今回の3泊4日の旧東海道散歩2日めは、アクシデント、先の見えない時間との闘いの中で決行されました。とにかく予約した高速バスの時刻までに鈴鹿峠を越えて新名神高速道路「土山サービスエリア」に到着しなければなりません
ということで旧東海道散歩中は各宿場の主要スポットには立ち寄らず、最終日に改めて立ち寄ることにしました。
3泊4日の最終日・・・大雨の中、亀山散策
まず訪れたのは「亀山市歴史博物館」・・・駅から遠いのでここまではタクシーを利用しました
隣接した公園の「亀」が可愛いです。
亀山城下の大型模型がありました。
旧東海道も確認することができます。
亀山宿を紹介するコーナーもありました。
日本で最初(奈良時代)の流通貨幣「和同開珎」
亀山でも発掘されたそうです。
亀山城跡を散策します。
亀山城というと明智光秀が築城した京都府亀岡市の「丹波亀山城」を思い浮かべる歴史好きも多いと思いますが、こちらは「伊勢亀山城」・・・蝶が舞うように優雅な姿であったことから別名「粉蝶城」と呼ばれました。
1590年(天正18年)岡本宗憲が築城しました。本丸・二之丸、三之丸、天守がある城でしたが、1632年(寛永9年)「丹波亀山城」の修築を幕府から命じられた堀尾忠晴が間違えて、「伊勢亀山城」の天守を解体してしまったと云われています
「真偽の程は定かではない」そうですが、本当だったらおもしろい話しですね
亀山城跡に唯一現存する「多門櫓」に向かいます・・・が、道を間違えてしまったようです
北側を遠回りし「二之丸帯曲輪」の辺りに来てしまいました。
時を知らせる太鼓が打ち鳴らされていた「太鼓櫓跡」と「太鼓門跡」を通過すると・・・
「多門櫓(たもんやぐら)」が見えました。
多門櫓は、三重県で唯一現存する城郭建造物です。
多門櫓の中へ入ってみましょう。
雨の中を歩いてきたので屋内はほっとします。
受付の方が亀山宿と関宿について説明してくださいました。亀谷城つながりで・・・「丹波亀山城」を訪問されたこともあるそうです。詳しい情報と楽しいお話しをありがとうございました
改めて見ると石垣も美しい。
この石垣がかつての天守台だったという説もあるようですが、明確な根拠は確認されていないそうです。
石坂を下る途中、「石井兄弟亀山敵討遺跡の碑」
1701年(元禄14年)5月9日早朝、石井源蔵・半蔵兄弟が父の敵である赤堀水之助を28年目にして石坂門外で討ち取った事を記念して建立されました。当時は赤穂浪士の討ち入りと並び賞賛されたそうです。(赤穂浪士の討ち入りは元禄15年12月14日決行されたので、1年以上前のできごとになります。)
石坂の途中で振り返って見た「多門櫓」
「加藤家屋敷跡」に立ち寄りました。
加藤家は亀山城主石川家の家老職を務めました。
ナマコ壁の土蔵と門、長屋が残っています。
江戸時代後期の武家屋敷が現存するとは・・・すごいですね。
南へ進むと・・・亀山城の搦手(からめて)門である「青木門跡」があります。
有事の際、領主はここから城外へ逃げられるようになっていました。亀山城に宿泊した徳川家康がこの門を通る時に、門一帯に茂るアオキを称賛したことから名付けられたそうです。
2日前にも前を通った、旧東海道散歩沿いの
「旧舘家住宅(枡屋)」
舘家は呉服商を営んでいた大店でした。
中へ入ってみましょう。
主屋は1873年(明治6年)建てられました。
蔵もあります。
亀山宿の代表的な町屋建築「出桁造り」の内部はこのようになっていました。
というわけで・・・大雨の中の亀山散策でした
(2019.04.30 )