りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

美しい夕暮れ

2015-06-30 18:37:00 | ノンジャンル
梅雨空が続く毎日ですが…
先日、二子玉川からの帰り道に美しい夕暮れに出会いました。



振り返ると二子玉川の街並み。こちらも絵になります。



少しずつ夕焼けの色が強くなり…







あっとい間に夜。
高速道路もライトアップ。



美しい夕暮れに誘われて、ほろ酔い気分で歩き始めたのは良いのですが…自宅までは遠すぎました。
結局タクシーのお世話になりました。
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旧東海道散歩その7-② 保土ヶ谷~

2015-06-24 17:50:00 | 旧東海道散歩
境木立場の横断歩道を渡り、「焼餅坂」を下ります。


立祥(二代広重) 【東海道五拾三駅 六 戸塚 焼餅坂】


当時は、坂の途中にある茶店から焼餅を焼いている良い香りがしていたそうです。
とても細い坂道なので、本当に旧東海道を歩いているのか不安になります。
お仲間(おそらく我々と同じように旧東海道を歩いていると思われる人々)も、別の道を行ったり、戻ってきたり・・・で、さらに不安になりますが・・・

少し進むと「品濃一里塚」があり、一安心。日本橋から9番目の一里塚です。


ここで<一里塚>というものを今まで勘違いしていたことに気が付きました。
今まで見た一里塚には石碑が建ててあり、あの石碑が<一里塚>だと思っていたのです。


しかし、本来は道の両側に土盛りした小さな山<塚>を作り、塚の上にエノキや松を植えて目印にしていた様です。

💁このような感じ

現在も道の両側に塚が残っているのは貴重で、神奈川県内ではこの「品濃一里塚」だけとのこと。片方の塚は公園になっていました。

さらに進むと「品濃坂」。


江戸時代の川柳で<佐野の馬 戸塚の坂で二度転び>と詠まれた坂の1つです。
(まだ戸塚宿に入っていませんが)戸塚宿あたりは坂が多い・・・という象徴的な川柳です。


💁1860年頃の品濃坂

「陸橋品濃橋」を渡って、JR東戸塚駅前へ。


駅周辺は巨大なニュータウンとなっています。ここで一旦休憩です。

🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾🐾

旧東海道へ戻り、品濃坂を下って行くと川上川沿いに出ます。しばらく、この川沿いを進みます。




その後は、国道1号線沿いを進みます。

「益田家モチノキ」 県の天然記念物です。


消防署ではレスキューの訓練中。すごい!!しばらく見学。

💁人形ではありません! 右下は、お正月の箱根駅伝を描いたマンホールの蓋。

実は、20年程前にこの戸塚に1年程住んでいました。
この国道1号線沿いのファミリーレストラン<フォルクス>には足繁く通いました・・・
などと思い出に浸っていたら、「戸塚宿江戸方見附跡」を素通りしてしましました!
まさにこの<フォルクス>前が、「戸塚宿江戸方見附跡」だったのです。
・・・ということで、いつの間にか戸塚宿へ入っていました。


戸塚一里塚。日本橋から10番めの一里塚です。


柏尾川にかかる「吉田大橋」。

💁大名行列の長柄の槍をイメージした電燈。欄干には浮世絵も描かれています。

歌川広重「東海道五十三次之内 戸塚宿」

💁夕方の吉田大橋が描かれています。手前には旅籠兼茶屋の「こめや」。馬から飛び降りる旅人が躍動的ですが…

後の判では馬に乗る姿になっています。

いや、現実的には、こうして馬を降りますよね。夕方に馬に乗って旅立つわけはありませんから、クレーマーみたいな人に指摘されて、現実に即して描きなおしたのでしょうか?残念ながら迫力に欠けてしまったように感じますが…。

大正時代の吉田大橋。


JR戸塚駅に到着!


駅周辺は開発が進み、20年前に悩まされた<開かずの踏切>も<駅周辺の大渋滞>もなくなっていました。時が経ったことを実感します。

18063歩の散歩でした。

(2015.4.26)
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旧東海道散歩その7-① 保土ヶ谷~

2015-06-22 22:01:00 | 旧東海道散歩
今回は、JR保土ヶ谷駅から出発です。


その前に駅前にある「武夷菜館」でランチ。


マーボーナス定食と20食限定の魯肉飯(ルーローハン)。魯肉飯は台湾の人気メニューらしいです。
どちらも安くて美味しくて・・・さらにサービスで食後のコーヒー付きでした。

