りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その48-② 草津駅~

2022-11-28 07:19:12 | 旧東海道散歩
JR南草津駅を出発。

「矢倉南交差点」を渡ると・・・

少しわかりにくいのですが、電信柱の案内に従って旧東海道を進みます。

上北公園の前に「一里塚」の大きな看板がありました。

日本橋から119里「野路一里塚跡」の碑。

旧東海道は公園の中を抜け・・・

「ののみち保育園」の前を右に進みます。


「教善寺」

山門の手前には「草津歴史街道」の説明版。

「南草津病院」

街道沿いに「平清宗胴塚」と云われる石塔の写真と説明版がありました。個人宅の敷地内にあるようです。

😳 「胴塚」とは亡くなった人々の胴体を集めて埋葬し祀った塚のことです。

平清宗は平清盛の孫です。壇ノ浦の合戦で父の宗盛とともに入水しましたが、父子は海から引き上げられ源義経の捕虜となります。父子ともに都を引き回された後、鎌倉へ護送されました。源頼朝と対面後、再び京に護送 される途中、父、宗盛は近江国篠原宿(滋賀県野洲市)で斬首され、同日、 この場所で清宗は斬首されたと云われています。(その後、首は京の六条河原にさらされたました。)
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でもこの場面が描かれ、小泉孝太郎さんが「宗盛」を好演されていました😊 



「浄泉寺」

「観光案内板」

旧東海道今昔の写真も紹介されていました。


「新宮神社」の鳥居


「願林寺」

「野路在郷軍人用地跡」

😀 「在郷軍人」とは、一般の国民がいざという時には戦場に赴かなければならない人々のことをいいます。1910年(明治43年)陸軍によって各地に組織され、その後海軍も合流。1946年(昭和21年)に解散しました。

「子守り地蔵」

😭 参勤交代の行列に土下座していた母子。目の前に飛んで来たカブトムシを取ろうとした4歳の子が武士に触れて二人とも切り殺されてしまいました。哀れに思った地元の人達が祀ったそうです。

県道43号線を横切り直進します。

「野路萩の玉川」

平安時代~鎌倉時代、「野路」は東海道の宿場として栄えた場所で、源平戦いの時代は宿陣となり、戦いの場所ともなりました。
萩の香りに囲まれ、十禅寺川の伏流水で、玉のような清水が湧き出るこの場所は、「六玉川(むたまがわ)」の一つとして有名となり、多くの詩歌が詠まれました。

「あすもこん 野路の玉川萩こえて 色なる浪に 月やどりけり」源俊頼 (平安時代の貴族、小倉百人一首の歌人)
😀 「六玉川」は、歌枕として古くから和歌に詠まれた全国六か所の玉川の総称です。野路(近江国)の他は、調布(武蔵国)、井手(山城国)、高野(紀伊国)、三島(摂津国)、野田(陸奥国)の玉川です。

野路宿が草津宿に移ると、次第に「野路の玉川」は忘れられ、泉も枯れてしまいましたが、地元住民が現在の公園に復元したそうです。
😊 現在は泉が湧いています。

(つづく)
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旧東海道散歩 その48-① 草津駅~

2022-11-25 07:44:39 | 日記
前日、閉館後で立ち寄れなかった草津宿本陣へ向かいます。
 
「JR草津駅」で朝食。
 
😅 朝からカレーうどん・・・食べ過ぎ。
 
草津駅東口には草津宿本陣をモチーフにした門があります。
 
駅前の「うばがもちや エルティ店」でうばがもちを購入しました。
 
旧東海道と中山道の追分に戻って来ました。
草津市民センター前のオブジェ 鈴木典明作「時の旅人」
😀 2 大街道が合流するこの場所で、多くの人々が往来し、すれ違ったことでしょう。そしてそれは、過去、現在、未来へと交差して行く…自分自身がその一人であると想うと嬉しくなります。素敵な作品です。
 
向かいには「草津宿本陣」
😀 「田中七左衛門本陣」は、現存する本陣では最大級で、国の史跡に指定されています。
 
かつて草津宿には「田中七左衛門家」と「田中九蔵家」・・・2軒の本陣がありました。2軒とも「田中」本陣なので、宿泊先の間違いもあったそうです。
 
表門を入ると・・・
 
左に番所、正面に「式台付きの玄関」があります。
本陣の主人は裃(かみしも)を着用し、この場所で大名を出迎えました。
右側は住居、左側は宿泊者のための座敷になっています。
 
「玄関広間」には、関札(本陣に宿泊する大名や公家の名前を書いて掲げる木の札)が並んでいました。草津宿本陣には木製関札約460枚、紙製関札約2900 枚の関札が残されているそうです。
 
