お店を出ると雨がやんでいました。
安倍川に架かる安倍川橋を渡ります。
振り返ると富士山が見えるはずなのですが・・・雲に覆われて見ることはできません。
安倍川橋からの景色。
新幹線や東海道線も安倍川橋を通過。
歌川広重 「東海道五十三次之内 府中 安倍川」
安倍川を渡る旅人の様子が描かれています。駕籠に乗った女性、蓮台で渡る女性、川渡し人足の肩に乗る男性、荷物を乗せた馬を引く人足・・・値段によって渡る方法は様々でした。
今もこの景色…ですが、我々は橋を渡ります。
橋を渡ると「手越」
旧東海道を進みます。
歩道橋を渡り・・・
「手越原交差点」
この辺りは、1335年(南北朝時代)「手越河原の合戦」の舞台となった場所です。
後醍醐天皇の追討令勅により派遣された新田義貞(南朝側)と足利尊氏の弟・直義(北朝側)が激突。奇襲により新田義貞が勝利しました。
「佐渡交差点」を左折すると丸子宿です。
「子授地蔵尊」
かなり暗くなってきたので、この辺りで終了。
暗い道を20分ほど歩き、ひっそりとした「JR安倍川駅」に到着。
静岡駅に戻り、帰宅しました。
21,796歩の散歩でした。
(2016.09.24)
安倍川に架かる安倍川橋を渡ります。
振り返ると富士山が見えるはずなのですが・・・雲に覆われて見ることはできません。
安倍川橋からの景色。
新幹線や東海道線も安倍川橋を通過。
歌川広重 「東海道五十三次之内 府中 安倍川」
安倍川を渡る旅人の様子が描かれています。駕籠に乗った女性、蓮台で渡る女性、川渡し人足の肩に乗る男性、荷物を乗せた馬を引く人足・・・値段によって渡る方法は様々でした。
今もこの景色…ですが、我々は橋を渡ります。
橋を渡ると「手越」
旧東海道を進みます。
歩道橋を渡り・・・
「手越原交差点」
この辺りは、1335年(南北朝時代)「手越河原の合戦」の舞台となった場所です。
後醍醐天皇の追討令勅により派遣された新田義貞(南朝側)と足利尊氏の弟・直義(北朝側)が激突。奇襲により新田義貞が勝利しました。
「佐渡交差点」を左折すると丸子宿です。
「子授地蔵尊」
かなり暗くなってきたので、この辺りで終了。
暗い道を20分ほど歩き、ひっそりとした「JR安倍川駅」に到着。
静岡駅に戻り、帰宅しました。
21,796歩の散歩でした。
(2016.09.24)