「大津宿大塚本陣跡」と「明治天皇聖蹟」の碑。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/90/2dd1cc5ac2c1041a6f0ceb261c295346.jpg)
😀 大津宿には本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠71軒が軒を連ねていました。
1746年(延享3年)建立の「蓮如上人近松御坊跡 」の碑。
😀 近松にあった浄土真宗中興の祖「蓮如上人」の坊舎(僧の住宅)を案内する石碑が残されています。
「京町一丁目交差点」を右折します。
😀 この辺りが大津宿の東側入口で、高札場もありました。
少し寄り道・・・大津の商店街を散歩することにしました。
「源氏物語誕生の地・大津」の旗。
😀 以前訪れた時には見かけなかったこの旗・・・2024年大河ドラマ「光の君へ」を意識して掲げらたようです。
紫式部は、中宮彰子に物語を書くよう命じられ、大津にある石山寺に7日間滞在しました。びわ湖に映る中秋の名月を見た時、源氏物語の構想が思いつき、
須磨の巻の「こよいは十五夜なりと思し出でて・・・」と書き始めたと云われています。現代の源氏物語は、桐壺の巻から始まりますが、実は須磨の巻から書き始めたと云われているそうです。
思い出の「大津曳山展示館」 に立ち寄りました。
2022年この場所を訪れた時、コロナの影響で大津祭で太鼓を叩けなくなってしまった一人の男の子が、一生懸命太鼓や鐘を叩いて練習していた姿が忘れられません。
もう一度あの少年に会えるかも・・・と少し期待していたのですが、太鼓や鐘を叩いて練習していた場所は、「太鼓を叩くゲームコーナー」に姿を変えていました。
少年との再会は叶いませんでしたが、今年の大津祭では、きっと晴れやかな笑顔で太鼓を叩いていたことと思います😊
旧東海道へ戻り・・・
「此附近露国皇太子遭難之地」の碑。
吾妻川 に架かる「ときわ橋」
😀 京都から江戸へ向かう旅人が、この川を越えた先が東国に通じているので「吾妻川」と呼ばれたそうです。そういえば旧東海道散歩で、日本橋を出て最初に渡った橋は「京橋」でした。同じ発想ですね。京橋で「この橋を越えた先は京都に通じているのか~」と思ったことが我々の「旧東海道散歩」の始まりでした。
吾妻川 は、今は小さな川です。
琵琶湖方面、遠くに見えるのは「滋賀県立琵琶湖文化館」
ここで「旧東海道散歩」で立ち寄らせていただいたお宅を再訪します。
(多くの人が立ち寄る場所なので)我々のことは覚えていないと思いますが、是非お元気な姿にお会いして、あの時のお礼を伝えたい😊
声をかけると、「どうぞお入りください」とご主人の穏やかな笑顔は変わりません。
以前、三条大橋を目指して歩いていた時に立ち寄り、丁寧に説明していただいてとても嬉しかったこと、これから旧中山道を旅する予定であることをお伝えし、持参したお菓子を手渡すと、とても喜んでくださいました。
数年で室内の展示物に少し変化がありました。
以前は地図を中心に展示されていましたが、今のメインテーマは「車石」。NHKブラタモリで取り上げられたことをきっかけに、車石を集めて展示されているそうです。
そして訪問した日は、日本シリーズで阪神タイガースがあと1勝で日本一が決まるという日・・・阪神の応援グッズの展示も増えていました。(その後、阪神タイガースは日本一となりました。おめでとうございます😊 )
「今年のタイガースは強かったですね」「我々はスワローズファンなので、悔しい思いをしました」などと話していると、突然「そうだ!!思い出した!」
「この前来た時も、これを付けていたでしょう?覚えてるよ」
そういえば前回、装着していたタイムラプスカメラに興味を持たれて、質問を受けたことを我々も思い出しました。
思い出してくれて嬉しかったです。これからもお元気でおすごしください😀
再び旧東海道を進みます。
この三叉路の辺りに「大津の一里塚」があったそうです。
「平野神社」の石柱と常夜燈
JR「石場踏切」を渡ります。
「義仲寺(ぎちゅうじ)」
😀 木曽義仲と松尾芭蕉のお墓があるお寺ですが、今回は立ち寄らず進みます。
「桝形」を抜けると・・・
「膳所城北総門跡」の石柱。
😀 城下町の西側入口・・・城下町に入ります。
(つづく)