国道1号線バイパスに合流。
旧東海道を少し離れて寄り道をします。
二軒屋の信号を渡ると早咲きの桜と菜の花が見頃でした。
「誓願寺」
源頼朝が創建し、武田信玄が再建したお寺です。
境内には豊臣家の重臣「片桐且元(かつもと)」の墓があります。
実はこの片桐且元、豊臣家滅亡に関わりのある人物なのです。(昨年の大河ドラマ「真田丸」でも登場しましたね。)
豊臣秀頼は、徳川家康の勧めで京都方広寺の大仏を再建しました。
この時、鐘に「国家安康」「君臣豊楽」の文字が刻まれていることを知った家康は激怒します。
「国家安康」「は家康の名を分割し身を切断することを意味し,「君臣豊楽」は豊臣家の繁栄を祈願していると非難したのです。
片桐且元はこのお寺に滞在し、駿府にいる家康に懸命に申し開きを試みるのですが、面会さえ許されません。挙げ句の果てに豊臣家からは徳川家への内通を疑われ、大阪城から追放されてしまい、結局、大阪冬の陣では徳川家に協力したと云われています。
全ては家康の計画通り…豊臣家は滅亡しました。
片桐且元は、大坂夏の陣から20日後の1615年5月28日に京屋敷で亡くなりました。60歳でした。
病死と云われていますが、豊臣家の滅亡を嘆いて自刀したとも云われています。
歴史に大きく関わった人物ですが、そこはかとなく漂うこの小者感・・・とても切ない人生。
戦国時代に生きる人物としては、全然カッコよくない。
でも頭の良い武将たちに翻弄され、悩みながらも愚直に生きた「片桐且元」に「大変でしたね。お疲れ様でした」とそっと声をかけてあげたい気分です。
誓願寺から見えた不思議な景色…山の一部が茶畑として開墾されています。
境内を歩いていたら、法事で訪れていた方に「片桐且元のお墓見た?」と親切に声をかけて頂きました。ありがとうございます。
誓願寺を出ると「丸子の里自然歩道入口」という標識を発見。案内を見ると丸子城跡へ簡単に行くことができるようなので、少し寄り道をすることに。
住宅の裏側の細~い道を進みます。
歩き始めて思い出しました!そういえば丸子城は山城でした!
今まで何度も登った山城・・・大変なんです。
少し寄り道・・・なんてレベルではない「山越えの遊歩道」を進みます。
「丸子城本丸跡」に到着!
丸子城はかつて今川氏、武田氏が城主となった城で、今川氏の時代に本丸があった北城(山頂付近)と武田の時代に本丸があった南城(千畳敷)・・・というように本丸が2か所あります。
丸子城跡を進むと・・・
見晴らしの良い場所に出ました。
良い香りがする・・・と思ったら梅林でした。
この梅林の中を下って行くと・・・「駿府匠宿」。
静岡の伝統工芸産業をPRするための施設です。
2階の「東海道歴史体験ホール」では江戸時代の丸子宿を体験することができます。
丸子城跡の模型。
この山を越えて来ました。
丸子城跡のイメージ図。
羽子板に描かれた「歌川広重 東海道五三次」
1階の「産業展示ホール」には、静岡の伝統工芸品「駿河雛具雛人形」
天井から迫ってくる「大御所花見行列」は圧巻!
日本三大吊るし飾り(福岡柳川の「さげもん」、山形酒田の「傘福」、伊豆稲取「吊るし飾り」)の展示もありました。
近くの「吐月峰柴屋寺」にも立ち寄りました。室町時代、今川氏に仕えた連歌師宗長ゆかりの寺です。
入館料を支払いお堂へ入ると、お寺の方が案内して下さいました。
まるでお経のような・・・流れるような解説。静かなこの空間で心地よい響き。
宗長が禅の趣と詩魂を打ち込んで築いた・・・と云われる庭園。
(京都嵯峨野から宗長が移植した)竹林から昇る月の名所です。当時は天柱山を取り入れた借景庭園でもありました。
「幾わかばはやしはしめの園の竹 山桜おもふ色添ふ霞かな」
宗長
家康が茶会を開いた「茶室」・足利義政から贈られた「文福茶釜」・武田信玄から贈られた「茶碗」など多くの宝物がゆる~い感じで展示されています。
「宝物、写真撮影しても良いですか?」と伺ったら「いいよ」と許可を頂きました。
案内が終わると「好きにゆっくりしていきなさい」とお寺の方は事務所へ戻られたので、貸し切り状態。静寂に包まれて、のんびり庭園を堪能・・・贅沢な時間を過ごしました。こちらに立ち寄ってよかったです。
再び「駿府匠宿」へ戻り伝統工芸品のお店を楽しみ、国道1号線へ戻ると・・・
うん?見覚えのある風景・・・と思ったら「丁子屋」が見えます。
どうやら1周して、戻ってしまったようです。
(つづく)