りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 番外編⑲ 清水港の想い出 

2016-12-30 08:28:00 | 旧東海道散歩
10年以上前、初めて清水港を訪れた時の出来事です。


食事をするために清水魚市場へ。今のような立派な建物ではありませんでした。
とりあえず一番人が並んでいる人気店へ。狭いお店で、当然のように50歳代くらいのご夫婦と合席となりました。
奥様は美人ですがとても気さくで、ご主人もやや強面ですがカッコいい素敵なご夫婦です。

smile「今日はどこから来たの?」
niko「東京です。」
smile「清水は初めて?」
niko「はい。」

いろいろ話しをしていると…
smile「よく銭湯に描かれている三保の松原と富士山の景色…見たい?」
niko「はい!見たいです。」
smile「私たち沼津港で買い物して、清水港へ船で来たの。良かったらうちの船に乗る?」
niko「え~!良いのですか?」

などと即答したものの…急に不安が襲いました。
とても良い人そうに見えるけど、連れ去られたりしたらどうしよう…。hi



小さな釣り船を想像しながら港へ行くと…思いのほか大きなクルーザーが停泊していました。
覚悟を決めてクルーザーへ乗り込みました。
寝室まで完備されている立派なクルーザー…それはそれで不安になります。
バケツの中には沼津で買ったというタコ1匹…その言葉を信じます!ase

しばらくするとクルーザーは沖へ出て、話しの通り銭湯で良く見る三保の松原と富士山の美しい景色。
でも不安感から心の底から楽しめない。知ってか知らずか親切に景色を説明してくれたり、話しかけて下さる奥様。
1時間ほどのクルージングを微妙な気持ちで楽しみdokuro、清水港へ送って頂きました。

クルーザーから降りて、いろいろな意味でホッとしました。ase2
住所とお名前を伺ってお礼をしなければと思い振り返ると…
smile「またいつか会うことがあったらね~!またね~!」
と大きく手を振る奥様、離れて行くクルーザー。ship
あまりの展開にあたふたする我々は手を振り返して、お礼を言うことしかできませんでした。

本当に親切な素敵なご夫婦でした。
一生に一度経験するかしないかの夢のような出来事でした。

清水港を訪れると必ずこの場所に立って、あの素敵なご夫婦に偶然再会してお礼ができたら・・・と思いを馳せる我々です。


とは言え、良い人だったから良かったものの…やはり知らない人の船に乗るというのは浅はかだったと、この後大反省しました。ase2

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旧東海道散歩 その23-④ 興津~

2016-12-26 08:05:00 | 旧東海道散歩
国道1号線を進みます。


辻町交差点で国道1号線とお別れ。右側の細い道が旧東海道です。


「細井の松原」


江戸時代、旅人が木陰で休めるように…と街道沿いに206本の松が植えられました。距離にして約360m。しかし、太平洋戦争で航空機燃料として利用するために全て伐採されてしまったそうです。この時に、松の根を掘り起こすと多数の人骨が出土しました。かつて東海道で行き倒れになった人を村人が松の根元に埋葬したものでした。それを供養したのがこの「無縁さんの碑」です。


旧東海道を進みます。


この辺りに江戸から42番目の「江尻辻一里塚跡」があるはずなのですが・・・ない!hekomi
地図を見ながら周辺を探し回りましたが見つかりません。

すると家の前で夕涼みをしていた女性が「何か探してるの?」と声をかけて下さいました。

horori「旧東海道を歩いていて、江尻辻一里塚跡を探しているのですが見つからなくて・・・」
smile「あ~!それならあそこ!昔は小さな看板があったけど、誰かが邪魔で抜いてしまったみたいなのよ」
hi「そうだったのですか~!!」

それがこの現場!この場所が「江尻辻一里塚跡」です。

hororiできれば今後看板が復活することを願います。

がっかりした様子の我々に
smile「見て!ここから富士山が見えるのよ!」
振り返るときれいな富士山。
いろいろお話ししていたら、元気になりました。

再び旧東海道を進み・・・「江尻宿 東木戸跡」

bikkuri実はここも看板がなくて歩いている時には気がつきませんでしたが、調べてみるとこの場所でした。偶然写真が残っていました。

「JR清水駅」に到着!


