リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

288. 17回目のドイツ旅行(16) アーヘンでこの旅初めての躓きを体験しました。

2023年01月30日 | 旅行

▶今日はアーヘン観光後、ケルン大聖堂も訪ねました。

 


アーヘン大聖堂(教会・修道院⑯)

 

▶アーヘンに23年ぶりに行きました。

 三津夫は長いことアーヘンのズエルモント・ルートヴィッヒ美術館に行くことを楽しみにしていました。その理由を彼のブログ〔532〕後期ゴシック彫刻を歩く⑯に以下のように書いています。

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 私たちにとってどうしてもアーヘンに行きたかったわけがあります。ズエルモント・ルートヴィヒ美術館を訪れたかったのです。
 1994年、国立西洋美術館と愛知県美術館で「聖なるかたち 後期ゴシックの木彫と板絵」展が開催されました。この時、ズエルモント・ルートヴィヒ美術館の木彫や絵が数多く来日したのです。大部な図録が発行され、私も少し前にネット購入したことはこのブログで紹介しました。さらにこの時、「芸術新潮」(1994年7月号)でこの展覧会の特集をしているのですが、解説を書いているのが植田重雄さんです。
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 三津夫はこの芸術新潮を何度も眺めては一度この博物館を訪ねてみたいと思っていたのでした。こうした図録や本を眺めるのは彼の趣味の一つで、私よりずっと多くの作品に目で親しんできています。
 過去の旅行歴を調べてみたら私たちが初めてアーヘンを訪れたのは1999年の8月でした。リーメンシュナイダーの聖マグダレーナを初めて見て「リーメンシュナイダーの追いかけ人になる!」と決めた年です。とても寒かった記憶が残っていたので別の旅行で冬に行ったような気がしていましたが、実際は真夏なのに寒くて長袖の上衣を着ても冷えたのでした。23年ぶりの訪問だったのですね。


◆2022年9月17日(土曜日)10849歩
 
今日はアーヘンでは朝のうち8~9度との予報でしたので念のためセーターも鞄に入れ、レギンスも履いて暖かめのブラウスを着て出かけました。地図で見ただけではなかなか着けないのが私の方向感覚の情けないところ。地元の2~3人のアドヴァイスを受けてようやくズエルモント・ルートヴィッヒ美術館(美術館・博物館⑪)に到着しました。受付には入ることができましたが、開場まであと少しお待ちくださいとのこと。9時過ぎにはアーヘン駅に着いていたので、ここまで40~50分かかってしまったことになります。10時になると同時に一番乗りで入場しました。


朝一番で訪ねたズエルモント・ルートヴィッヒ美術館(美術館・博物館⑪)

 館内では何人もの館員がつかず離れず私たちを見守り、よくお仕事をしていました。クルティウス博物館とは大違いですね。
 三津夫はどんどん自分の好きな彫刻を探して動いていきます。私は興味のあるところはじっくりと、そうでないところはササッと通り過ぎるので、それほど大きくない美術館の中で啓子さんと三津夫にも会ったり離れたりの自由行動です。

 展示の中でも私が一番面白かったのは当時の画家と彫刻家の工房モデルが作られていたことでした。中の道具も見られますので彫刻をする人、絵を描く人にはもっと興味深く見ることができるかもしれません。
 三津夫が一番見たかったと思われる聖バルバラ像は確かにこの館の宝と言えるでしょう。作者は「Hans Sixt の周辺作家」と書かれていました。この美術館の彫刻は、ほとんど作者名が「Unbekannter Künstler」と書かれています。はっきりどこの誰が制作したのかが知られていない(わからない)ものでした。私が知っていた作者による作品はニクラウス・ヴェックマン工房作の「聖ゲオルク」でした。なかなか凜々しい若者の彫刻で、リーメンシュナイダーの優しげで哀しげな聖ゲオルクとは雰囲気が大分違います。シュレースヴィッヒ聖ペトロ大聖堂で購入したカタログにはハンス・ブリュッゲマンの聖ゲオルクが紹介されていましたが、堂々たる迫力で大きな竜をまさに「今やっつけてやるぞ!」と言っているような熱血熟練騎士の姿でした。こちらはコペンハーゲンの国立博物館に所蔵されていると書いてあったので、チャンスがあればデンマークにも足を伸ばしてみたいと思っています。

▶今日の二つ目の目的地はアーヘンの大聖堂(教会・修道院⑯)です。


アーヘン大聖堂(教会・修道院⑯)裏口ドア上部の彫刻


 ズエルモント・ルートヴィッヒ美術館から大聖堂まではそれほど遠くはなく、迷わずに行くことができました。途中で眼鏡屋さんに寄りました。私の眼鏡のネジが2日前から壊れてしまっていたのです。列車情報など眼鏡がないと不便ですので、何とか早めに修理してもらいたいと思っていましたが、昨日はそのゆとりがありませんでした。2019年にもフランクフルトでこの弦を留めるネジが取れてしまい、修理をしてもらうために走り回ったことがあります。今度こそ海外に行く前に一度眼鏡をみてもらっておかないといけないと心に刻みました。