改めて出発。
少し進むと「問屋場」「高札場」「助郷会所」跡があります。

💁自動販売機も旧東海道バージョン。

「問屋場」は、飛脚やかご、馬などを用意して旅人の便宜を図った場所です。

歌川広重「東海道五拾三次之内 庄野 人馬宿継之図」

💁このような感じだったと思います。

問屋場で馬や人が足りなくなると、助郷村に指定された各村で馬や人を準備しなければなりませんでした。各村の代表は毎日この「助郷会所」に出勤しなくてはならず、各村の大きな負担になっていたそうです。

かつて、この場所は金沢・浦賀への出入り口でもあったので<金沢横町>と呼ばれていました。今でも4基の道標が残っています。

右から・・・
<円海山之道><かなさわかまくら道><杉田道><富岡山芋大明神社の道>とあります。円海山、杉田、富岡というのは、当時の信仰や観光地のことです。

我々も旧東海道散歩で時々道に迷うことがあり、<旧東海道>という現代版道標(?)に何度も助けられました。


現代に比べ、圧倒的に情報の少なかった江戸時代。道標は、まさに大切な<みちしるべ>だったに違いありません。

JR東海道線の踏切を渡り国道1号線に合流すると・・・


「脇本陣(大金子屋)跡」「軽部本陣跡」「脇本陣(藤屋)跡」「脇本陣(水屋)跡」が続きます。
大名が宿泊する場所が本陣。本陣の予備的施設が脇本陣です。いわゆる<高級旅館>ですが、各藩からの支払いは心付けのみ。経営は苦しかったそうです。
「旅籠屋(本金子屋)跡」は 一般の人の旅館。全盛期には、69軒の旅籠が保土ヶ谷宿にありました。
「茶屋本陣跡」は本陣に匹敵する格式をもつ大名の休息場所です。

一英斎芳艶 「東海道程ヶ谷」

💁本陣の手前の門から大名行列が出発するところ。軒下には「保土ヶ谷宿」と書かれた提灯がみられます。

かつては、このマンションや住宅の場所が山で、その谷間に宿場があったと想像できます。


<今井川>にはこいのぼりがたくさん!
本物の鯉も生息。セキレイや亀、そして川沿いには野生のリスも発見。


近くには、旧東海道をイメージした松並木と一里塚。日本橋から8番目の一里塚・・・やっと32kmです。
この辺りに保土ヶ谷宿の京方見附もありました。


仙人橋を渡って「外川神社」へ。


小さな神社ですが、近くで氏子さん(町内会の方?)が楽しそうに飲み会をしているのが微笑ましかったです。

しばらく歩くと国道1号線から分岐して右側へ・・・進まなければいけなかったのですが、
間違えました。分岐点には道標もあったのに地図を見誤ってしまいました。(このように道標に助けてもらえない場合も・・・時々あります。)


途中から旧東海道へ戻り、「樹源寺」。

さらに進むと・・・いよいよ「権太坂」。


江戸から西へ向かう旅人が初めて経験するきつい登り坂です。そういえば、今までの道中、ほぼ平坦な道を歩いて来たことに気が付きました。
登り始め・・・なかなかの急坂です。
「権太坂」の名前の由来は2つあるそうです。①旅人がこの坂の名前を訪ねたところ、近所に住む耳の遠いお年寄りが自分の名前を聞かれたと思い「権太でございます」と答えたという説。②本当は「権左坂」だったという説。
① の場合は、この旅人がものすごい<おしゃべりな人>で色々な場所で吹聴した・・・と想像できます。
② の場合は、普通にありそうですが面白くない。
・・・ということで、①の説を信じることにしました。
ちなみにお正月の箱根駅伝で選手が走る「権太坂」は、近くの国道1号線の坂道につけた俗称で、こちらの旧東海道の「権太坂」が本物です。

暁斎周麿 「東海道名所之内 権太坂」

💁背後の山が権太坂。険しい坂道の雰囲気がよく描かれています。

しばらく歩くとなだらかな上り坂が続きます。(暑い日だったので大変ではありましたが)きつい登り坂・・・と言うほどの坂でもありません。
実は、江戸時代、このあたりに民家はほとんどありませんでしたが、昭和30年頃より宅地開発が進み、傾斜が緩くなったそうです。今は整備された住宅街が広がっています。

