りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

ブルーインパルス

2020-05-29 21:12:00 | ノンジャンル
ブルーインパルスが東京上空を飛行し話題になりました。

我が家からも見ることができましたok




旋回。




よく見ると..…少し離れてスペア機も飛行していました。


通常、スペア機は地上で待っていることが多いそうで、一緒に飛行するのは珍しいそうです。

そういえばlight
我が家のブルーインパルス。


浜松のエアパークを訪れた時にお土産として購入したマグネット…今も愛用中ですmeromero2

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バラの季節①

2020-05-27 07:12:00 | ガーデニング
今年一番最初に咲いたバラは「アイスバーグ」でしたitem2


純白のバラ。








対照的な・・・深紅のバラ「鳳凰」item2










雨上がりは異なった表情を見せてくれます。




今年は今まで以上にバラの変化を楽しみに過ごしています。
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天体観測

2020-05-25 12:22:00 | ノンジャンル
昨日の昼、ニュースで珍しい天体観測ができるかもしれないと聞き、夕方リバーサイドへ。
細い月と金星、水星が接近し、三角形に並ぶということです。


細い月と金星は確認できたのですが、水星が確認できず。


あきらめきれず・・・15分後再びリバーサイドへ。
そして水星を見つけることができましたpeace


なぜか逆三角形に並ぶと思い込み、下の方を探していたのですが・・・上の方に水星が輝いていましたkirakira
見事に細い月と金星、水星が三角形に並んでいますmoonsymbol2symbol2

meromero2月の右に位置するのは金星、上に見えるのは水星です。

我が家のカメラでも撮影できるほど、肉眼でもハッキリ見ることができましたsymbol3

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旧東海道散歩 番外編㉟ 亀山城周辺

2020-05-22 08:48:00 | 旧東海道散歩
今回の3泊4日の旧東海道散歩2日めは、アクシデント、先の見えない時間との闘いの中で決行されました。とにかく予約した高速バスの時刻までに鈴鹿峠を越えて新名神高速道路「土山サービスエリア」に到着しなければなりませんclock
ということで旧東海道散歩中は各宿場の主要スポットには立ち寄らず、最終日に改めて立ち寄ることにしました。

rain rain rain rain rain rain rain rain rain rain rain 
3泊4日の最終日・・・大雨の中、亀山散策run

まず訪れたのは「亀山市歴史博物館」・・・駅から遠いのでここまではタクシーを利用しましたtaxi

niko隣接した公園の「亀」が可愛いです。

亀山城下の大型模型がありました。


旧東海道も確認することができます。


亀山宿を紹介するコーナーもありました。


日本で最初(奈良時代)の流通貨幣「和同開珎」

niko亀山でも発掘されたそうです。

亀山城跡を散策します。


亀山城というと明智光秀が築城した京都府亀岡市の「丹波亀山城」を思い浮かべる歴史好きも多いと思いますが、こちらは「伊勢亀山城」・・・蝶が舞うように優雅な姿であったことから別名「粉蝶城」と呼ばれました。

1590年(天正18年)岡本宗憲が築城しました。本丸・二之丸、三之丸、天守がある城でしたが、1632年(寛永9年)「丹波亀山城」の修築を幕府から命じられた堀尾忠晴が間違えて、「伊勢亀山城」の天守を解体してしまったと云われていますhi
「真偽の程は定かではない」そうですが、本当だったらおもしろい話しですねwink

亀山城跡に唯一現存する「多門櫓」に向かいます・・・が、道を間違えてしまったようですase2
北側を遠回りし「二之丸帯曲輪」の辺りに来てしまいました。


時を知らせる太鼓が打ち鳴らされていた「太鼓櫓跡」と「太鼓門跡」を通過すると・・・


「多門櫓(たもんやぐら)」が見えました。

niko多門櫓は、三重県で唯一現存する城郭建造物です。

多門櫓の中へ入ってみましょう。


雨の中を歩いてきたので屋内はほっとします。




受付の方が亀山宿と関宿について説明してくださいました。亀谷城つながりで・・・「丹波亀山城」を訪問されたこともあるそうです。詳しい情報と楽しいお話しをありがとうございましたmeromero2

