りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

Happy Halloween 2015

2015-10-31 23:40:00 | ノンジャンル
今年の我が家のハロウィン。

一番のお気に入りは、このタペストリーです。




妹夫婦と姪が遊びに来てくました。




先日訪れたバラ園も、ハロウィン一色でした。





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旧東海道散歩 その11-② 平塚~

2015-10-28 21:46:00 | 旧東海道散歩
国道1号線と合流したところに「平塚宿 上方見附跡」。
ここまでが平塚宿でした。


歌川広重 「東海道五十三次之内 平塚宿 縄手道」



💁 浮世絵と同じ様なアングルです。
やはり高麗山の手前を旧東海道が通っていますね。「高麗山を越えないといけない」と騙されて、平塚宿に泊まった旅人はさぞ悔しかったことでしょう。この辺りには7世紀に滅亡した高句麗からの亡命者が移り住んだ所と考えられているそうです。



田んぼの中を長く続くあぜ道を縄手道と呼ぶそうです。ですからこの道の両側は海や川ではなく、田んぼということがわかります。丸い高麗山の背後には、ごつごつした大山と真っ白な富士山。

手前の傍示杙(ほうじくい)には「ここから東は平塚宿」と記されているそうです。つまり平塚宿の宿場そのものは、この絵の中に登場しません。これまでの広重の「東海道五十三次」には、必ず宿場が描かれていたので、やや奇異に感じます。「平塚宿は描くほどの値打もない宿場だよ」という広重からのメッセージだとしたら・・・・?考えすぎでしょうか?

花水(はなみず)川に架かる「花水橋」。


旧東海道から高麗山へ向かうと「高来(たかく)神社」。


かつては「高麗(こうらい)神社」と呼ばれ、源頼朝が北条政子の安産祈願をした神社です。
ここから湘南平までのハイキングコースがあるそうなので、季節の良い時に再訪したいと思います。

一旦、国道1号線へ戻り、化粧坂(けわいざか)交差点からは国道1号線を離れ、旧東海道の松並木が残る化粧坂へ。
なだらかな坂道で,鎌倉時代の大磯の中心はこの辺りだったそうです。


化粧坂を少し歩くと「化粧井戸」。驚くことに民家の目の前にひっそりと残っています。


曽我兄弟の兄・十郎祐成の恋人「虎御前」が、この井戸の水を汲んで化粧をしていたことが由来と言われています。
この化粧井戸がある坂・・・なので「化粧坂」ということですね。。

曽我兄弟は日本三大仇討の一つとして有名です。現代では考えられないことですが、武士社会では仇討の模範とされていました。

「曾我兄弟」 歌川国芳画


源頼朝が富士の裾野で行った大規模な巻狩り(狩猟の一種)で、曽我兄弟は父親の仇、工藤祐経(すけつね)を討ちました。兄・十郎(22歳)はその場で討ち取られ、弟・五郎(20歳)は捕えられ、鎌倉へ移送される途中で首を刎ねられました。

「賢女烈婦伝 虎御前」 歌川国芳画


教養があり、とても美しい遊女・虎御前が十郎祐成と恋に落ちたのは17歳。
そして十郎が亡くなると19歳で出家し、曽我兄弟の供養を片時も忘れることなく63年の生涯を閉じたと云われます。
俳句で「虎が雨」という夏の季語は、旧暦5月28日(仇討ちを決行した日 現代では6月下旬から7月中旬)に降る雨のことで、十郎の死を悲しみ泣く涙・・・といわれています。

そして、日本橋から16番目の「化粧坂一理塚」。
近くの小さな公園でひと休み。


JRの高架下を通って…


大磯宿の「江戸方見附」。



歌川広重 「東海道五十三次之内 大磯 虎ケ雨」


もちろんこの雨は、虎が雨を意味します。広重の時代も大磯・・・といえば虎が雨だったのですね。
大磯宿の向こうに見える海岸は「小余綾(こよろぎ)の磯」。


💁今はこの様な景色です。

さらに進み…


坂道を上って…


JR 大磯駅に到着!


