りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その41-⑥ 富士松駅~

2019-12-29 09:47:00 | 旧東海道散歩
宮宿は、熱田神宮の門前町を整備してできた宿場でした。尾張徳川家の御城下でもあり、熱田神宮の参拝客や桑名宿への船渡を待つ旅人で大変賑わい、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠248軒(!)、人口10342人と東海道でも最大規模を誇る宿場でしたが、1945年(昭和20年)の戦災でほぼ焼失してしまいました。

迂回し横断歩道を渡り・・・


旧東海道を進むと・・・旅人の安全を見守る「ほうろく地蔵」


その向かいには1790年(寛政2年)建立の道標がありました。


江戸時代はこのような感じ。

niko赤い丸で囲まれているのが、東海道と美濃路の追分に建てられていたこの道標です。「ほうろく地蔵」の場所には、知恵の神様である源太夫社(上知我痲神社)がありました。現在は熱田神宮の境内に移動しています。

歩道橋を渡っていると・・・良い香りが!


名物ひつまぶしの「あつた蓬莱軒 本店」でした。

nikoお店の駐車場は、かつて本陣があった場所です。一度だけこの本店でひつまぶしをいただきましたが絶品でした!

「宝勝院」


そして・・・「七里の渡し跡」に到着!


江戸時代はこのような雰囲気でした。

歌川広重「東海道五十三次(隷書東海道) 宮」


歌川広重「東海道五拾三次(狂歌入東海道) 宮」


歌川広重「五十三次名所図会・宮 熱田の駅 七里の渡口」


宮宿と桑名宿の間には、木曽川、長良川、揖斐川(いびがわ)があり、これらの川を越えなければなりませんでした。河口で川幅が広く、橋を架けることも困難であったため、海路(七里の渡し)で行き来をしていたのです。
七里の渡しの距離は満潮時は七里(27㎞)で、干潮時は10里(39㎞)で、所用時間は4~6時間程でした。
悪天候のために渡航できない時や船旅を好まない人は、宮宿から陸路で佐屋宿へ歩き、川舟で木曽川を三里下って(結局、船に乗ることにはなりますねhi)桑名宿へ・・・という「姫街道」を利用しました。

鐘楼、常夜燈、桟橋が復元され、趣があります。

鐘楼


常夜燈には灯りが・・・


桟橋


日本橋からてくてく歩いて、やっとここまで来ましたmeromero2
「待ってろ~桑名宿!!」と心の中で叫びました。

ship ship ship ship ship ship ship ship

旧東海道散歩はここで終わりません。熱田神宮へ向かいます。

七里の渡し跡に面した熱田荘は、1896年(明治29年)築の料亭「魚半」跡です。


再び「あつた蓬莱軒 本店」の前を通ると、何と2時間30分待ち!


熱田神宮南交差点の歩道橋を渡ると・・・


「あつた蓬莱軒 神宮店」がありました。

winkこちらは1時間待ち。

創建113年(景行天皇43年)の「熱田神宮」へ。


歌川広重「東海道五十三次之内 宮 熱田神事」

niko熱田神宮の祭り、駈馬(かけうま)の様子が描かれています。かがり火の中、神が降臨したとされる二頭の馬(俄馬)を駆けさせ、その年の豊作を占ったと云われています。祭りに参加している人々は揃いの有松絞りを着ていますね。

参道を歩いていると、突然ニワトリにお出迎えされ・・・ビックリ!bikkuri


樹齢千年の楠の木。




ご祭神である熱田大神は、三種の神器の一つ、草薙神剣をご神体とする天照大神とされています。


参拝後は商店街を通り・・・


「JR熱田駅」に到着!


今回は、今までで最も歩きました!
31,608歩の散歩でしたrun


(2018.09.16)


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旧東海道散歩 その41-⑤ 富士松駅~

2019-12-27 07:40:00 | 旧東海道散歩
旧東海道を歩いていて気になった、お店の入口のオレンジ色の警告灯・・・この辺りでは導入しているお店が多い印象です。

