りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

夏フェス

2017-07-29 07:15:00 | お散歩
リバーサイドに素敵なメリーゴーランドが登場kirakirakirakira


オリンピック&パラリンピック開催3年前のイベント『夏フェス』が開催されました。


国際交流ブースではマレーシアの太鼓の演奏。


花火も打ち上げられました。


3年後が楽しみですmeromero2
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旧東海道散歩 その27-⑤ 岡部宿~

2017-07-26 07:08:00 | 旧東海道散歩
商店街の歩道には「下本陣跡」「上本陣跡」など・・・絵タイルで説明版があります。

nikoこれは嬉しい。

「問屋場跡」の絵タイル。現在は交番になっています。

江戸時代、荷物は何度も馬や人を変えて輸送されていました。
問屋場は、その人馬の継立(つぎたて)や飛脚の業務を行っていました。

歌川広重 「東海道五十三次之内 藤枝 人馬継立」

niko右側の武士と帳簿を持った役人が、荷物の引継ぎをしています。建物の中に座っているのが問屋役。周りには荷物を運ぶ馬や人足たち。ガヤガヤと活気のある宿場の様子が描かれています。

問屋場を過ぎると、藤枝宿の「西木戸」がありました。

「正定寺」(せいじょうじ)


境内には見事な「本願の松」

田中城主だった土岐丹後守頼稔(ときたんごのかみよりとし)が大阪城代への出世を記念して寄進した松です。

お地蔵さん?

meromero2子供の頃、大切にしていた人形に似ていて可愛いsymbol4

瀬戸川に架かる「勝草橋」

niko江戸時代、瀬戸川には橋が無ありませんでした。水深が浅い川だったので、徒歩で渡っていたそうです。
 
橋を渡ると「常夜燈と志太一里塚跡」

niko江戸より50番目の一里塚です。ちょうど200km歩いたことになります。

明治初期に創設された小学校「為善館」跡地の碑

wink偽善館・・・ではありませんよ!ニンベンが有ると無しでは大違いase2

だいぶ暗くなってきました。「青木」の交差点を左折し・・・


JR藤枝駅に到着!


22,376歩の散歩でした。

今回の散歩の行程です。


(2017.03.18) 

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旧東海道散歩 その27-④ 岡部宿~

2017-07-24 07:37:00 | 旧東海道散歩
藤枝名物「サッカーエース最中」の看板。

静岡県立藤枝東高校は、サッカーの強豪校として有名です。
サッカー日本代表の長谷部誠選手、元代表の中山雅史選手をはじめ多くのサッカー選手を輩出しています。
商店街のいたるところで、長谷部選手のポスターを見かけました。
意外なところ(?)では、俳優の別所哲也さんもOBです。

こちらの交差点が「藤枝宿東木戸跡」(藤枝宿の東側入口)

この辺りに問屋場跡もあったようです。
藤枝宿に入ります。

江戸時代の藤枝宿の様子。


藤枝宿は田中城の城下町で、本陣2軒、旅籠37軒ありました。

「恵比寿大神 大黒天」

niko可愛い七福神が描かれてベンチで休憩。

この辺りはかつて「白子町」と呼ばれていました。

1582年(天正10年)「本能寺の変」の知らせを聞いた徳川家康は、身の危険を感じ伊賀から伊勢へ逃げました。
伊勢の白子(しろこ)という場所で、家康は敵に捕まりそうになりましたが、小川孫三というお百姓さんに助けられました。
家康をかくまった罪で白子にいられなくなっしまった孫三を、家康は藤枝に呼び寄せ、白子町をつくる許可を与えた・・・と云われています。

小川家の子孫「小川眼科医院」の前には「白子由来の碑」

小川家には家康の朱印状が保管されているそうです。

少し寄り道をして「蓮華寺池公園」へ。想像以上に広い公園・・・付近は車で渋滞していました。


公園内にある「藤枝市郷土博物館」で、原始時代から現代に至る藤枝市の歴史を学びました。(館内は撮影禁止でした。)


蓮華寺池の遊歩道を歩いていると、やっと歩き始めた・・・という感じの小さな男の子babyがニコニコしながら、我々の方へ突進してきました。「危ない!転ぶ!」・・・思わずしゃがんで受け止めると、その男の子に「ギュ~」っとハグされてしまいました。男の子のママが駆け寄って来て「すみませーん!」と恐縮されていましたが・・・いえいえ、何だか嬉しかったです。meromero2

