私が帰省中に義父母たちが在住モンゴル人一家と知り合った。
義母が「嫁は日本人です」と言ったら
「是非りすさんにお目にかかりたいものです」
とかいう展開になったらしい。
そういったわけで、見知らぬモンゴル人と会うのを期待されて実家生活をしていた。
実家でモンゴルについて少々学んでおいた。
なにしろ、私の脳内のモンゴル情報は「相撲」しかないから、うほぉ~
これは実家付近のさがみはら国際交流ラウンジでの催し物で撮影したものである。
民族衣装を着ている彼女は近くの大学で学んでいる日本人大学生、夏休みにウランバートルに旅行したそうだ。
この服は外套だそうで、あちらでもこれを脱ぐと、普通に西洋風の服装をしているらしい。
Sさん、ごめんよ~。撮影したときはブログ記事にするつもりはなかったのだけど!
O先生によろしく!
こちらに戻ってから早速、彼女と会うことになった。
大きい人、とあらかじめ聞いていたので、ますます相撲のイメージを抱きながら彼女を待つと・・・
現れたのは華やかな美人。3人の女の子のお母さんだ。
この三女は将来角界入り、間違いなし、という顔立ち。エネルギーも有り余っていて、目を離すと哺乳瓶抱えてとっとと脱走。
何度も捕獲に走りながら話し合った私たち~
まだ短い髪を、お母さんは髷のように結うもんだから、ますます将来の角界入りを期待されているようでおかしかった!
さて、このお母さんは一家でこちらに4,5年前に移住しているのだが、それまでの10年間ほど、
毎年のように日本にやってきていたそうだ。彼らはモンゴル音楽の演奏家である。
日本での演奏活動の証拠が、もらったこのCD。
モンゴル語のアルファベット表記と思われるものと一緒に、英語、日本語が印刷されている。
演奏会場で3000円くらいで販売していたのだろうな。
モンゴル音楽はモンゴルの歴史、地理状況を端的にあらわしていると思う。
中国とも日本とも思われる旋律に驚かされる。
実家近所でたまたまビデオ撮影できた津軽三味線の演奏を彼女に見せたらさらっと「あ、おんなじね」って言ったので、びっくりしたぞ。
定期的な海外での演奏活動などしていたくらいなのに、なぜドイツへ移住したのか尋ねてみると・・・
1990年にモンゴル人民革命党の一党独裁体制が廃された後、生活は非常に困難になっているらしい。
彼女にとっては子供の教育が大問題に感じたらしい。
社会主義のころは、学校は無料だったのに、今では非常にお金がかかるのでまともに教育を受けることが難しいのだそう。
子供達にまともな教育を受けさせるための移住と言っていた。
では、なぜドイツへ?仕事で訪れた日本を彼女は大好きなのだそう。日本への可能性はなかったのか?
「つてがなかったもので」
日本への移住は困難であるは容易に想像できる。厳しくなりつつあるとは聴くが、まだ欧米は外国人の移住がしやすいのだろう。
こちらでの生活、言葉の壁などで大変なのはお互い様だろう。
演奏活動や音楽指導で生活をしているとはちょいと想像しがたい。
再び、彼らの本来の能力を発揮してもらえるよう、わたしもここで微力ながら協力することを約束した。
モンゴル音楽演奏家ウルナさんをよろしく!
再び、日本での演奏、可能になるといいなあ。
ウルナさん、日本の食べ物大好きらしいし、日本語も数年前までかなり話すことができたのだそう。
ここでプロモーション用に撮影されたと思われる彼女らの写真を紹介。(なぜか日付入り・・・)
背景はインゴルシュタットの公園みたい。
この衣装はステージ用か、婚礼用か?
ステージといえば、彼女の華やかな雰囲気は舞台での仕事をこなしている人の発する独特なものもあるのだろう。
パラグアイハープの演奏家、敏子さんも同じような雰囲気がある。
これは旦那様と一緒。
彼は何と、弁髪なんだそう。弁髪って、中国だけのものと思っていたが、大陸での歴史を少々読むと、支配したりされたりで、あの辺りは共通する文化をいろいろ持っているらしい。
しかし!両国界隈だったら、それらしき体格と髪型の人々にまぎれて目だたないだろうが、
ここ、ドイツで弁髪は目立つだろうな~
旦那様とお会いしたら、是非、その後姿を撮影して、ブログ記事にしたいものだ。
義母が「嫁は日本人です」と言ったら
「是非りすさんにお目にかかりたいものです」
とかいう展開になったらしい。
そういったわけで、見知らぬモンゴル人と会うのを期待されて実家生活をしていた。
実家でモンゴルについて少々学んでおいた。
なにしろ、私の脳内のモンゴル情報は「相撲」しかないから、うほぉ~
これは実家付近のさがみはら国際交流ラウンジでの催し物で撮影したものである。
民族衣装を着ている彼女は近くの大学で学んでいる日本人大学生、夏休みにウランバートルに旅行したそうだ。
この服は外套だそうで、あちらでもこれを脱ぐと、普通に西洋風の服装をしているらしい。
Sさん、ごめんよ~。撮影したときはブログ記事にするつもりはなかったのだけど!
