上り坂を進みます。
坂の途中に可愛いカップルの道祖神。
旧東海道散歩では「道祖神」にもよく出会います。村の守り神として信仰されている神様で、松尾芭蕉の「奥の細道」でも「道祖神のまねきにあひて 取もの手につかず」と、芭蕉を旅に誘う神様として登場します。道祖神には様々な形がありますが、このカップルの道祖神は「双体道祖神」。関東地方の山間部に見られることが多いそうです。
県道から右側の脇道へ入って、下り坂を進みます。ここが猿沢石畳への入口です。
初めての石畳を歩きます。
思いの外、歩きにくい
芦ノ湖まで残り6か所の石畳を通過しなくてはなりません・・・先が思いやられます。
少しでも下りたくないところですが、どんどん下って・・・猿沢に架かる「猿橋」。
猿橋の上には箱根湯本ホテルの渡り廊下が通っています。
ここからは上り坂。
再び県道と合流し、葛原坂を通過。
カーブが続く、歩道はない、車は多い・・・といった危険な道を歩くのは本当にストレスでした。この県道・・・どうにかならないでしょうか?
さらに進むと「須雲川」。
高校の行事で、何度か訪れた懐かしい場所です。
須雲橋の手前を左側へ入る「須雲川自然探勝歩道」へ。
道沿いに「女転がし坂の碑」。馬に乗った女性がこの坂で落馬し、亡くなったことから名付けられたそうです。実はこの道は旧東海道ではありません。旧東海道にあった「女転がし坂」は関東大震災で崩落してしまい、今は無いそうです。
危険な県道ではなく、この「須雲川自然探勝歩道」を進みます。
見事な杉並木が続きます。春に通らなくて良かった・・・。
「東京電力三枚橋発電所」
木の橋を渡って対岸へ。
雨で増水するとこの橋を渡ることができなくなるそうで、雨の日は注意が必要ですね。
坂道を上ると県道に出ますが、県道を横断(横断歩道はないので、車に気を付けてダッシュ!)すると旧東海道「割り石坂」の入口があります。ここで旧東海道に戻ることになります。
「割り石坂」は、曽我兄弟の弟・五郎が冨士の裾野に仇討ちに向かう途中、刀の切れ味を試すためにここで大きな石を真っ二つに切った・・・と云われる場所です。
う~む。五郎・・・仇討ちを前にテンション上がってしまったか?結果的に仇討ちが成功したから良いものの、試切りで刀がダメになってしまうリスクを考えなかったのでしょうか?
まあ、伝説ですから深く考えることもないのですが・・・今まで旧東海道散歩で触れてきた曽我兄弟に関わる伝説は、突っ込みどころ満載で面白い。
「これより江戸時代の石畳」
今までの石畳との違いは・・・よくわかりません。
歌川広重 「狂歌入東海道 箱根」
今の石畳の雰囲気そのもの。
割り石坂の出口付近に「接待茶屋」の看板。
接待茶屋は箱根神社の長官・如実が、旅人や馬に湯茶や飼葉を施した場所です。如実さん、めちゃくちゃ良い人です。如実さんの資金が底をつき(そこまでしなくても!!)一時接待茶屋は閉鎖しますが、その後、江戸の大店(呉服商)加瀬屋与兵衛の協力で再開したそうです。
加瀬屋さんも粋な方ですね。調べてみると加瀬屋さん、中山道にも接待茶屋を設けていました。
旧東海道散歩をしていると、休憩できる場所の有り難さを実感します。全く予想していなかった「おもてなし」を受けたりすると、何とも言えない嬉しさと感謝の気持ちでいっぱいになります。江戸時代、この接待茶屋で接待を受けた多くの旅人が如実さんや与兵衛さんに感謝したことでしょう。まさに日本が誇る「お・も・て・な・し」文化の象徴とも言えるお二人です。
(まだ、つづく)
坂の途中に可愛いカップルの道祖神。
旧東海道散歩では「道祖神」にもよく出会います。村の守り神として信仰されている神様で、松尾芭蕉の「奥の細道」でも「道祖神のまねきにあひて 取もの手につかず」と、芭蕉を旅に誘う神様として登場します。道祖神には様々な形がありますが、このカップルの道祖神は「双体道祖神」。関東地方の山間部に見られることが多いそうです。
県道から右側の脇道へ入って、下り坂を進みます。ここが猿沢石畳への入口です。
初めての石畳を歩きます。
思いの外、歩きにくい
芦ノ湖まで残り6か所の石畳を通過しなくてはなりません・・・先が思いやられます。
少しでも下りたくないところですが、どんどん下って・・・猿沢に架かる「猿橋」。
猿橋の上には箱根湯本ホテルの渡り廊下が通っています。
ここからは上り坂。
再び県道と合流し、葛原坂を通過。
カーブが続く、歩道はない、車は多い・・・といった危険な道を歩くのは本当にストレスでした。この県道・・・どうにかならないでしょうか?
さらに進むと「須雲川」。
高校の行事で、何度か訪れた懐かしい場所です。
須雲橋の手前を左側へ入る「須雲川自然探勝歩道」へ。
道沿いに「女転がし坂の碑」。馬に乗った女性がこの坂で落馬し、亡くなったことから名付けられたそうです。実はこの道は旧東海道ではありません。旧東海道にあった「女転がし坂」は関東大震災で崩落してしまい、今は無いそうです。
危険な県道ではなく、この「須雲川自然探勝歩道」を進みます。
見事な杉並木が続きます。春に通らなくて良かった・・・。
「東京電力三枚橋発電所」
木の橋を渡って対岸へ。
雨で増水するとこの橋を渡ることができなくなるそうで、雨の日は注意が必要ですね。
坂道を上ると県道に出ますが、県道を横断(横断歩道はないので、車に気を付けてダッシュ!)すると旧東海道「割り石坂」の入口があります。ここで旧東海道に戻ることになります。
「割り石坂」は、曽我兄弟の弟・五郎が冨士の裾野に仇討ちに向かう途中、刀の切れ味を試すためにここで大きな石を真っ二つに切った・・・と云われる場所です。
う~む。五郎・・・仇討ちを前にテンション上がってしまったか?結果的に仇討ちが成功したから良いものの、試切りで刀がダメになってしまうリスクを考えなかったのでしょうか?
まあ、伝説ですから深く考えることもないのですが・・・今まで旧東海道散歩で触れてきた曽我兄弟に関わる伝説は、突っ込みどころ満載で面白い。
「これより江戸時代の石畳」
今までの石畳との違いは・・・よくわかりません。
歌川広重 「狂歌入東海道 箱根」
今の石畳の雰囲気そのもの。
割り石坂の出口付近に「接待茶屋」の看板。
接待茶屋は箱根神社の長官・如実が、旅人や馬に湯茶や飼葉を施した場所です。如実さん、めちゃくちゃ良い人です。如実さんの資金が底をつき(そこまでしなくても!!)一時接待茶屋は閉鎖しますが、その後、江戸の大店(呉服商)加瀬屋与兵衛の協力で再開したそうです。
加瀬屋さんも粋な方ですね。調べてみると加瀬屋さん、中山道にも接待茶屋を設けていました。
旧東海道散歩をしていると、休憩できる場所の有り難さを実感します。全く予想していなかった「おもてなし」を受けたりすると、何とも言えない嬉しさと感謝の気持ちでいっぱいになります。江戸時代、この接待茶屋で接待を受けた多くの旅人が如実さんや与兵衛さんに感謝したことでしょう。まさに日本が誇る「お・も・て・な・し」文化の象徴とも言えるお二人です。
(まだ、つづく)