公園に隣接する「スターバックス」で休憩。

週末とは思えないほど空いていて、居心地が良かったです。

蓮生寺の「イブキ」。樹齢約700年、樹高6.8m 根回り1.65m


「常夜燈」


ちとせ通りを進みます。

「藤枝だるま」のお店もありました。「8の字」の髭が、藤枝だるまの特徴です。

「若一王子神社」

社叢(しゃそう)には、ヤマモガシ、イチイガシ、カンザブロウノキなど暖地性樹木が自生しています。

大慶寺の「久遠の松」

日蓮上人お手植えの立派な松です。樹齢700年以上、樹高25m、根回り7m。

商店街の各店先には、珍しい人形が飾られていて目を引きます。


「志田天神ひな街道」開催中でした。

nikoこの辺りでは、男の子が産まれると、菅原道真公の「天神雛」を贈る風習「志太天神」があります。5月の節句の時期は茶摘みの農繁期と重なるため、ひな祭りと併せて、4月3日に男女あわせた「ひな祭り」を行うそうです。

(つづく)
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夏の楽しみ

2017-07-20 07:24:00 | ガーデニング
今年の夏は、収穫だけでなく鑑賞も兼ねて…ハンギングでトマト作り。tomato

futaba大葉もたくさん収穫できました。

夜は久しぶりにBBQmeat


今年も夏を楽しみますpeace
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旧東海道散歩 その27-③ 岡部宿~

2017-07-17 07:48:00 | 旧東海道散歩
「炭水化物」+「炭水化物」rarmen・・・重くなったお腹で再スタート。

松並木が続きます。


「これより岡部宿」の石碑。

nikoこの辺りが岡部宿の西木戸(西側入口)でした。

国道一号線(藤枝バイパス)の下を通り、脇道に入ると「従是西巌村領 横内」の傍示杭がありました。

横内村は、江戸時代初期は岡部領でしたが、その後田中藩領となり、1735年(享保20年)からは、美濃国岩村藩領となりました。
駿河国(静岡県)に美濃国(岐阜県)の領土(飛領)があったとは・・・不思議な感じです。

横内村には職人が多く住んでいたそうで、街道沿いの家の前に掲げられている屋号札は、往時の仕事を示しているそうです。


橋の手前にあった「あげんだい」


巨大なな松明(たいまつ)・・・のような形をしています。
「夏祭り川原供養祭、盆の送り火法要あげんだい」では、この「あげんだい」を何本も立て、上部のかごに燃えやすい松葉や麦わらなどを入れて、その中へ松明を投げ入れるそうです。


nikoここまで歩いて来た町並みです。

朝比奈川に架かる「横内橋」

niko江戸時代は、人足による徒歩渡しが行われていたそうです。

「従是東巌村領 横内」の傍示杭。

ここまでが横内村ということですね。

国道1号線「仮宿」交差点の歩道橋を渡り・・・


脇道へ入ると「従是西田中領」の傍示杭

かつての美濃国(岐阜県)から駿河国(静岡県)に入ります。


niko道沿いに「つくし」を発見!子供の頃、苦くて嫌いだったつくしの煮物・・・今や都会では「つくし」は貴重な存在です。

「廣幡尋常小学校跡」


江戸より49番目の「鬼島一里塚跡」

アパートの前に道標があるのですが・・・その道標の前に車が駐車していたのでこのような写真になってしまいました。ギリギリhekomi

葉梨川に架かる「八幡橋」を渡り・・・


土手で休憩しました。

niko春は桜できれいでしょうね。

この場所は、御成街道との追分。「東海(道)」「御成街(道)」と記された小さな道標がありました。


宿場と宿場の間にあるお休み処「鬼島の立場跡」


「須賀神社」

樹齢500年のクスノキ。根廻り15m、樹高23mの巨木です。

道の突き当りにある「カーマホームセンター」で休憩しました。
この辺り一帯は、かつて葉梨川の淵で、その形が馬具の鐙に似ていたことから鐙ヶ淵(あぶみがふち)と呼ばれたそうです。

十辺舎一九「東海道中膝栗毛」の狂歌では
「ここもとは鞍のあぶみが渕なれば 踏んまたがれて通られもせず」
と詠まれています。

現在は土地区画整理中とのことで、、道路や広場も工事中でした。


国道1号線を渡り、住宅街の中を進み、藤枝市街に入ります。


(つづく)
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