お腹も満たされて再出発です
「鉤(かぎ)の手道」
宿場の出入り口付近で、道が直角に曲がっている部分で「桝形」とも言います。敵の侵入を防ぐための防衛手段でしたが、江戸時代には大名行列のすれ違いを避けるなどの目的にも使われました。
突き当りを左折すると・・・日本橋から116里の「石部一里塚跡」
石部西交差点を横断すると「西の見附跡」
😀 石部宿の西側入口・・・ここまでが石部宿です。
前方に近江富士(三上山)が見えます。
「西縄手」
この辺りには松並木の一本道がありました。石部宿の西側にあるので「西縄手」・・・西からの参勤交代の大名行列はこの辺りで隊列を整え、宿内に入りました。(当時の大名行列の様子はこちらのブログをご参照ください。)
国道1号線に合流しました。
「五軒茶屋道と古道」の説明版
ここで旧東海道は2つの道(上道と下道)に分かれます。
もともと旧東海道は野洲川沿い(下道)でしたが、たびたび洪水の被害に遭っていました。1682年(天和2年)の大洪水で旧東海道は河原となったため、翌年山の中を通るルート(上道)が開設されました。下道と比べ上道は約2倍の距離(2km)となったため、1685年(元禄2年)石部宿から五軒の茶屋が移転することとなりました。しかしその後、上道は距離が長いという理由で再び下道がが整備され、現在の東海道となっています。
我々は「上道」を進むことにしました。山の中のルート、さらに距離も長くなりますが・・・頑張ります
左折し、宮川に架かる「五軒茶屋橋」を渡ります。
自動車部品メーカー「(株)ゴーシュー」を右に見ながら坂道を上っていきます。
奥に見えるのは「金山跡」
「金山」とは言っても金ではなく、銅が採掘されていました。江戸時代後期には石炭が掘られ「灰山」と呼ばれるようになりました。
この金山は頭の堅い、融通の利かない人という意味の「石部金吉(いしべきんきち)」の由来になったと云われています。また、石部宿が飯盛女を置かない、堅い宿場であったことを揶揄(やゆ)した意味もあったようです。
久しぶりに聞いた言葉ですが、今「お前は石部金吉か!」と言っても伝わる人は少ないと思います。「石部金吉って誰ですか?」と真面目な顔で返されてしまいそうですね😅
この辺りが五軒茶屋跡です。
名神高速道路の高架下を通り・・・
坂道を下ると・・・
国道1号線(下道)と合流しました。
あれ?あまり進んでいない気がします。
この時、ずっと道を間違えてしまったのではないかと心配していたのですが、帰宅後改めて旧東海道を確認すると正しいルートでホッとしました
ここからは縄手(一本道)が続きます。
踏切に不法投棄を注意する看板がありました。
😅 右下の写真の赤い旗にも「⛩ ごみを捨てないで!」という注意が・・・お陰で道にはゴミが全く落ちていません。
(つづく)