りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

晩秋の昭和記念公園

2017-11-28 12:25:00 | お出かけ
お天気が良かったので昭和記念公園へ。car

10時頃に到着すると、いつも大混雑のパークトレインは空席だらけ。niko
「あと3分で発車しま~す!」という案内に誘われ、初乗車することにしました。50分間で広い園内を一周!一人310円の料金は、とってもお得でした。




(ピークは過ぎてしまったようですが)紅葉したイチョウ並木を遠くに見ながらランチ。






巨大なヒマラヤ杉・・・松ぼっくりもやはり巨大でした。


「水鳥の池」の秋








「日本庭園」の秋














「みんなの原っぱ」では、アウトドアのフェスが開催中。ショッピングを楽しみました。


一日中ヘリコプターの音で騒々しかったのが難点ですが、近隣が東京消防庁や自衛隊の駐屯地なので仕方がありませんね。wink

秋の昭和記念公園・・・紅葉を満喫できました。


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旧東海道散歩 その28-⑦ 藤枝宿~

2017-11-21 18:44:00 | 旧東海道散歩
新金谷駅から再び旧東海道へ戻ります。


往還橋(おうかんばし)を渡り・・・


清水橋で突然この景色が目に飛び込んできました。すごいbikkuri


たくさんの鯉のぼりに感激していると、「素敵でしょう?」と女性が声をかけて下さいました。

niko10年以上前から、有志の方が川に数十本のロープを架け,600匹程の鯉のぼりを飾っているそうです。

常夜燈を過ぎると金谷宿の中心地です。坂道を上って行きます。


左塚屋本陣跡


柏屋本陣跡


脇本陣跡・お七里役所跡・定飛脚宿(三度屋)跡

niko江戸時代の飛脚は、現代の郵便や電話のような存在・・・各宿場に飛脚を置き、手紙や荷物をリレーしながら目的地まで届けました。江戸から京まで通常は2週間ほどかかりましたが、飛脚はわずか3~4日で走ったそうです。



江戸より53番目の「金谷一里塚跡」


歩いて来た道です。坂道の商店街を上ってきました。


「JR金谷駅」に到着!


今回はかなり頑張りました。
28,294歩の散歩でした。

今回の散歩の行程です。run


(2017.4.22)
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旧東海道散歩 その28-⑥ 藤枝宿~

2017-11-17 23:44:00 | 旧東海道散歩
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」

我々が「旧東海道散歩」で箱根越え を決行したのは2015年11月のことでした。
今、思い出しても「良く頑張った」と自分を褒めてあげたくなるほどの難所・・・本当に大変でした。hi
当時、箱根以上の難所とされた「大井川」は、川が増水すると川留めが数日続くこともあり、日程の狂いは避けられませんでした。
旅慣れた人々は「川を越してから宿をとれ、川の手前で宿をとるな」が合言葉だったそうです。
肉体的難所は「箱根八里」、精神的難所は「大井川」・・・といったところでしょうか。
一方、江戸から京へのもう一つのルート「中山道」は、難所も多く、冬は降雪地帯も多い難渋する街道でしたが、川留めがないので日程が立て易く、多くの旅人に利用されたそうです。あの新選組も「中山道」を好んで使っていました。生真面目な日本人らしい話しです。

現代の我々はこの立派な「大井川橋」のおかげで、容易く大井川を越えることができます。
橋の全長は1,026m。さすがに徒歩で渡る人は少ないようですね。


歌川広重 「東海道五十三次之内 嶋田 大井川駿岸」

niko大名行列の川越えの様子が描かれています。すべての人が渡り終わるには、かなり時間がかかりそうですね。

歌川広重 「東海道五十三次之内 金谷 大井川遠岸」

niko遠くの山の中腹に描かれている集落は金谷宿です。
やっと大名行列の最後尾の人々も川越えが終わりそうですね。

我々も無事に大井川を越えることができました。wink


金谷大井川緑地沿いを進み、旧東海道に入ると・・・


「水神公園」


江戸時代は金谷宿の東木戸(東側入口)があった場所です。
金谷宿には本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠51軒があり、島田宿同様、大井川の増水で足止めされた旅人で賑わった宿場です。

