梅様のその日暮らし日記

その日その日感じた事や世間で話題の事について自分なりの感想や考えを書いていきます。

再度言う。「抱っこしろよ!」

2015-05-23 16:20:15 | 日記
   本日も晴天、そこそこの暑さ。私が燃えてくる暑さまでには達していませんが、それでもこの私を屋外にいざなうには十分な気温となりました。そこで、今日もまた朝日を右に見ながら一路北上、越谷レイク・タウンへ。地図もなく太陽の位置を頼りに適当に歩くので、前回とは違った道。時たま不安にもなりますが、無事1時間10分で目的地に到着。少し早目に着いてしまったので、日陰もない公園のベンチで時間を潰します。

   貧乏性な私、左手には中国語のテキストをコピーした紙を入れたクリアー・ファイルを持って来ているので、この間、歩きながらも時間を無駄にせず、80分の間、中国語を無言で唱えながら歩いてきました。帰りも当然同じようにして帰るのです。

   今回見た映画は「メイズ・ランナー」。はっきり言って内容のない映画です。「暗殺教室」の方がずっと内容があります。要は、コンピューター・ゲームの映画化に過ぎません。今回の映画はシリーズ第一作で、ゲームでいえば一面をクリヤーしたというところ。当然、次回作もその次も用意されています。それでも邦画を見るよりは英語力の確認になるので、この映画を選びました。

   鑑賞終了後、しばらく歩いた場所にぽつんとある、取り残されたような天丼の店に入ります。取り残されたというよりは、レイク・タウンの拡大を見越して、まだ住宅が無い場所に先を見込んで開店したというところでしょう。昼時とあって、家族連れや近所の建設現場で働く動労者の姿が目立ち、既に十分繁盛しています。

   この店も完全機械化であっと言う間に天丼が出てくるのかと思ったら、券売機もなく普通に注文、奥で職人が一人でてんぷらを揚げているのが見えます。気のせいか、てんぷらの味に人間味が感じられますが、スピードを取るか人間味を取るか、この二者択一はなかなか難しいものがあります。実際先日入った天丼の店は、すぐに品物が出て来るものの、味は可もなく不可もなく、どことなく人工的な気がしたのです。

   そんなこんなで私がカウンターに肘をついて天丼の到着を待っていると、後から若い夫婦が入店して来ました。赤ちゃん用品を入れた大きなバッグを奥さんの方が方から下げ、夫の方が赤ちゃんを胸から「下げて」います。そうなのです。胸に「抱いて」いるのではなく、胸から「下げて」いるのです。

   若い父親は、赤ちゃんを今流行りの抱っこ紐?で胸にぶら下げ、空いている両手をぶらぶらさせながら歩いて入って来ました。そんな父親の姿は、私の目には、世にもおぞましい手抜きにしか見えませんでした。こいつ、自分が楽をするために抱っこ紐で赤ちゃんを胸にぶら下げているんだ!と思うと、一言説教してやりたくなってきました。

   以前にもこんな夫婦を見たことがありますが、共通して言えるのは、荷物を奥さんの方が持っていること、赤ちゃんを胸から「ぶら下げている」若い父親たちが、全員もやしのような体形であったことです。もやしだから赤ちゃんを自力で抱っこできないのか?自力で抱っこする気力もないのか?自分の腕で赤ちゃんを抱いているあのちょっぴり高揚した幸福感を知らないのか?・・・・・・

   私が思うには、赤ちゃんだって、こんなもやしのような父親の胸から所在無げにぶら下げられ、手足を宙でぶらぶらさせている位なら、ママのおっぱいに張り付いて抱っこされていた方が何ほどか幸せなことでしょう。さっさと交代して、自分がおむつカバンを持て!と言ってやりたくなってきました。きっとこういう父親は、おむつカバンを持つなんてかっこ悪いことはしたくないのでしょうねえ・・・。何しろ赤ちゃんを胸から「ぶら下げている」だけなら、両手はしっかり空いているのですから、おむつカバンをその手で持てば良いのです。あんなもの、大した重さではありません。どうせならいっそ、両方を引き受ければ良いのです。

   こういう私から見れば訳のわからん若者たちを後に、再度家路をたどります。1時間ほど歩いて我が家の近くまで来た時・・・・。昼飯時だというのに一人も客が入っていない韓国料理の店から、子供を抱いた父親が出てきました。明らかにその店の主人と見られるその父親は、客が来ない時間の暇つぶしを兼ねて、我が子を胸に抱いています。胸に抱いているというよりは、調理労働で鍛えた太い腕に赤ちゃんを座らせで抱え上げ、対話するかのように抱いています。赤ちゃんも、頼りがいのある父親に抱かれて、いたくご満悦です。

   私は昔子供を連れて外出する時、ベビーカーも持たず、抱っこ紐もなく、私が一手にこの腕に抱いて一日歩き回っていました。それを大変だとかきついとか感じた事は一度もありません。それどころか、数年もたたないうちに腕の中から地面に下りてしまい、二度とこの幸せな気持ちを与えてくれなくなってしまうであろう我が子たちを思うと、もったいなくてもったいなくて、この腕で抱っこして歩く以外のことは考えもしなかったのです。

   もっとも、当時の私はバーベルやジョギングできっちりと体を鍛えていたので、あのひ弱そうな若い父親とはわけが違うのかもしれません。だったら更に追い打ちをかけるように言いたいと思います。男の体に女の体にはない筋肉というものがついているのは何のためだ?楽しようとばかりしないで、我が子のために鍛えなさい!と。