合流した府道143号線を進みます。
東海道本線ガード下を通り、
「陵ヶ岡 みどりの径」
😀 京阪京津線(京津三条 – 御陵間)の地下化後の廃線跡が遊歩道になっています。
「地蔵祠」
左側の脇道に入ります。
住宅街の中の細い道を進みます。
かつては車石が敷き詰められていた道です。
京へ向かう最後の坂「日ノ岡峠 」
日ノ岡峠には日本橋から124里の「日ノ岡一里塚」がありましたが、一里塚があった正確な場所はわからなくなってしまったそうです。
振り返ると坂の下に山科の街が見えました。
「右 明見道」の道標がある脇道を左に入り・・・
階段を下りると・・・「亀の水不動尊」
😀 亀の口から水が流れ落ちてします。
江戸時代、この場所には木食(もくじき)僧・正禅(養阿上人)が建てた梅香庵(木食寺)がありました。庵は旅人や人足たちの休息所も兼ねていたそうです。
旧東海道へ戻り、さらに坂道を上ると・・・「大乗寺 」
「旧東海道」道標と燈籠
日ノ岡峠は下り道となり・・・
府道143号線に合流しました。
😀 振り返って見た写真です。右側の細い道を歩いて来ました。
再び上り坂・・・道路沿いには「車石広場」
車石と米俵を乗せた荷車が再現されていました。
😃 ここでひと休み。
この辺りは粟田口峠 ・・・「粟田口刑場」があった場所です。
上り坂から・・・
😊 道路標識にいよいよ「三条大橋」が登場。
下り坂になりました。
「蹴上(けあげ)浄水場」
😀 琵琶湖から京都へ水を運ぶ「琵琶湖疏水」・・・1912年(明治45年)4月蹴上浄水場で日本初の「急速ろ過」方式が採用 され、水道水の供給が始まりました。
三条大橋へ向かって坂道を下って行きます。
(つづく)