明治時代以降は、徳川慶喜と共に江戸から静岡へ移住し、職を失った家臣が大茶園を開墾しました。当時は川越制度の廃止で、約1300人の川越え人足が職を失ってしました。
世話役だった仲田源蔵は、29歳という若さで私財を投じて政府へ直訴し、川越え人足救済の懇願活動を続けたそうです。公園には「仲田源蔵翁碑」もありました。

新堀川にかかる「八軒屋橋」


大井川西側の川越人足の番宿はこの辺りにありました。


先程から歩いていて気になっていたのが、時々聞こえてくる「ぽー!」という音。
踏切を渡るときに判明!何と汽笛でした。SLが見えます。bikkuri


「新金谷駅」へ立ち寄ることにしました。




大井川鉄道のSLです。


以前、千頭(せんず)駅を訪れた時に大井川鉄道のSLを見たことがあったのですが、そういえば新金谷駅は大井川鉄道の始発駅でした。


夕方、SLの点検中だったようです。
人も少なくなった駅に鳴り響く汽笛の音、大きなSLが線路を往復する姿は、映画のワンシーンのようでしばらく見入ってしまいました。このような場面に遭遇でき、とてもラッキーでした。

(つづく)



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磁性流体彫刻

2017-11-13 14:35:00 | ノンジャンル
買い物中に出会った「磁性流体彫刻」



磁性流体は、酸化鉄のナノ粒子が溶け込んだコロイド溶液で、磁力でトゲのように変形する性質があるそうです。

コンピュータ制御された磁力によって作品は変化していきます。

「モルフォタワー」




「リボーム」




毎回微妙に変化するので、生物のような動きにも思える不思議な作品でした。




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旧東海道散歩 その28-⑤ 藤枝宿~

2017-11-08 17:29:00 | 旧東海道散歩
島田宿の西側の出入り口には「大井神社」と「高札場」がありました。


「帯まつり」の起源となった「島田の花嫁がお参りに訪れた」のがこちらの神社です。
大井神社は、上流から洪水に乗って訪れる大井川の神様を祀っています。
実は、大井川流域には四十数社の大井神社が存在し、865年(貞観7年)の文献でも大井神社の存在が確認できるそうです。

整備された美しい境内。


参道の石垣は、大井川の川越稼業の人々が、毎日仕事が終わると川から石を一つ選び持ち帰り、築き上げたそうです。


「さあ、無事に仕事も終わったし、大井神社にお参りして帰るか…」などと会話をしていたかもしれませんね。meromero2

江戸時代、神輿のお渡りのために造営された「石の太鼓橋」
両サイドの「平橋」は、大井川の川越稼業の人々が奉納したそうです。


「大善寺」の前を通過。

niko大井川の渡しの始まりと終わりを告げる「時の鐘」がありました。

脇道に入り進むと・・・


突然、この街並み!bikkuri


楽しみにしていた「大井川川越遺跡」でした。
大井川の川越え人足の番宿などがあった場所です。
遺跡・・・ということで、施設内にあると思い込んでいたので、あまりにも自然に街道沿い現れたので驚きました。
でも、とても素敵な雰囲気。ok


夕方で人通りも少なく、江戸時代も大井川の川越の仕事が終わるとこのような感じだったのかな・・・などと想像しながら歩きます。(閉館後で建物の中には入れなかったので、後日再訪することにしました。)


「島田大堤」を進みます。



1604年慶長の大洪水で島田宿は壊滅しました。
その後の治水・灌漑工事で完成したのが「島田大堤」で、島田宿の米の生産高は20倍にも増えたそうです。

大きな石碑の前を通過し・・・


いよいよ大井川を渡ります。


(つづく)






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