12,327歩の散歩でした。

(2015.8.1)
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旧東海道散歩 その11-① 平塚~

2015-10-26 21:04:00 | 旧東海道散歩
今回はJR平塚駅からスタート。


平塚といえば「七夕」。駅の発車メロディは童謡の「たなばた」でした。

まずは駅前のお蕎麦屋さんでランチ。カレー蕎麦が美味しかったです。


商店街の中にある紅谷町公園へ。
この公園の片隅には、怪談「番町皿屋敷」の主人公お菊のお墓があったと伝わる「お菊塚」があります。(現在,お墓はお寺に安置されているそうです。)


うっそうとした雰囲気。

『新形三十六怪撰 皿やしき於菊乃霊」(月岡芳年)


お菊は平塚宿の役人の娘で、江戸番町の旗本屋敷へ行儀見習い奉公に出ていましたが、主人が大切にしていたお皿を無くしたため、屋敷内の井戸に投げ込まれて殺されてしまったのです。その後恨みを抱いたお菊が幽霊となって夜な夜な井戸から現れた・・・というお話し。当時は罪人扱いで墓石を建てることも許されなかったそうで、考えてみれば可哀想な女性です。今、井戸から出てきたら、その不運な一生を一緒に嘆いてあげたい気分です。

旧東海道へ戻り平塚宿(江戸方)見附跡。


平塚宿の中心地。
本陣跡。脇本陣跡。高札場跡。


問屋場跡は、今は消防署です。


平塚宿と次の大磯宿の間はたった3km。東海道の宿間の中で3番目に短いそうです。
平塚の西側には徳川家康が鷹狩のために旅宿ととした中原御殿(別荘)がありました。


💁中原御殿 (1839年 中原御宮記より)

家康は頻回にこの中原御殿を利用していたため、その手前に平塚宿ができたのではないかという説があります。
江戸時代の川柳に「平塚の宿は毒にも薬にも」と詠まれるくらい、当時は魅力のない宿場だったようで、しかもあと少し歩くと大磯宿ですから、素通りされたり、せいぜい休憩に使われる程度でした。
そのため平塚宿では留女(とめおんな)達の強引な客引きが盛んだったようです。


💁この絵は御油の留女 ですが…引き留め方がかなり強引な様子がわかります。

平塚宿から前方にみえる高麗山を指して、「お客さん、大磯宿は直線距離では近いけれど、あの山を越えないといけない。結構大変だ。まずここで一泊して明日あの山を越えた方がイイよ!」などと親切顔をして泊まらせるのです。しかし実際は、旧東海道は高麗山の前を通っているので山を登る必要はありません。嘘なのです。ひどい話しですが、それだけ宿場の人も必死だったのでしょう。


西組問屋場跡。


旧東海道から横道に入っていくと、突き当りに「要法寺」。
日蓮上人が立ち寄られたといわれるお寺です。門の前に「ご自由にお入りください」という札。旧東海道を歩いていると門を閉じて完全シャットアウトのお寺や関係者以外立ち入り禁止のお寺に出会いました。いろいろ事情はあるのだと思いますが、こういう札に出会うととても嬉しい気分になります。ありがたく中へ入ると・・・・すごい!!


ちょうど睡蓮が満開の時期でした。大鉢にたくさんの種類の睡蓮が開花しています。このような大輪の睡蓮の花を間近で見るのは初めて。良い時期に訪れることができてラッキーでした。

要法寺の隣は「平塚の塚緑地」。


ここが平塚の地名の由来になったと言われる場所です。
桓武天皇三世の孫娘、平真砂子(たいらのまさこ)は都から東国へ向かう際に急病で亡くなってしまいました。
この「平氏の姫の墓(塚)」があるということで、この地域が「平塚」と呼ばれるようになったそうです。
(諸説あるようです。)
ベンチで一休み。この日は猛暑日でしたが、風が通って、とても涼しく感じました。

お隣の公園では、夏祭りの予行練習中でした。


平塚の塚緑地の隣は平塚宿の鎮守「春日神社」。


お参りをしていたら、お若い神主さんが声をかけて下さいました。この日は春日神社の例大祭だったそうで、「朝から近所の方々にお配りしていたものです。よろしかったらお持ち帰りください」と我々まで撒撰を頂いてしましました。中には駄菓子(子供の頃大好きだった「にんじん」も!)やお茶、つきたてのお餅まで入っていました。

旧東海道を歩いていると、時々このような素敵な出会いがあります。どこの誰かもわからない私たちに優しくしてくれる人々・・・。我々もどこかで誰かにお返ししなければ・・・という気持ちにさせてくれます。

お餅は自宅に帰って、早速焼いて頂きました。とても美味しかったです!


