りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

思い立ったら中山道 その②-6

2024-06-25 07:40:00 | 旧中山道
境川(吉川)に架かる「土橋」・・・守山宿の西側入口です。

😀 瀬田の唐橋の古材を使って架け替えられた、公儀の御普請橋でした。

歌川広重 「木曽海道六拾九次之内 守山」

😀 山桜が咲く春の守山宿を境川(吉川)の土橋から描いています。奥に見える山は近江富士(三上山)です。茶店の縁台に旅人が座り、その右隣の茶店では下女が客を待っています。天秤担いだ行商人、馬に乗った武士と馬を引く馬子、長持を担いだ2人の人足が中山道を東へ歩いています。

守山宿は本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠30軒、人口1700人の宿場で、「京立ち、守山泊まり」と言われ、京から江戸へ中山道を旅する人の最初の宿泊地として賑わいました。

「旧旅篭堅田屋」
😀 現在は、お食事処です。



「守山寺 東門院」
😀 比叡山延暦寺の(東方)鬼門を守護するために建立されたお寺です。「延暦寺を守る寺」なので「守山寺」・・・そして守山寺がある宿場なので『守山宿』と名付けられたと云われています。

門前に明治天皇聖蹟の石柱がありました。


「朝鮮通信使」の宿舎にもなったそうです。

😀 朝鮮通信使とは、江戸時代に朝鮮から日本への国書を持って派遣された外交使節です。主に将軍の代替わりを祝うため、計12回派遣されました。

「高札場跡」

1744年(延享元年)建立の道標・・・「右 中山道 幷 美濃路」「左 錦織寺四十五丁 こ乃者満ミち」 

😀 我々は、右の中山道を進みますが、左の道は琵琶湖(木浜港)へ行くことができます。

「中山道街道文化交流館」に立ち寄りました。

ライトアップされた竹細工や・・・


浮世絵(木曾街道六十九次)が展示されていました。


1階では地元の方々がお茶飲み話しをされていて、我々も仲間に入れていただきました。
日本橋を目指し、中山道を歩く予定であることをお伝えすると、「中山道は山道が多いから、くれぐれも熊に気を付けるように」とアドバイスいただきました。楽しい時間をありがとうございました😊 

「小宮山九右衛門本陣跡」
😀 井戸は、1833年(天保4年)以前から存在したものです。

「天満宮」

町屋「うのの家」


江戸時代末期から明治初期にかけて建てられた造り酒屋「荒長(あらちょう)」は、平成21年頃まで酒造りをしていたそうです。

屋内には、守山宿のジオラマが展示されていて、市民の憩いの場として利用されているそうですが・・・

なんと、元内閣総理大臣 宇野宗佑さんのご実家でした。
😅 総理大臣を輩出した家であることを、もっとアピールしても良い気がしますが・・・いろいろあって在任期間69日で総理を辞任したことが影響しているのか、ご家族が謙虚なのか、小さな展示が、むしろ印象的でした。
(その後、立派な展示室が設けられたようです😊

(つづく)
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