赤穂浪士討ち入りの原因となる「殿中、刃傷事件」の1年前、1699年(元禄12年)7月4日に浅野内匠頭一行21人が、7 月13日には吉良上野介 一行7 人が宿泊しているそうです。この時は、まさか3年後に討ち入りする側、される側になるとは思いもしなかったことでしょう。
また1865年(慶応元年)5月には、新選組(土方歳三 、斎藤一、藤堂平助 、伊東甲子太郎 と28人の隊士)も宿泊しています。
 
中央には長い「畳廊下」があり、両側には広間が続きます。
 
「田中七左衛門本陣」は、建坪468坪、部屋数30室以上、268畳を有していました。
 
部屋の最も奥には、主客が利用する「上段の間」
😀 徳川慶喜、明治天皇、松平容保(会津藩主)が宿泊し、皇女和宮も徳川家茂に降嫁する途中、昼食のために立ち寄りました。
 
皇女和宮の「昼御膳」
 
上段の間の東対面にある「向上段の間」
😀 上段に次いで格式の高い部屋です。
 
主客専用の「湯殿」
😀 湯舟には屋外で沸かした湯を運び入れました。湯舟が部屋の中央にあるのは、入浴中に外から攻撃されないようにするためです。
 
「庭園」
 
広い「台所土間」
 
隣接した「楽座館」では田中家拝領の品々が展示されていました。
 
かつて天井川(旧草津川)だった「草津川跡地公園」を散策
 
 
 
 
天井川から旧東海道を見下ろせます。
😳 天井川がかなり高い位置にあったことを改めて実感しました。
 
 
散策していると・・・素敵なお店を発見
 
滋賀野菜を使ったイタリアンのお店「SUNDAY'S BAKE RIVER GARDEN」でランチにしましょう。
 
テラス席が心地よく、長居をしてしまいました。
 
この後は、電車でJR草津駅から南草津駅へ移動し、旧東海道散歩を再開します。

(つづく)
 

 
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朝霧ジャンボリーオートキャンプ場

2022-11-21 17:35:31 | キャンプ
少し前になりますが・・・初訪問の朝霧ジャンボリーオートキャンプ場へ
 
標高800m、広さ370㎡、フリーサイトがメインのキャンプ場です。炊事場の水道からは富士山の天然水が飲み放題。
😀 可愛いリンドウが咲いていました。
 
今回はNサイトを選びました。
 
曇り空が残念ですが、富士山と・・・
 
反対側には毛無山が一望できるサイトです。
 
昼食はペグを利用した簡易コンロでBBQ
 
😋 朝、食べるはずだったパンも温めなおしました。
 
日が暮れたのでテント内へ。
 
 
まさかの雨が降ってきました
 
 
雨が止むと、どこからか音楽が・・・
近くのキャンプ場でハーレーダビッドソンのファンミーティング「VIBES MEETING」が開催されていたようです。
寺田恵子さんの歌声やRCサクセションの曲を聞きながら、ホットワインと日本酒(ぬる燗)を楽しみました。

早寝をして・・・翌朝は日の出前に起床
😬 寝ている間は薪ストーブを消すので、テント内はほぼ外気温と同じになります。
 
夜明け前の富士山のシルエット
 
 
少しずつ明るくなり・・・
 
 
毛無山
 
 
日の出
 
 
 
朝ごはん。
 
今回も上手に炊けました😊 
 
 
朝食後は外でのんびり過ごしました。
 
たくさんのパラグライダーが飛んでいました。
 
 
 


 朝霧ジャンボリーオートキャンプ場・・・噂通りの素敵なキャン場でした😊 
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皆既月食と惑星食 2022

2022-11-15 21:35:50 | 日記
我が家の小さなコンパクトカメラで撮影した皆既月食
 
 
 
 
 
 
 
さすがに天王星は見えませんでしたが・・・美しい天体ショーを堪能しました
 
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秋キャンプで紅葉狩り その②

2022-11-10 20:13:33 | 日記
翌朝・・・
 
朝食はコロダッチポットで炊いた・・・
 
ごはんと明太子。
 炊き立てのごはんは格別でした。
 
朝の散歩へ
 
霜が降りていました。
 
明け方、気温は4.3℃まで下がりました。
霜が模様みたいです。
 
那須山が見える場所へ移動して・・・
 
コーヒータイム。
 
 
今回は初めて「竹林」サイトを利用しましたが、駐車場や炊事場が近く、過ごしやすかったです😊 
 
帰路・・・「ホテルサンバレー那須」の立ち寄り湯を利用しました。
😀 「硫黄泉」「弱アルカリ泉」「マグネシウム泉」と様々な温泉がありました。人も少なくてのんびりできました。

併設されたレストランでランチ。
 
 
 
 
美味しかったです😊 
 
塩原温泉と鬼怒川温泉を結ぶ「もみじライン」へ
 
 
 

 
 
 




 
 
 
紅葉狩りの季節、さらに交通事故の影響もあり、行きも帰りも大渋滞でしたが・・・紅葉を満喫できました。
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