今回は品川駅から出発です。
歩き始めると早速「麺達七人衆 品達」を発見。ガード下に7つのラーメン屋さんが並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/71/6b827e40a5f447b918d0242a8efc48d3.jpg)
「なんつっ亭」を選択。ほぼ満席の人気店で美味しかったです。
改めて出発。
第一京浜国道沿いを歩いて八ツ山橋へ。
1954年の日本映画「ゴジラ」で、海から上陸したゴジラが最初に辿り着いた場所がこの橋だったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/f3/1236fc63a6be058cc6b1f86b06cd932b.jpg)
京浜急行の踏切を渡り、北品川商店街へ。江戸時代は「品川宿」だった所で、百軒ほどの旅籠で賑わっていました。
歩いていると「しながわ観光協会 観光案内所」から女性が出てきて声をかけて下さいました。
とても親切な方で、この辺りの名所をいろいろ教えて頂きました。「品川宿交流館」よりもお勧めです。
<まち歩き用のパンフレット>を50円で購入するこもできます。
この商店街の道幅は、旧東海道の道幅がそのまま残っているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/83/86f8d402b55a398589147fa53358b4fd.jpg)
浮世絵にも描かれていますが、品川宿は海岸沿いにありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/92/6fde1607a58e5c240c76eb6c32df114c.jpg)
つまり、この階段の下あたりはすぐ海だったのですね。当時を想像すると楽しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/9d/91374602a2ba41b5fe6b09e735631fde.jpg)
品川宿には神社仏閣も密集していています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/91/de4fc55d0d146836c5c20aa5f4916a11.jpg)
道沿いには、このような「街道松」が移植されていて、旧東海道を演出してくれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/c6/21d4d913a60346768954631eaa2cd1bc.jpg)
「土蔵相模跡」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/ff/c46f6b92594e3251c1f4b3d94407dc0b.jpg)
高級妓楼だった相模屋は、外壁がナマコ壁だったことから「土蔵相模」と呼ばれ、幕末には「志士」が出入りしていました。桜田門外の変決行前夜、浪士たちが別杯を交わした場所です。また、文久2年(1862年)12月12日夜、高杉晋作、久坂玄瑞、井上馨、伊藤博文など長州藩の志士が御殿山に建設中の英国公使館を焼き払った時の集結地にもなりました。
歌麿 品川・土蔵相模の月
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/8c/81d4989d469c0e85607edee118a326b5.jpg)
旧東海道からは少し離れますが、観光案内所でお勧め頂いた「品川神社」にも立ち寄りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/59/aa9041f003c9ab1ed5e213fbc9d59241.jpg)
鎌倉時代、源頼朝が祀ったといわれる古い神社で、今でも、年末年始やお祭りには地元の人々で賑わう場所だそうです。
江戸名所図会の品川神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/6d/172f7d415a7a438ed5a33d134559d6fc.jpg)
本殿の後ろに回ると(境外になりますが)「板垣退助墓所」があります。案内も小さな紙が貼ってあるだけ。
観光案内所の方に教えて頂かなければ、絶対に気が付きませんでした。あの有名な言葉「板垣死すとも自由は死せず」の碑もありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/0d/9f614a1412686b216b7dd0d0be4b25ff.jpg)
境内には高さ15m程の富士塚もありました。江戸時代、富士山に行けない庶民のために、たくさんの富士塚(富士山のミニチュア)が造られ、富士塚を登ると、富士登山をしたのと同じご利益があると信じられていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/47/dd819201451bf7ddd35d791525c50975.jpg)
品川神社の富士塚は都内最大。頂上からの見晴らしも良かったです。
昔は海を見渡すことができたはず。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/51/6cbe7bfdd9ed83397712f06c637746f6.jpg)
境内には、ご主人の帰りを待つ可愛いわんちゃんも。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/fb/10e31baa783d5bedf0ac2a6379fc3e3d.jpg)
富士塚の近くには「ぶじかえる」というかえるの像がありました。「富士」と「かえる」を掛け合わせています。
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「何かあってもぶじかえりますように…」と手を合わせて、神社を後にしました。
しばらくするとアクシデント発生!携帯電話をどこかで落としてしまたようです。今まで歩いた道を探して歩きましたがみつかりません。
品川神社に戻り、板垣退助のお墓も富士塚も探しましたが・・・ない!