wink気になったということは、アピール効果があるということですね。

かつてこの付近は遠浅の海が入り込んでいて「年魚市潟(あゆちがた)」と呼ばれいました。この「あゆち」が「愛知」の語源と云われています。

「呼続小学校」

niko小学校の校章も「呼」の周りに波が描かれていました。

「鎌倉街道」を通過し・・・


「熊野三社」


「山崎の長坂」の標石と


「山崎城址 安泰寺」の標石

niko安泰寺は、かつて佐久間信盛(織田信長の家臣)の居城「山崎城」があった場所です。

標石が充実しているので歩きやすいですrun

「法泉寺」を通過すると・・・


古い道標「北あつた 南びつぎ」


山崎川に架かる「山崎橋」を渡り・・・


松田橋交差点の歩道橋を越えると・・・突然都会の景色に。


国道1号線・・・日本橋から357.1km。


側道を進み、JR東海道本線の踏切を通過し・・・


新堀川に架かる「熱田橋」を渡ります。


「右知多郡新道」の道標


名鉄常滑線の高架下を通過。


こちらの「東海道」の道標に導かれて歩いています。


日本橋から89番めの「伝場町一里塚跡」


「裁断橋(さいだんばし)跡」

niko江戸時代は精進川に架かる橋で、宮宿の東側入口でした。

1590年(天正18年)豊臣秀吉の小田原攻めで亡くなった18歳の息子の菩提を弔うために母親が架けた橋です。「思いが断ちがたい」ので「裁断橋」・・・いつの世も子供を思う親の気持ちは変わらないのですね。

かつては裁断橋を渡ると左側に「姥堂(うばどう)」がありました。

「尾張名所図会より」

niko宮宿から東側を見ています。

本尊の姥像は高さが八尺(約2.4m)もあり,江戸時代は「奈良の大仏を婿にとる」と言われました。1945年(昭和20年)の戦災で焼失しましたが、1993年(平成5年)復元されたそうです。
「姥堂」の碑の右奥には「都々逸(どどいつ)節発祥地」の碑もありました。


1800年(寛政12年)宮宿の茶屋にいたお亀という女中が自己流にアレンジした「ドドイツ・ドイドイ」という独特の節回しの唄・・・これが都々逸の始まりと云われています。

(つづく)


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旧東海道散歩 その41-④ 富士松駅~

2019-12-25 07:30:00 | 旧東海道散歩
「鳴海宿本陣跡」


「喰い呑みや問屋場」

wink実際の鳴海宿の問屋場は、もう少し東側にあったようです。

作町交差点を右折すると・・・

winkおそらくこの辺りも「桝形」と思われます。

1792年(寛政4年)建てられた「丹下町常夜燈」

nikoここまでが鳴海宿・・・西側入口です。

出た~exclamation2コノハけいぶ」の押しボタン式信号機。


旧東海道を直進し、県道59号線を横断すると・・・


天白川に架かる「天白橋」


笠寺観音から知多へと向かう知多郡道の「道標」


近くにあった「東海道分間延絵図」の石碑を見ながら当時の様子を想像します。


見えてきました・・・


日本橋から88番めの「有松一里塚」

niko名古屋市内で唯一残る一里塚(東側のみ)です。

旧東海道の途中、名古屋城の自動販売機を発見!

nikoいつの間にか名古屋市内に入ったことを実感します。

「天林山笠覆寺(りゅうふくじ)」・・・通称「笠寺観音」




「玉照堂」


ある日、荒廃した寺を訪れた鳴海長者の下女は雨ざらしの観音さまを見つけ、自分の笠を観音様に被せてあげました。その優しさが縁で、京の貴族、藤原兼平公の妻となり、玉照姫(たまてるひめ)となりました。この伝説から「笠寺観音」と呼ばれるようになり、縁結びのお寺として賑わっているそうです。

笠寺観音商店街の皆さまの似顔絵看板。

meromero2ほっこりしますね。

名鉄名古屋本線の踏切を通過すると・・・


「是れより北よびつき」の道標

nikoよびつき??・・・と不思議に思いましたが、「呼続(よびつき)」という地名でした。かつてこの辺りは遠浅の海が入り込み、お互いに名前を呼びあいながら浜を渡ったことに由来します。

「冨部神社 塩付街道」の道標

niko江戸時代初期、笠寺台地では塩の生産が盛んでした。塩はこの辺りから信州の塩尻まで馬に乗せられて送られ、塩付街道と呼ばれました。

冨部神社入口には「東海道400年の記念碑」がありました。


(つづく)

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旧東海道散歩 その41-③ 富士松駅~

2019-12-22 07:31:00 | 旧東海道散歩
名古屋第二環状自動車道の高架下を通り、手越川に架かる「鎌研(かまとぎ)橋」を渡ります。


「名残りの松」と「神明社」


1806年(文化3年)に建てられた「平部町常夜燈」

nikoこの辺りが鳴海宿の東側入口です。

歌川広重「東海道五十三次之内 鳴海 名物有松絞」

niko鳴海宿は本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠68軒があり、有松絞りや鳴海絞りの産地として有名でした。店先にも木綿に絞り染めをした浴衣の生地が吊るされていますね。