清水といえばサッカーが有名・・・ということで消火栓もこの図柄。


駅前の高架からの景色。


歌川広重 「東海道五十三次之内 江尻 三保遠望」

niko久能山から清水港を眺望した絵です。魚の水揚げ港として栄えていた清水港。対岸には三保の松原、遠くには愛鷹山も見られます。

「清水魚市場 河岸の市」へ。リニューアルされて立派な建物。


まぐろ館にある「ととすけ」で元祖ととすけあげ(まぐろのカマ)も堪能。美味しかったです。




16,311歩の散歩でした。
(2016.07.02)
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SOUTHERN COMFORT

2016-12-23 07:02:00 | お出かけ
少し前になりますが、久し振りに茅ヶ崎へ。
目的は「SOUTHERN COMFORT」。サザンオールスターズの曲を聴きながら食事を楽しめるお店です。


開店前に到着してしまいましたが、お店の方のご好意で駐車場に車を停めさせて頂き、海をお散歩。

niko遠くに江の島


nikoえぼし岩も





冬の海も気持ちが良い。

お店へ戻り…


海の見えるテラス席でランチ。


あっという間に満席。やはりデビュー当時からのサザンオールスターズファン…という世代の方々ばかり。


ただ……お店の前を通る車の音で、音楽があまり聴こえないase


店内はサザンオールスターズ一色。
昔のサザンオールスターズの曲を満喫したい方は、テラス席よりも店内がお勧めです。

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アイシングクッキー

2016-12-19 09:00:00 | ノンジャンル
友人からの贈り物…クリスマスバージョンのアイシングクッキーがとても緻密!








もったいなくて、食べられませんgift
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旧東海道散歩 その23-③ 興津~

2016-12-14 10:00:00 | 旧東海道散歩
清見寺からほどなく、平成16年に復元された「坐漁荘」があります。無料で一般開放されていて、ボランティアの男性が館内を詳しく説明をして下さいました。


坐漁荘は明治~昭和の政治家である西園寺公望(さいおんじきんもち)の住宅でした。
70歳の時「この後の人生はのんびりと魚釣りでもして過ごすつもり」で「坐漁荘」が建てられましたが・・・当時は激動する日本。最後の元老(昭和初期まで政務の決定や後継首相の決定などにあずかって力のあった老臣)の助言を求め政治家の「興津の坐漁荘詣」が頻繁に行われたそうです。(だから近くの一碧楼水口屋に多くの政治家が宿泊したのですね。wink
92歳で亡くなった時の最後の言葉は「いったいこの国をどこへもってゆくのや」・・・終生、政治家だったのですね。

horori「坐漁荘…と言っても海は見えないのですね」 
smile「海のこと・・・聞いちゃいます?」

今はこのような2階からの景色ですが・・・


当時は目の前はすぐ海だったのだそうです。

niko遠くに三保の松原が写っています。

smile「子供の頃は海水浴を楽しんだものだよ」
…と海が埋め立てられた当時の様子を話して下さいました。

smile「よく見ると、ビルとビルの間に三保の松原が見えるよ」

niko確かにかすかに見えます!教えて頂かなければ気がつきませんでした!

坐漁荘で薦められたので、旧東海道から少し離れた「廬崎(いおざき)神社」に立ち寄りました。


再び旧東海道を進みます。自動販売機のラッピング広告はこの辺りのソウルフード「もつカレー」。


通りがかった東光寺の山門には・・・
「たらちねの 母がなりたる 母星(ははぼし)の 
子を思う光 われをてらせり」  正岡子規

何故かこの日は、この句に強く惹かれました。

庵原(いはら)川を渡ります。

wink26歳の若かりし清水次郎長が、ここで喧嘩の仲裁をし男を上げた・・・という場所です。

旧東海道松並木の松が1本だけ残っていました。


「延命地蔵」の前を通り・・・


「木嶋こうじ店」

坐漁荘で「冷たい甘酒が飲めるよ・・・」と教えて頂いたのですが、この日は甘酒の素しかない様子・・・珍しい「みそぷりん」を購入しました。白みそが入っている、少ししょっぱいプリンでした。

さらに旧東海道を進みます。

(つづく)

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