今回は、JR保土ヶ谷駅から出発です。
その前に駅前にある「武夷菜館」でランチ。
マーボーナス定食と20食限定の魯肉飯(ルーローハン)。魯肉飯は台湾の人気メニューらしいです。
どちらも安くて美味しくて・・・さらにサービスで食後のコーヒー付きでした。
改めて出発。
少し進むと「問屋場」「高札場」「助郷会所」跡があります。
💁自動販売機も旧東海道バージョン。
「問屋場」は、飛脚やかご、馬などを用意して旅人の便宜を図った場所です。
歌川広重「東海道五拾三次之内 庄野 人馬宿継之図」
💁このような感じだったと思います。
問屋場で馬や人が足りなくなると、助郷村に指定された各村で馬や人を準備しなければなりませんでした。各村の代表は毎日この「助郷会所」に出勤しなくてはならず、各村の大きな負担になっていたそうです。
かつて、この場所は金沢・浦賀への出入り口でもあったので<金沢横町>と呼ばれていました。今でも4基の道標が残っています。
右から・・・
<円海山之道><かなさわかまくら道><杉田道><富岡山芋大明神社の道>とあります。円海山、杉田、富岡というのは、当時の信仰や観光地のことです。
我々も旧東海道散歩で時々道に迷うことがあり、<旧東海道>という現代版道標(?)に何度も助けられました。
現代に比べ、圧倒的に情報の少なかった江戸時代。道標は、まさに大切な<みちしるべ>だったに違いありません。
JR東海道線の踏切を渡り国道1号線に合流すると・・・
「脇本陣(大金子屋)跡」「軽部本陣跡」「脇本陣(藤屋)跡」「脇本陣(水屋)跡」が続きます。
大名が宿泊する場所が本陣。本陣の予備的施設が脇本陣です。いわゆる<高級旅館>ですが、各藩からの支払いは心付けのみ。経営は苦しかったそうです。
「旅籠屋(本金子屋)跡」は 一般の人の旅館。全盛期には、69軒の旅籠が保土ヶ谷宿にありました。
「茶屋本陣跡」は本陣に匹敵する格式をもつ大名の休息場所です。
一英斎芳艶 「東海道程ヶ谷」
💁本陣の手前の門から大名行列が出発するところ。軒下には「保土ヶ谷宿」と書かれた提灯がみられます。
かつては、このマンションや住宅の場所が山で、その谷間に宿場があったと想像できます。
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<今井川>にはこいのぼりがたくさん!
本物の鯉も生息。セキレイや亀、そして川沿いには野生のリスも発見。
近くには、旧東海道をイメージした松並木と一里塚。日本橋から8番目の一里塚・・・やっと32kmです。
この辺りに保土ヶ谷宿の京方見附もありました。
仙人橋を渡って「外川神社」へ。
小さな神社ですが、近くで氏子さん(町内会の方?)が楽しそうに飲み会をしているのが微笑ましかったです。
しばらく歩くと国道1号線から分岐して右側へ・・・進まなければいけなかったのですが、
間違えました。分岐点には道標もあったのに地図を見誤ってしまいました。(このように道標に助けてもらえない場合も・・・時々あります。)
途中から旧東海道へ戻り、「樹源寺」。
さらに進むと・・・いよいよ「権太坂」。
江戸から西へ向かう旅人が初めて経験するきつい登り坂です。そういえば、今までの道中、ほぼ平坦な道を歩いて来たことに気が付きました。
登り始め・・・なかなかの急坂です。
「権太坂」の名前の由来は2つあるそうです。①旅人がこの坂の名前を訪ねたところ、近所に住む耳の遠いお年寄りが自分の名前を聞かれたと思い「権太でございます」と答えたという説。②本当は「権左坂」だったという説。
① の場合は、この旅人がものすごい<おしゃべりな人>で色々な場所で吹聴した・・・と想像できます。
② の場合は、普通にありそうですが面白くない。
・・・ということで、①の説を信じることにしました。
ちなみにお正月の箱根駅伝で選手が走る「権太坂」は、近くの国道1号線の坂道につけた俗称で、こちらの旧東海道の「権太坂」が本物です。
暁斎周麿 「東海道名所之内 権太坂」
💁背後の山が権太坂。険しい坂道の雰囲気がよく描かれています。
しばらく歩くとなだらかな上り坂が続きます。(暑い日だったので大変ではありましたが)きつい登り坂・・・と言うほどの坂でもありません。
実は、江戸時代、このあたりに民家はほとんどありませんでしたが、昭和30年頃より宅地開発が進み、傾斜が緩くなったそうです。今は整備された住宅街が広がっています。
権太坂を登りきり、丁字路(ちなみに丁字路って、本来は(英語の)T字路・・・ではないってご存知ですか?)を右折すると、「境木立場跡」。
この場所は、かつて見晴らしの良い高台でした。武蔵国と相模国の国境で、その印として木柱が建てられていたので<境木>と呼ばれたという説があります。
東に江戸湾、西に富士山という最高の眺望だったので、旅人が必ず休息した場所です。(今は住宅が立ち並び、何も見えません。)
茶屋で出す<牡丹餅>が名物で、<旧牡丹餅屋>のお屋敷も残っています。
歌川広重(三代) 「東海名所改正道中記 境木の立場」
歌川広重 「東海道五拾三次 保土ヶ谷」
💁境木立場あたりを描いています。
近くには「境木地蔵尊」もあります。
可愛いお地蔵様がお出迎え。
参拝するご近所の方々とすれ違いました。今でも地元に密着した場所の様です。
この後は下り坂になります。
(つづく)