江戸時代、絞り染めの生産は有松地域で行われていましたが、鳴海宿で販売されていたため、江戸では「鳴海絞り」と呼ばれていたそうです。

真っすぐな道を進みます。


「金剛寺」


扇川に架かる「中島橋」を渡り・・・


1396年(応永3年)創建したと伝わる「瑞泉寺」


「桝形」を通過すると「鳴海駅」


1582年(天正10年)創建の「誓願寺」

niko境内には日本最古といわれる芭蕉供養塔がありました。松尾芭蕉が鳴海宿に訪れると本陣の当主をはじめ、鳴海の俳人のほとんどが蕉門に入ったそうです。

「鳴海交番」・・・あっ!あの看板に描かれているのはbikkuri

旧東海道散歩中に気になっていた、あの可愛い押しボタン式信号機と同じキャラクターです!調べてみると、愛知県警察のゆるきゃら「コノハけいぶ」でしたkirakira 何と7人家族です。

復元された「高札場」


「天神社」の石段を上がっていくと・・・




境内には「鳴海城跡」の石碑がありました。

niko桶狭間の戦いで、この城に配された今川方の岡部元信は、義元が討たれた後も最後まで立てこもって奮戦したと云われます。その後は城主を変え、1590年(天正18年)廃城となりました。

(つづく)
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旧東海道散歩 その41-② 富士松駅~

2019-12-19 07:23:00 | 旧東海道散歩
左側の脇道を進みます。




手越川に架かる「松野根橋」


橋のたもとには松木淡淡の句碑がありました。

niko「ありまつや 家の中なる ふぢのは那」

「有松町並み保存地区」に入ります。


「有松」は池鯉鮒宿と鳴海宿の「間の宿」で、木綿に絞り染めをした浴衣の生地「有松絞(ありまつしぼり)」が名物でした。

「寿限無茶屋」で昼食。手打ちうどんが美味しかったです。

wink座布団はもちろん「有松絞」

「有松山車会館」に立ち寄りました。


有松には「布袋車(ほていしゃ)」「唐子車(からこしゃ)」「神功皇后車(じんぐうこうごうしゃ)」と3輌の山車があり、10月のお祭りで曳かれるそうです。

展示されていたのは「布袋車」

niko建造された年代は不明ですが、1891年(明治24年)玉屋町から譲り受けたそうです。

ビデオでお祭りの様子が紹介されていましたが、この山車の上のからくり人形が「寿」の文字を書きますbikkuri お見事!


実際にからくり人形を動かす体験もできました。


雰囲気のある街並みが続きます。

meromero2マンホールも有松絞の柄でした。

「絞り会館」にも立ち寄りました。


有松絞の歴史や作品が紹介されいます。


こちらの襖も有松絞でできています。


絞実演も開催されていました。


「どうぞ近くで見て下さい」と優しい笑顔のお二人に誘われ、椅子に座って見せて頂きました。
実演を見ながらお話しをうかがうと・・・荒川叶江さん(写真右)は伝統工芸士として瑞宝単光章も受章した絞り職人のレジェンドだったのですkirakiraすごい!
小学2年生の頃から絞りを始め、この道80年以上とのこと。
瑞宝単光章を受章した時の写真や可愛いお孫さんの写真も見せて頂きました。

smile「ず~っとこの仕事しているでしょう。私もね、大学へ行って勉強したかったと思うことがあるわ」
niko「でも大学へ行くだけでは瑞宝単光章を頂けないですから・・・このお仕事を続けていらっしゃるのはすごいことです。ご家族も誇りに思っていらっしゃると思います」
smile「そうかしら・・・フフフ」

と、とても可愛らしい方。
お話しをしている間も、手は動き続けています。

「固く締められないようになったら、この仕事は終わりね」
とおっしゃていましたが、今でも誰よりも手が早いそうで、まだまだ現役ですね!いつまでもお元気でお過ごしくださいmeromero2

お土産にハンカチを買いました。

wink「東海道中膝栗毛」では弥次さん喜多さんもてぬぐいを購入したそうです。

服部家住宅の蔵と絞問屋「井桁屋」


「竹田家住宅」

niko有松絞は、1608年(慶長13年)に絞り開祖竹田庄九郎によって誕生しました。

「小塚家住宅」


当時を偲ぶ町並みが続きます。


「東海道五十三次二代目松」


梅屋鶴壽の歌碑

niko「あり松の 柳しぼりの見世にこそ しはしの人と 立ちとまりけれ」

「祇園寺」


日本橋から87番めの「有松一里塚」

niko2012年(平成24年)に復元されました。

(つづく)
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