O先生によろしく!
こちらに戻ってから早速、彼女と会うことになった。
大きい人、とあらかじめ聞いていたので、ますます相撲のイメージを抱きながら彼女を待つと・・・
現れたのは華やかな美人。3人の女の子のお母さんだ。
この三女は将来角界入り、間違いなし、という顔立ち。エネルギーも有り余っていて、目を離すと哺乳瓶抱えてとっとと脱走。
何度も捕獲に走りながら話し合った私たち~
まだ短い髪を、お母さんは髷のように結うもんだから、ますます将来の角界入りを期待されているようでおかしかった!
さて、このお母さんは一家でこちらに4,5年前に移住しているのだが、それまでの10年間ほど、
毎年のように日本にやってきていたそうだ。彼らはモンゴル音楽の演奏家である。
日本での演奏活動の証拠が、もらったこのCD。
モンゴル語のアルファベット表記と思われるものと一緒に、英語、日本語が印刷されている。
演奏会場で3000円くらいで販売していたのだろうな。
モンゴル音楽はモンゴルの歴史、地理状況を端的にあらわしていると思う。
中国とも日本とも思われる旋律に驚かされる。
実家近所でたまたまビデオ撮影できた津軽三味線の演奏を彼女に見せたらさらっと「あ、おんなじね」って言ったので、びっくりしたぞ。
定期的な海外での演奏活動などしていたくらいなのに、なぜドイツへ移住したのか尋ねてみると・・・
1990年にモンゴル人民革命党の一党独裁体制が廃された後、生活は非常に困難になっているらしい。
彼女にとっては子供の教育が大問題に感じたらしい。
社会主義のころは、学校は無料だったのに、今では非常にお金がかかるのでまともに教育を受けることが難しいのだそう。
子供達にまともな教育を受けさせるための移住と言っていた。
では、なぜドイツへ?仕事で訪れた日本を彼女は大好きなのだそう。日本への可能性はなかったのか?
「つてがなかったもので」
日本への移住は困難であるは容易に想像できる。厳しくなりつつあるとは聴くが、まだ欧米は外国人の移住がしやすいのだろう。
こちらでの生活、言葉の壁などで大変なのはお互い様だろう。
演奏活動や音楽指導で生活をしているとはちょいと想像しがたい。
再び、彼らの本来の能力を発揮してもらえるよう、わたしもここで微力ながら協力することを約束した。
モンゴル音楽演奏家ウルナさんをよろしく!
再び、日本での演奏、可能になるといいなあ。
ウルナさん、日本の食べ物大好きらしいし、日本語も数年前までかなり話すことができたのだそう。
ここでプロモーション用に撮影されたと思われる彼女らの写真を紹介。(なぜか日付入り・・・)
背景はインゴルシュタットの公園みたい。
この衣装はステージ用か、婚礼用か?
ステージといえば、彼女の華やかな雰囲気は舞台での仕事をこなしている人の発する独特なものもあるのだろう。
パラグアイハープの演奏家、敏子さんも同じような雰囲気がある。
これは旦那様と一緒。
彼は何と、弁髪なんだそう。弁髪って、中国だけのものと思っていたが、大陸での歴史を少々読むと、支配したりされたりで、あの辺りは共通する文化をいろいろ持っているらしい。
しかし!両国界隈だったら、それらしき体格と髪型の人々にまぎれて目だたないだろうが、
ここ、ドイツで弁髪は目立つだろうな~
旦那様とお会いしたら、是非、その後姿を撮影して、ブログ記事にしたいものだ。
近所にモンゴルの方がいるなんて、素敵。
演奏家さんだなんて、なお素敵。
モンゴルの声楽の人だったら、テレビで見たことがありあます。オユンナさんとか。
心惹かれる音楽ですよね。アジア人だからかな。
いとこが、少し前、モンゴルのフフホトで仕事をしていました。発展真っ盛りなので、活気があって、とても楽しかったそうですが、政治の転換があったのも、その発展の一因なのでしょうね。一方、生活に不安を抱える人も出ているわけで・・・勉強になりました。
こちらは地面が凍る季節になりました。
実家周辺でも研修などでモンゴルから来ている人がいたり、協力隊でモンゴル派遣が決まっていた人がいたりしたのですが、
私自身、あまり興味がなかったのが悔しいところです。
え?
ご親族にモンゴルでお仕事していた人がいるのですか。
おお~。
いろいろなお話が聴けたことでしょう。
発展真っ盛りの影には外国移住の道を選ぶ人々もいるのですね。
う~む・・・・。
CDの彼女の声、迫力です。
歌声は日本にはない発声のようです。
モンゴル人がいるんですね。
国内事情は厳しいので、のんびり日本からは
考えれ無いことです。
モンゴルの衣装すばらしいですね、
お祝いの衣装でしょうけれど、
とても素敵ですね。
彼女のように子供がまともな教育を受けられないから移住、っていう大変さではありませんよね。
のんびり日本、いいですね~
欧州各国、難民の受け入れ数も桁外れに多い様子です。
この衣装、どんな意味があるのか、次回、尋ねてみますね。