豊橋に一泊・・・朝から晴天です。
名古屋鉄道(名鉄)で「名電赤坂駅」まで戻りました。
また可愛い交通安全グッズを発見!
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右側の女の子は「飛び出し人形」と呼ぶそうです。
愛知県に入ってから交通トラブルを目撃する機会が多くなりました。
交差点で車同士ぶつかりそうになり怒鳴ってる人、駐車場でけんかしている人、狭い道をスピードを出して通り過ぎる車、突然歩道に車が侵入してくるなど・・・気になって調べてみると愛知県は交通事故死16年連続全国ワースト
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でした。理由はわかりませんが、この後も車に気を付けて歩くことにしましょう。
旧東海道を進むと・・・「曲げ物製造卸問屋」
「浄泉寺」
お寺の前には北大路 魯山人の名言
「三度炊く 飯さえ強し柔らかし 思うまんまに ならぬ世の中」
境内には圧巻の「石造百観音」と・・・
「ソテツ」
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広重が描いたあのソテツが、旅籠から移植され今も残っているのです!
歌川広重「東海道五十三次之内 赤坂 旅舎招婦(りょしゃしょうふ)ノ図」
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絵の中央に先程のソテツが描かれています。煙管を手に横になる客、湯上りの客、階段から降りてくる客、膳を運ぶ旅籠の女性・・・そして奥の部屋では遊女たちが身支度中です。旅籠から賑やかな声が聞こえてくるようですね。
「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」と俗謡で詠われるほど、御油宿と赤坂宿は飯盛り女を抱える旅籠で栄えたそうです。
広重の浮世絵はマンホールのデザインにも使用されていました。
旧東海道に戻ると工事中の家…
「旅籠大橋屋」が保存整備工事中でした。
1649年(慶安2年)創業の大橋屋は、東海道で営業を続けていた最後の旅籠でしたが2015年3月に閉店されたそうです。
2015年3月といえば・・・我々は旧東海道散歩で横浜付近を歩いていました。一度宿泊したかったです。
聖徳太子が太子堂を建立したことが創建の起源の「正法寺」
無料休憩所「よらまいかん」
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館内では子供たちが対戦ゲームで盛り上がっていまいた。
休憩所の前には「赤坂町道路元標」もありました。
隣接する「豊川市音羽生涯学習会館」へ立ち寄りました。
スタッフの方へ「赤坂宿場資料室は見学できますか?」とお尋ねすると、資料室の鍵を開けて下さいました。利用する人は少ないようですが・・・資料館の内容は充実していて、ゆっくり見学させていただきました。ありがとうございました。
「赤坂陣屋(代官屋敷)跡」
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三河の天領(江戸幕府直轄の領地)支配の中心で、年貢の徴収や訴訟などを取り扱ったところです。
「杉森八幡宮」
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ここから左に入ると紅葉の名所「宮地山」のハイキングコースです。
境内には樹齢千年の「夫婦楠」と・・・
「赤坂の舞台」
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明治5年回り舞台を備えた芝居舞台が建てられました。平成12年復元され、年1回歌舞伎公演が行われるそうです。
赤坂宿の西側入口「西見附跡」
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ここまでが赤坂宿です。
(つづく)