道標に従い旧東海道を進みます。
「吉津屋見付跡」
この辺りは吉津屋町。江戸時代には門があり、桑名藩士が詰めていたそうです。
桝形を通り・・・
創業100年以上のおもちゃ屋さん「いもや本店」・・・初代店主が焼き芋を売っていたそうです。
街道沿いには寺や神社が多いです。
十念寺では「桑名七福神まつり」開催中。
「石取祭車蔵」の前を通過し、「日進小学校前交差点」を右折すると・・・
「広瀬鋳物工場跡」
鋳物産業で有名な桑名市ですが、その歴史は、桑名藩主・本多忠勝が鉄砲の製造を始めたのが起源と云われています。鋳物師である広瀬氏を招き、この場所に工場を与えたそうです。
「天武天皇社」
672年壬申(じんしん)の乱の時に、大海人皇子(のちの天武天皇)が桑名に宿泊されたことにちなんで建立された神社です。天武天皇を祀っているのは全国でこちらの神社のみ。
本願寺の境内にある「梅花仏鏡塔」は、松尾芭蕉の門人・各務支考の分骨供養塔です。
鋳物師の守護神「一目連神社」
「火の見櫓と矢田立場跡」
立場は(旅人の休憩のための)茶店が集まっていた場所です。
鋳物が名産…ということで軒先の鋳物の作品が目を引きます。
江戸時代は松並木で、鈴鹿山脈や伊勢湾を見渡せることができた「江場松原跡」
「晴雲寺」
参勤交代で江戸へ向かう大名行列は、ここで衣服を整えて桑名城下へ入ったそうです。
大名行列というと、先導の露払いの「下に~ 下に」という掛け声、奴さん、整然とした大人数の行列、沿道では庶民が土下座で行列をお出迎え・・・このようなイメージを持っていたのですが、実際は少し違ったようです。
土下座が必要だったのは将軍家と徳川御三家のみで、庶民は立ったまま行列を見ていることが多く(行列を横切ることは禁じられていました。)、「下に~ 下に」の掛け声も将軍家と徳川御三家のみで、他の大名行列では「よけろ~、よけろ~」「片寄れ~、片寄れ~」という掛け声だったそうです。しかもこの大名行列が行われるのは、見物人が多い時(城下、宿場、江戸入りなど)のみ・・・宿場と宿場の間は、列はバラバラ、猛ダッシュで移動していたそうです。
だから晴雲寺で集合して、衣服を整える・・・大名行列の準備する場所が必要だったのですね。
バタバタと晴雲寺へ大名行列のメンバーが集まってくる様子を想像すると楽しい
地下道を通り、真っすぐ進むと・・・
1818年(文政元年)建立の「伊勢神宮常夜燈」
そして行き止まり。
江戸時代はこの場所に「町屋橋」が架かり、対岸へ渡ることができ・・・
このような景色でした。
周辺は立場で・・・今も新旧の料理旅館が点在しています。
樹齢約二百数十年の藤棚がある「安永餅屋跡」
立場の名物は安永餅・・・そういえば、昼に偶然食べました!
迂回して員弁(いなべ)川に架かる現代の「町屋橋」を渡ります。
欄干の上の部分は木製です。
町屋橋の歴史が紹介されていました。
遠くには・・・イルミネーションで有名な「なばなの里」や四日市の工場が見えます。
日本橋から385kmまで来ました。
(つづく)
「吉津屋見付跡」
この辺りは吉津屋町。江戸時代には門があり、桑名藩士が詰めていたそうです。
桝形を通り・・・
創業100年以上のおもちゃ屋さん「いもや本店」・・・初代店主が焼き芋を売っていたそうです。
街道沿いには寺や神社が多いです。
十念寺では「桑名七福神まつり」開催中。
「石取祭車蔵」の前を通過し、「日進小学校前交差点」を右折すると・・・
「広瀬鋳物工場跡」
鋳物産業で有名な桑名市ですが、その歴史は、桑名藩主・本多忠勝が鉄砲の製造を始めたのが起源と云われています。鋳物師である広瀬氏を招き、この場所に工場を与えたそうです。
「天武天皇社」
672年壬申(じんしん)の乱の時に、大海人皇子(のちの天武天皇)が桑名に宿泊されたことにちなんで建立された神社です。天武天皇を祀っているのは全国でこちらの神社のみ。
本願寺の境内にある「梅花仏鏡塔」は、松尾芭蕉の門人・各務支考の分骨供養塔です。
鋳物師の守護神「一目連神社」
「火の見櫓と矢田立場跡」
立場は(旅人の休憩のための)茶店が集まっていた場所です。
鋳物が名産…ということで軒先の鋳物の作品が目を引きます。
江戸時代は松並木で、鈴鹿山脈や伊勢湾を見渡せることができた「江場松原跡」
「晴雲寺」
参勤交代で江戸へ向かう大名行列は、ここで衣服を整えて桑名城下へ入ったそうです。
大名行列というと、先導の露払いの「下に~ 下に」という掛け声、奴さん、整然とした大人数の行列、沿道では庶民が土下座で行列をお出迎え・・・このようなイメージを持っていたのですが、実際は少し違ったようです。
土下座が必要だったのは将軍家と徳川御三家のみで、庶民は立ったまま行列を見ていることが多く(行列を横切ることは禁じられていました。)、「下に~ 下に」の掛け声も将軍家と徳川御三家のみで、他の大名行列では「よけろ~、よけろ~」「片寄れ~、片寄れ~」という掛け声だったそうです。しかもこの大名行列が行われるのは、見物人が多い時(城下、宿場、江戸入りなど)のみ・・・宿場と宿場の間は、列はバラバラ、猛ダッシュで移動していたそうです。
だから晴雲寺で集合して、衣服を整える・・・大名行列の準備する場所が必要だったのですね。
バタバタと晴雲寺へ大名行列のメンバーが集まってくる様子を想像すると楽しい
地下道を通り、真っすぐ進むと・・・
1818年(文政元年)建立の「伊勢神宮常夜燈」
そして行き止まり。
江戸時代はこの場所に「町屋橋」が架かり、対岸へ渡ることができ・・・
このような景色でした。
周辺は立場で・・・今も新旧の料理旅館が点在しています。
樹齢約二百数十年の藤棚がある「安永餅屋跡」
立場の名物は安永餅・・・そういえば、昼に偶然食べました!
迂回して員弁(いなべ)川に架かる現代の「町屋橋」を渡ります。
欄干の上の部分は木製です。
町屋橋の歴史が紹介されていました。
遠くには・・・イルミネーションで有名な「なばなの里」や四日市の工場が見えます。
日本橋から385kmまで来ました。
(つづく)