改めて見ると石垣も美しい。

nikoこの石垣がかつての天守台だったという説もあるようですが、明確な根拠は確認されていないそうです。

石坂を下る途中、「石井兄弟亀山敵討遺跡の碑」

niko1701年(元禄14年)5月9日早朝、石井源蔵・半蔵兄弟が父の敵である赤堀水之助を28年目にして石坂門外で討ち取った事を記念して建立されました。当時は赤穂浪士の討ち入りと並び賞賛されたそうです。(赤穂浪士の討ち入りは元禄15年12月14日決行されたので、1年以上前のできごとになります。)

石坂の途中で振り返って見た「多門櫓」


「加藤家屋敷跡」に立ち寄りました。

niko加藤家は亀山城主石川家の家老職を務めました。

ナマコ壁の土蔵と門、長屋が残っています。


江戸時代後期の武家屋敷が現存するとは・・・すごいですね。


南へ進むと・・・亀山城の搦手(からめて)門である「青木門跡」があります。

niko有事の際、領主はここから城外へ逃げられるようになっていました。亀山城に宿泊した徳川家康がこの門を通る時に、門一帯に茂るアオキを称賛したことから名付けられたそうです。

2日前にも前を通った、旧東海道散歩沿いの「旧舘家住宅(枡屋)」

niko舘家は呉服商を営んでいた大店でした。

中へ入ってみましょう。

niko主屋は1873年(明治6年)建てられました。

蔵もあります。


亀山宿の代表的な町屋建築「出桁造り」の内部はこのようになっていました。


というわけで・・・大雨の中の亀山散策でしたmeromero2

(2019.04.30 )
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旧東海道散歩 その44-④ 井田川駅~

2020-05-20 07:35:00 | 旧東海道散歩
「JR亀山駅」から再び坂を上り「池の側」まで戻り再出発!
荷物がだいぶ軽くなりましたmeromero2


坂道を上ったり下ったりすると、亀山宿が丘の上にあることを実感します。先を急ぐため亀山城周辺は後日再訪予定です。

坂の途中に亀山宿が紹介されていました。


「西町問屋場跡」


今は「お城見庭園」と名付けられ、亀山城多門櫓(たもんやぐら)を望むビューポイントです。




「左東海道 右郡役所」の道標


「飯沼慾斎(よくさい)生家跡」

niko西村守安の次男として生まれ、12歳で美濃大垣の飯沼家の養子となりました。漢方医学、蘭学を学び大垣で医院を開業。50歳で引退後は植物の分類を行い「草木図説前編」を記し、火薬調合や写真撮影法の研究など近代科学を築いた人です。初めて知りましたが、すごい方ですね!

「旧舘家住宅(枡屋)」

niko梁(はり:垂直材である柱の上に水平に置き,上からの荷重を支える部材)を建物から突き出して桁(けた:梁と直交する長辺に渡される部材)を受ける「出桁造り」という亀山宿の代表的な町屋建築です。

右折した突き当りに「亀山城西之丸外堀跡」がありました。


復元された外堀の中に入り、大きさを実感できますbikkuri


左折し旧東海道を進むと・・・


この辺りが亀山宿の西側入口・・・


「京口門跡」


京口門は滝川の岸の崖上に築かれた門でした。石垣に冠木門・棟門・白壁の番所を構え、通行人の監視にあたっていました。

niko左上の立派な建物が京口門ですね。

現在は滝川には「京口坂橋」が架けられているため、往時を偲ぶことはできませんが・・・


かつての旧東海道で京から亀山へ向かうと、京口門まで蛇行する急坂で(現在の京口坂橋の下に旧東海道がありました)、敵の侵入を防ぐため両脇にはカラタチが植えられていました。


坂の下から京口門を見上げると大変壮麗であったことから「亀山に過ぎたるものの二つあり伊勢屋蘇鉄に京口御門」と謡われるほどでした。

浮世絵で当時の様子を確認してみましょう。

歌川広重「東海道五十三次之内 亀山 雪晴」

niko大雪の翌朝、晴れた日の美しい雪景色の中・・・大名行列が坂道を京門口へ向かって上って行きます。右上に描かれているのが京口門ですね。

(つづく)
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