諦めかけながらも社務所へ尋ねたら・・・「落し物として預かっていましたよ」と。
いや~助かりました。拾って頂いた方、社務所の方に感謝、感謝です。
お礼を言って社務所を出ると、あの「ぶじかえる」のかえるの像が…。
もう一度「かえる」くんにもお礼を言って再度神社を後にしました。
(つづく)
歩き始めると早速「麺達七人衆 品達」を発見。ガード下に7つのラーメン屋さんが並んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/71/6b827e40a5f447b918d0242a8efc48d3.jpg)
「なんつっ亭」を選択。ほぼ満席の人気店で美味しかったです。
改めて出発。
第一京浜国道沿いを歩いて八ツ山橋へ。
1954年の日本映画「ゴジラ」で、海から上陸したゴジラが最初に辿り着いた場所がこの橋だったそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/f3/1236fc63a6be058cc6b1f86b06cd932b.jpg)
京浜急行の踏切を渡り、北品川商店街へ。江戸時代は「品川宿」だった所で、百軒ほどの旅籠で賑わっていました。
歩いていると「しながわ観光協会 観光案内所」から女性が出てきて声をかけて下さいました。
とても親切な方で、この辺りの名所をいろいろ教えて頂きました。「品川宿交流館」よりもお勧めです。
<まち歩き用のパンフレット>を50円で購入するこもできます。
この商店街の道幅は、旧東海道の道幅がそのまま残っているそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/83/86f8d402b55a398589147fa53358b4fd.jpg)
浮世絵にも描かれていますが、品川宿は海岸沿いにありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/92/6fde1607a58e5c240c76eb6c32df114c.jpg)
つまり、この階段の下あたりはすぐ海だったのですね。当時を想像すると楽しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/9d/91374602a2ba41b5fe6b09e735631fde.jpg)
品川宿には神社仏閣も密集していています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/91/de4fc55d0d146836c5c20aa5f4916a11.jpg)
道沿いには、このような「街道松」が移植されていて、旧東海道を演出してくれています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/c6/21d4d913a60346768954631eaa2cd1bc.jpg)
「土蔵相模跡」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/ff/c46f6b92594e3251c1f4b3d94407dc0b.jpg)
高級妓楼だった相模屋は、外壁がナマコ壁だったことから「土蔵相模」と呼ばれ、幕末には「志士」が出入りしていました。桜田門外の変決行前夜、浪士たちが別杯を交わした場所です。また、文久2年(1862年)12月12日夜、高杉晋作、久坂玄瑞、井上馨、伊藤博文など長州藩の志士が御殿山に建設中の英国公使館を焼き払った時の集結地にもなりました。
歌麿 品川・土蔵相模の月
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/8c/81d4989d469c0e85607edee118a326b5.jpg)
旧東海道からは少し離れますが、観光案内所でお勧め頂いた「品川神社」にも立ち寄りました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/59/aa9041f003c9ab1ed5e213fbc9d59241.jpg)
鎌倉時代、源頼朝が祀ったといわれる古い神社で、今でも、年末年始やお祭りには地元の人々で賑わう場所だそうです。
江戸名所図会の品川神社
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/6d/172f7d415a7a438ed5a33d134559d6fc.jpg)
本殿の後ろに回ると(境外になりますが)「板垣退助墓所」があります。案内も小さな紙が貼ってあるだけ。
観光案内所の方に教えて頂かなければ、絶対に気が付きませんでした。あの有名な言葉「板垣死すとも自由は死せず」の碑もありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/0d/9f614a1412686b216b7dd0d0be4b25ff.jpg)
境内には高さ15m程の富士塚もありました。江戸時代、富士山に行けない庶民のために、たくさんの富士塚(富士山のミニチュア)が造られ、富士塚を登ると、富士登山をしたのと同じご利益があると信じられていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/47/dd819201451bf7ddd35d791525c50975.jpg)
品川神社の富士塚は都内最大。頂上からの見晴らしも良かったです。
昔は海を見渡すことができたはず。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/51/6cbe7bfdd9ed83397712f06c637746f6.jpg)
境内には、ご主人の帰りを待つ可愛いわんちゃんも。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/fb/10e31baa783d5bedf0ac2a6379fc3e3d.jpg)
富士塚の近くには「ぶじかえる」というかえるの像がありました。「富士」と「かえる」を掛け合わせています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/67/42d08e9eb81db8e04990baf559693564.jpg)
「何かあってもぶじかえりますように…」と手を合わせて、神社を後にしました。
しばらくするとアクシデント発生!携帯電話をどこかで落としてしまたようです。今まで歩いた道を探して歩きましたがみつかりません。
品川神社に戻り、板垣退助のお墓も富士塚も探しましたが・・・ない!
諦めかけながらも社務所へ尋ねたら・・・「落し物として預かっていましたよ」と。
いや~助かりました。拾って頂いた方、社務所の方に感謝、感謝です。
お礼を言って社務所を出ると、あの「ぶじかえる」のかえるの像が…。
もう一度「かえる」くんにもお礼を言って再度神社を後にしました。
(つづく)