お茶は「神様から頂いたお茶」として、今も大事に冷蔵庫の中に入っています。
(つづく)
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2015年10月21日4時29分

2015-10-22 20:37:00 | ノンジャンル
今日は、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー Ⅱ」でドクとマーティがタイムトラベルで未来へ到着した日です。
トヨタのCMも話題になってますね。


映画では、2015年10月21日4時29分。


日本は時差があるので今日、2015年10月22日なのです。

楽しくて、夢があって大好きな映画です。

当時、弟が高校の文化祭で自主制作の映画を作ると言いだし、
それがバック・トゥ・ザ・フューチャーのパロディーだったから大変。
デロリアンがタイムトラベルするシーンは、(弟は運転免許を持っていなかったので)母が我が家の車を運転することに・・・・。
素人が初めて作る映画ですから上手くいかないことが多いらしく、監督兼ドク役の弟からはなかなかOKがでない・・・。
夜中、実家近くの坂道を何度も何度も車を走らせる母。
今となっては映画のワンシーンのように思い出されます。


学生時代には「バック・トゥ・ザ・フューチャー 」を観る(単なる映画鑑賞?)・・・という楽しい英語の授業もありました。

この英語の授業を受けた仲間とフロリダのユニバーサルスタジオを訪れ、初めてバック・トゥ・ザ・フューチャーのアトラクションでデロリアンに乗った時は大興奮!
まだ日本にユニバーサルスタジオがない時代のお話しです。

あれから30年経ちました。

映画に登場した大画面の薄型テレビ、テレビ電話、タブレット型PCは当たり前の世の中になりました。
空飛ぶホバーボードも自動でヒモが締まるシューズも発売が予定されているそうです。
弟は運転免許を取り、両親を車に乗せて旅行へ。
時代に取り残されないよう、両親も携帯電話やパソコンを使いこなしています。

映画・・・とはわかっているのですが、
今、この時間、ドクとマーティがどこかの町にタイムトラベルして来ているのでは・・・と想像してしまいます。
願わくばその場所は、弟が映画を撮っていた、母が何度も車を走らせた・・・あの実家の近くの坂道であって欲しいと思ってしまうのです。


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奥志賀高原 2015年秋 ②

2015-10-21 22:21:00 | お出かけ
翌日も快晴。朝食の後、ホテルの周りを散歩しました。

本日も紅葉狩りへ。

奥志賀高原。快晴の紅葉はさらに美しいです。
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雑魚川林道をドライブ。


道は狭いのですが、紅葉に囲まれてドライブを楽しむことができます。




途中、車が2台ほど停まっていました。
「何かある!」と直感し、車を停めて、周囲をウロウロしましたが何もない。
そこへガサガサと笹が揺れて、草むらからお二人登場。
勇気を出して声をかけると、
「けもの道だけど頑張って進むと、素敵な景色が広がっていますよ」と撮った写真を見せて下さいました。
・・・ということで我々もチャレンジ。
ここが入口。


たぶんこれが道?


道を抜けると・・・・透明な雑魚川と紅葉が見事!


教えて頂かなかったら、絶対に出会えない場所でした。ありがとうございました! 

その後もドライブは続きます。




車を停めて写真を撮っていたら、「この林道はまだまだたくさん紅葉の素敵な場所があるから、ゆっくりドライブして満喫するといいよ!」と常連らしき男性が声をかけて下さったので、雑魚川林道から秋山郷を目指すことにしました。

快晴で紅葉狩り日和。




秋山郷の布岩山(ぬのいわやま)。


この絶景はポスター等でもよく使われている有名な紅葉スポット。
下から見上げると大迫力!


見る角度で表情も異なります。

いつの間にか新潟へ。
津南町、十日町を通って湯沢から関越道で帰宅しました。
お天気にも恵まれ、楽しい紅葉狩りドライブでした。
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