権太坂を登りきり、丁字路(ちなみに丁字路って、本来は(英語の)T字路・・・ではないってご存知ですか?)を右折すると、「境木立場跡」。


この場所は、かつて見晴らしの良い高台でした。武蔵国と相模国の国境で、その印として木柱が建てられていたので<境木>と呼ばれたという説があります。
東に江戸湾、西に富士山という最高の眺望だったので、旅人が必ず休息した場所です。(今は住宅が立ち並び、何も見えません。)
茶屋で出す<牡丹餅>が名物で、<旧牡丹餅屋>のお屋敷も残っています。

歌川広重(三代) 「東海名所改正道中記 境木の立場」


歌川広重 「東海道五拾三次 保土ヶ谷」

💁境木立場あたりを描いています。

近くには「境木地蔵尊」もあります。


可愛いお地蔵様がお出迎え。
参拝するご近所の方々とすれ違いました。今でも地元に密着した場所の様です。

この後は下り坂になります。
(つづく)

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アンデイ&ウィリアムス ボタニックガーデン

2015-06-15 21:35:00 | お出かけ
今年はチューリップの季節に訪れることができなかった「アンデイ&ウィリアムス ボタニックガーデン」ですが、初めてバラの季節に訪れることができました。

ホワイトガーデン


ダヴコートガーデン


ウッドランド&レイク


ローズガーデン


バラ以外の花もたくさん。


心からここに住みたい!と思えるようなガーデンです。

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この時期、あえて箱根へ

2015-06-12 21:14:00 | お出かけ
活発な火山活動が続く箱根山の大涌谷。
この影響で箱根の観光客が激減しているらしい・・・。

いつも利用させて頂いているメタボパパさんのホテル。箱根や熱海といった都心からアクセスの良いホテルは人気が高く、週末の予約はあきらめていたのですが・・・
この風評被害の影響で、3日前に奇跡的に箱根のホテルを予約することができました。
ということで、この時期、あえて箱根へ。

渋滞もなく箱根へ到着。噂通り、交通量は少ないです。
まずは「箱根ラリック美術館」へ。



「ラリック美術館」は、宝飾とガラス工芸の作家<ルネ・ラリック>の作品を集めた美術館です。オーナーの方がパリ蚤の市でラリックのカーマスコットと出会い、その後収集された1500点の作品。この中から230点ほどが展示されています。これだけの規模の素敵な美術館が個人所有というのは驚きです。
開館10周年企画ということで、「ミュシャとラリック」という企画展も開催されていました。アール・ヌーヴォーの寵児と称された二人。1860年に生まれ、大女優サラ・ベルナールに才能を見出され、1900年のパリ博で活躍するなど共通点が多いそうですが、近くで仕事をしていたにも関わらず、交流はあまりなかったそうです。
正直、ラリックの作品だけだと途中で飽きてしまいそうでしたが、ミュシャの作品が充実していたので最後まで楽しく過ごすことができました。(12/13まで開催されています。)

館内の庭はフランスの田舎町のような雰囲気。


ランチは美術館に併設されているカフェレストラン「LYS」。


ランチ時は混雑する人気店と聞いていましたが、待たされることもなく入店。ここでも観光客が少ないことを実感。
ランチセットは、量は少なめですが美味しかったです。

今回は利用しませんでしたが、本物のオリエント急行も併設。


この場所へオリエント急行を移動させるだけでも大変だったと思います。オーナー、相当すごい方ですね。
豪華サロン・カーの車内でティータイムを過ごすことができるそうです。


そしていつもスルーしてきた「彫刻の森美術館」を初訪問。


L.A.のゲッティセンターの雰囲気。

ピカソ館


アジアで最もピカソの作品が充実しているそうです。
初心者向けのガイドツアーがあり、解説がとてもわかりやすく、おもしろかったです。

ネットの森


子供限定ですが遊ぶことができます。

温泉の足湯も気持ち良かったです。


足湯の目の前のこのシンプルな建物。


内部へ入ると圧巻のステンドグラスに包まれます。



写真は撮れませんでしたが、本館ギャラリーでの企画展「松本秋則 オトノフウケイ」もとても素敵でした。(8/30まで開催されています。)


ホテルに到着。

写真では伝わりにくいかもしれませんが、大きな池を取り囲むようにホテルが建っています。とても贅沢な造り。池の周りを散策したら、足湯もありました。温泉も空いていて、のんびり楽しめました。人気の理由がわかります。

夕食は和洋折衷。


美しく、ボリュームもあって大満足。

翌日は遅い朝食後、11時にチェックアウト。

箱根神社に立ち寄りました。


あっとい間に自宅に到着。
今回は観光客の少ない箱根を満喫できました。…とはいえ、早く活気のある箱根に戻って欲しいですね。
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