りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その3-① 品川駅~

2015-02-25 19:29:00 | 旧東海道散歩
今回は品川駅から出発です。

歩き始めると早速「麺達七人衆 品達」を発見。ガード下に7つのラーメン屋さんが並んでいます。

「なんつっ亭」を選択。ほぼ満席の人気店で美味しかったです。


改めて出発。
第一京浜国道沿いを歩いて八ツ山橋へ。
1954年の日本映画「ゴジラ」で、海から上陸したゴジラが最初に辿り着いた場所がこの橋だったそうです。



京浜急行の踏切を渡り、北品川商店街へ。江戸時代は「品川宿」だった所で、百軒ほどの旅籠で賑わっていました。
歩いていると「しながわ観光協会 観光案内所」から女性が出てきて声をかけて下さいました。
とても親切な方で、この辺りの名所をいろいろ教えて頂きました。「品川宿交流館」よりもお勧めです。
<まち歩き用のパンフレット>を50円で購入するこもできます。

この商店街の道幅は、旧東海道の道幅がそのまま残っているそうです。


浮世絵にも描かれていますが、品川宿は海岸沿いにありました。


つまり、この階段の下あたりはすぐ海だったのですね。当時を想像すると楽しい。



品川宿には神社仏閣も密集していています。



道沿いには、このような「街道松」が移植されていて、旧東海道を演出してくれています。



「土蔵相模跡」

高級妓楼だった相模屋は、外壁がナマコ壁だったことから「土蔵相模」と呼ばれ、幕末には「志士」が出入りしていました。桜田門外の変決行前夜、浪士たちが別杯を交わした場所です。また、文久2年(1862年)12月12日夜、高杉晋作、久坂玄瑞、井上馨、伊藤博文など長州藩の志士が御殿山に建設中の英国公使館を焼き払った時の集結地にもなりました。

歌麿 品川・土蔵相模の月



旧東海道からは少し離れますが、観光案内所でお勧め頂いた「品川神社」にも立ち寄りました。

鎌倉時代、源頼朝が祀ったといわれる古い神社で、今でも、年末年始やお祭りには地元の人々で賑わう場所だそうです。

江戸名所図会の品川神社


本殿の後ろに回ると(境外になりますが)「板垣退助墓所」があります。案内も小さな紙が貼ってあるだけ。
観光案内所の方に教えて頂かなければ、絶対に気が付きませんでした。あの有名な言葉「板垣死すとも自由は死せず」の碑もありました。


境内には高さ15m程の富士塚もありました。江戸時代、富士山に行けない庶民のために、たくさんの富士塚(富士山のミニチュア)が造られ、富士塚を登ると、富士登山をしたのと同じご利益があると信じられていました。


品川神社の富士塚は都内最大。頂上からの見晴らしも良かったです。
昔は海を見渡すことができたはず。


境内には、ご主人の帰りを待つ可愛いわんちゃんも。


富士塚の近くには「ぶじかえる」というかえるの像がありました。「富士」と「かえる」を掛け合わせています。
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「何かあってもぶじかえりますように…」と手を合わせて、神社を後にしました。


しばらくするとアクシデント発生!携帯電話をどこかで落としてしまたようです。今まで歩いた道を探して歩きましたがみつかりません。
品川神社に戻り、板垣退助のお墓も富士塚も探しましたが・・・ない!
諦めかけながらも社務所へ尋ねたら・・・「落し物として預かっていましたよ」と。
いや~助かりました。拾って頂いた方、社務所の方に感謝、感謝です。
お礼を言って社務所を出ると、あの「ぶじかえる」のかえるの像が…。
もう一度「かえる」くんにもお礼を言って再度神社を後にしました。
(つづく)

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ステンドグラスのランプ

2015-02-23 23:51:00 | ノンジャンル
最近のお気に入りは、<ステンドグラスのランプ>



先月伊豆高原ステンドグラス美術館で購入しました。
間接照明だけにするとなかなか良い雰囲気。





寒い夜でも、室内が暖かく感じます。
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テーブルウェアフェスティバル2015

2015-02-16 22:58:00 | ノンジャンル
今年もテーブルウェアフェスティバル2015へ行ってきました。



とても可愛いマカロンのトレー。




素敵なお庭で過ごしてみたい…黒柳徹子さん作。




陶芸家 坂田甚内さんのランプ…欲しい。


まさに夢の世界です。
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旧東海道散歩 その2 増上寺~

2015-02-11 21:00:00 | 旧東海道散歩
この日の夜は銀座で食事の予定があったので・・・その前に少しだけ散歩。

大門駅から出発して、第一京浜沿いを歩きます。



日本橋から1里(約4km)の「金杉橋」に到着。まだ1里って…先が思いやられます。

上には首都高が通っていて、屋形船や釣り船がスタンバイしていました。
昔はここまでがいわゆる「江戸」でした。品川あたりは郊外。
ですから京都から江戸に来た人はこの「金杉橋」に到着してやっと「江戸だ~!」と実感できたそうです。

歌川広重の「金杉橋海」

この絵の中で橋の欄干はわずかに描かれているだけ。それだけ橋の上は人々で大渋滞・・・ということでしょうか。
ここは有数の漁村で、江戸前の魚が獲れました。
落語に詳しくない私でも知っている名作「芝浜」の魚屋勝五郎はここの住人です。

さらに第一京浜沿いを歩いて西郷隆盛・勝海舟会見の地

慶応4年(1868)3月14日 西郷隆盛と勝海舟はこの高輪の薩摩下屋敷で会談しました。江戸総攻撃予定の前日、ギリギリに攻撃中止、江戸城無血開城が決まったのです。

西郷隆盛、勝海舟会見の図


後に勝海舟は、西南戦争で西郷隆盛が亡くなった後、西郷隆盛が明治新政府から賊軍扱いされたことを悼んで、西郷隆盛留魂碑を建てたそうです。かつて敵同士だった二人…その後の素敵な関係が偲ばれます。


三田を通過し、札の辻交差点。

ここは高札場(基本的な法令を書き記した木の板を掲示した場所)でした。
時代劇で「生類憐みの令」が発せられた時に必ず登場するあの場所です。
忠臣蔵の赤穂浪士も泉岳寺へ向かう道中、この場所を通ったそうです。


高輪大木戸跡


かつては幅7.2m、高さ3m、長さ9mの石垣が両側にあり、その間に門と柵が設置されていました。

歌川広重 佐野喜東都名所「高輪之図」


旧東海道から江戸府内の入口として、治安維持や交通規制の役割があった場所で、日の出から日の入りの時刻くらいまで開門していたようです。
有名な唄、「お江戸日本橋七つ立ち 初のぼり 行列そろえてあれわいさのさ こちゃ高輪夜明けの提灯消す こちゃえ」
つまり朝4時ころ日本橋を出ると夜明けくらいに高輪に到着。するとちょうど大木戸が開門して通過できたわけですね。


その後も第一京浜沿いを歩いて・・・・



品川駅に到着。


大門から品川駅まで5904歩の散歩でした。

(2014.11.15)
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冬の工作

2015-02-08 20:42:00 | ノンジャンル
寒い日が続いていますが、少し暖かった冬の休日に門柱とゴミ箱のカバーを作り直しました。

どちらも屋外使用なので長い間雨や風にさらされた結果、すいぶんと色が褪せてしまいました。


↑右側の板…ボロボロです。左側は今回作成した板。

購入した板にペンキを塗って・・・この作業がとても楽しい。




完成した門柱


ゴミ箱のカバー


満足な仕上がりになりました。

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