りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

思い立ったら中山道 その②-4

2024-06-19 07:38:00 | 旧中山道
葉山川に架かる「葉山川橋」を渡り・・・

 しばらく真っすぐな道を進みます。

草津市から栗東市へ入りました。
😖 ここからはガードレールがなく、車もスピードを出して通るので、とても歩きにくい道でした。

「八幡宮」

魅力的なお店が続きます。
😀 懐かしい感じの喫茶店。

😍 近江牛の焼肉屋さん。

中の井川に架かる「百々川(どどがわ)橋」

「大宝(だいほう)小学校」


「綣(へそ)交差点」
😀 この地域は、古くからの麻織物の産地でした。 一説には、織物機に装着する麻糸を巻いた糸玉を「綣」呼んだことが、地名の由来と云われています。

道路沿いに松尾芭蕉の句碑が点在していると思ったら・・・


このような案内板がありました。

701年(大宝元年)創建の「大宝神社」


神社に隣接した公園には、松尾芭蕉の句碑がありました。
「へそむらの麦まだ青し春のくれ」
(ずっとあちこちと旅してきたが、ここ綣村あたりの麦はまだ青い。種蒔きがおくれたのか、寒かったのだろうか。もうまもなく春も暮れようとしているのに・・・)

 😫 ただし、この句は芭蕉の存疑句(芭蕉の作か、判定しがたい句)の一つとされています。全国各地、芭蕉の眞作と偽って金品に換えた詐欺まがいのものが多く、今でも本物か判定が難しい句が多く存在しています。
個人的には・・・芭蕉の句ではないように感じました。(あくまでも個人の感想です。)

公園内には、楽し気なブランコがありました。

公園沿いの道を進みます。

栗東市から守山市に入りました。

再びガードレールのない道を進みます。車がギリギリを通過していくので、車が通るたびに端へ避けて・・・を繰り返しながら歩いているので、とっても歩きにくいです😭 

「古高俊太郎先生誕生地」の石碑。

古高俊太郎・・・聞き覚えのある名前です。
古高俊太郎は幕末の尊王攘夷を掲げる勤王の志士でした。この地で生まれ、京で古道具、馬具を扱う「枡屋」を営みながら、諜報活動を行っていました。しかし、新選組に捕らえられ、激しい拷問を受け、「風の強い日に御所に火を放ち、天皇を長州へ連れ去ろうとする計画」があり、その集会が池田屋で開かれること自白します。この情報を元に新選組が襲撃したのが、あの有名な「池田屋事件」です。その後、六角獄舎に収容されましたが、禁門の変の火災に乗じて、斬首されてしまいました。享年36歳でした😰 

守山市の飛び出し人形は「モリピー」
😀 笑顔を見るのが大好きなハートの妖精で、頭に守山市花「ハス」を飾っています。

(つづく)

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