 今日は大聖堂近くの賑やかな通りで眼鏡屋さんがあったらなぁと思いながら歩いていましたら、ありました。「fielmann」という大きな眼鏡屋さんです。中の受付には列ができていました。来店目的に応じて振り分けられるようです。私は直接カウンターに行くように言われました。気難しそうな貫禄ある技師さんの前に並び、前の人が終わるまで待ちました。簡単な修理はここでしてくれるようです。私の番になり、眼鏡を見せるとすぐに頷いて後ろ向きになり、棚にたくさん並んでいるネジから一つ取り出して付け始めました。長く先っぽが出ている状態で「これで大丈夫ですか?」と見せたので大丈夫ですと答えると、難しい顔で「これ、あなたがかけるんですか?」と言います。そうだと頷くと、キュッキュッと眼鏡の全体の向きを少しねじるようにしてから「かけてみてください」と言います。試すと以前よりフィットしているのでした。その後、飛び出しているネジの先っぽを切り落として渡してくれました。調整してくれたんだなと、思わずお辞儀をしてしまいました。「ありがとうございます。おいくらですか?」と尋ねたら「要りませんよ」とジェスチャー、最後ににっこり笑ってくださいました。ホッとして心が温かくなりました。

 眼鏡屋さんの近くにノルト・ゼーがあったので、ここで昼食をとりました。ビール大好きな2人も、さすがにこの時はまだビールを頼みませんでした。

 
大聖堂前のお花屋さん 日本ではあまり見かけない並べ方です。 

 

▶アーヘン大聖堂宝物館で、この旅初めての躓きを体験しました。

 アーヘン大聖堂はドイツの世界遺産登録第一号だそうです。大聖堂の中はきらびやかではありますが、建物はそれほど大きな造りではありません。どんな様子だったのかすっかり忘れてしまっていたので、初めて来たかのように新鮮な気分で見て回りました。
 その後、金や宝石がきらめく宝物を見に、別の建物にある宝物館に入りました。王様の胸像やら王冠やら、宝石や金がたくさん使われてキラキラと輝いた宝飾品です。確かに美しいですし、その細工や技巧は素晴らしいものですが、正直、私は彫刻を見る方が好きです。

 この宝物館を歩いているときに、どこかの階段で左ももにズキッと痛みが走りました。これが腰ならぎっくり腰と言うのでしょうけれど、腿だとギックリ腿とでも言いたくなるような痛みです。しばし動けなくなってしましました。そろそろと動いても一歩一歩が痛むのです。宝物館を出て駅までの帰り道でも段々動きが鈍くなり、この旅に来てから一番辛い時間となりました。左足を引きずりながらアーヘン中央駅までなんとかたどり着きました。まだ旅の第Ⅰ部なのに、この後の旅は大丈夫なのかと悲しい思いで一杯でした。


アーヘン大聖堂(トップ写真から更に回り込んだところです)




大聖堂内も、このようにきらびやかな壁一面の装飾や彫刻、花など
が一杯でした。


▶ケルン大聖堂2回目の見学

 ケルンに戻ってきてから、さらにケルン大聖堂の補充見学に行きましたが、もう私は1人でゆっくりゆっくり歩いて回ることしかできませんでした。そんな中でもロストックのヘルヴィックが教えてくれたケルン大聖堂内にあるという白黒の模様を写しました。ちょうど人が通っていないチャンス。この模様をヘルヴィックはなんと呼んでいたか忘れてしまいましたが、それを集めた本を見せてくれたのです。そしてケルン大聖堂にもあると教えてくれていたので、帰国後にこの写真を送ったら喜んでいました。



ケルン大聖堂の地下に下りる階段 白と黒の模様がくっきり見えます。


「北京亭」の窓から見たケルン大聖堂 ここで最後の乾杯をしました。


 今日はドイツでの啓子さんとの最後の夕食です。またしても北京亭(もしかしたら「北京酒楼」だったかもしれません。正式名称は「
China Restaurant Peking am Dom in Köln」だそうです)にやって来ました。9月4日の朝早くに合流してから今日で14日目。明日は啓子さんがフランクフルトから帰国します。再び2人はビールで、私はジュースで乾杯。
 この日まで啓子さんには共有会計係をしてもらっていました。食事の度に誰がいくら払うか計算するのでは面倒なので供出金から一緒に支払ってもらうのです。毎日面倒な仕事をどうもお疲れさまでした。そして何よりも貴重な運動靴を快く譲っていただき、この後の旅をどんなに助けてくれたことか、どんなに感謝してもしきれません。三津夫は飲み友だちがいるとビールも一層美味しいようです。私があまりお酒に強くないので、こんなに賑やかな夕食はこのあと望めなくなります。三津夫はさぞ寂しいことでしょう。
 毎日朗らかにお喋りをし、食べて、見て回って、賑やかな旅となりました。啓子さん、本当にありがとうございました。

 明日はフランクフルトまで一緒に行き、啓子さんとお別れします。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

 

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