写真は二日目の午前中に行った(正岡)子規堂脇の光景です。小学生が遠足で正岡子規の碑を見学に来ています。また、夏目漱石が毎日乗ったといわれる「坊ちゃん列車」の実物車両が展示してありました。この型の車両は現在も観光の目玉として松山市内を実際に運行しており、私たちもこの目でその姿を確認することが出来ました。たまたまこの車両とバスが並行して走るタイミングがあり、鉄道ファンがいたら、垂涎の時間となったことでしょう。
話を戻します。金毘羅さんを終えたら一路ホテルへと向かいます。私は金毘羅さんの石段を登った疲れを装って寝たふりを決め込みます。私にも平穏なひと時は必要なのです。眠ってしまえばさすがの68歳氏も話しかけては来ません。3年前に奥さんに先立たれたというこの方、次男の家に同居されていらっしゃるとの事なのですが、日頃あまり話し相手に恵まれないのでしょうか、我が意を得たりとばかり延々話続けるので、あと三日分のスタミナを確保するための寝たふりです。冷たい男とはくれぐれも思い召さるな。
本日の泊りは道後温泉。小説「坊ちゃん」で有名な道後温泉の木造建築を過ぎるとすぐに今日のホテルに到着。前回の四国旅行でも宿泊した場所でした。前回は違う旅行社でしたので、このホテルはもっぱらツアーの団体客を引き受けるホテルのようです。このホテルから道後温泉までは5分もかかりませんが、私は行ったことがありません。観光客でいっぱいで、順番待ちをしなければならないうえ、おちおち入浴してもいられず、体でも洗っていようものなら、さっさと出ろとばかり白い目で見られるのだそうですから。
お楽しみの夕食。前回の四国ツアーでは、私を除くほぼすべての人たちが浴衣で登場、私一人が平服でやって来て場違いな気分を味わったので、今回はしっかり浴衣に着替えて大広間へと向かいました。しかし、どうでしょう前回とのこの違いは。今度は私以外すべての人が平服で、浴衣を着ていたのは私一人ではありませんか。
しかし、平服だろうと浴衣だろうと、68才氏の語りを聞かされることには変わりありません。夕食の傍ら、延々と話は続きます。なぜか彼の知識と私の知識には被る部分が多いのです。話が通じるものですから、彼は気持ちよく語り続けます。謙虚な私は何かを言うにあたっては、「○○は××なんですよね。」と、相手が知っていそうな話で合いの手を入れます。これが百発百中なので、彼の舌はますます滑らかになるという次第です。この晩、私たちの「対話」は少しも途絶えることなく、他の全ての客たちが姿を消すまで続いたのでした。いや、三泊とも、夕食ともなれば、私たちだけになってこれ以上居座ったら仲居さんたちに申し訳ないという時間まで、話しは続きました。
彼の話はどんどん広がって行きます。しまいには天皇ユダヤ論にまで発展していくのですが、私はすかさず「そういえばアラブの方に菊のご紋章がある壁があるそうですね。」などと合いの手を入れることが出来るので、話が弾むことこの上なしなのでした・・・・。