着。


思いの外坂道が続き、少し道に迷い、遠回りとなってしまったのでやや疲れました。静かな居心地の良い神社だったので、ここで休憩。旧東海道へ戻る道で、遠くに相模湾が見えました。

余談ですが・・・この日は気温が高く、こまめに水分補給をしたかったのですが、今回の散策では、なかなか自動販売機と出会えず辛かったです。

国府津駅入口。先程駐車した車を確認しつつ通過します。


真樂(しんらく)寺。


親鸞聖人が7年間過ごした草庵跡があります。
そういえば、夏に比叡山で親鸞聖人が修行した場所を訪れました。
90歳まで生きた親鸞・・・その人生を少し知りたくなりました。
(つづく)
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大阪土産

2015-12-17 10:35:00 | ノンジャンル
大阪のお土産。
「くいだおれ太郎」は知っていましたが、お土産の存在は知りませんでした。

あら?紙袋の「くいだおれ太郎」・・・何か変。
帽子をかぶっていません。
「わての帽子、どこいったんやろう・・・」


箱を開けると・・・


ありました!可愛い帽子!

箱の中には紙でできた「くいだおれ太郎」の顔も入っていて・・・


このように帽子をかぶせることができます。

あるいはこのように・・・


お手持ちの「ミスターポテトヘッド」に帽子をかぶせて遊ぶこともできます。



もちろんプリンも美味しかったです。

おすすめの大阪土産です。


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