最近しばらくの間、「報道もされない事実」というサイトを愛読していました。主として政治的な問題について扱っており、概ね現政権を支持し社民党・民主党・共産党・左寄りの市民団体等に反対する立場の人たちが集うサイトです。ここは読むだけなら誰でも読むことが出来ますが、意見を書き込もうとすると、サイトの主から承認を受ける必要があります。私も承認申請をして数日後、ようやく書き込みができるようになりました。しかし、先ほど脱退したので以後二度と戻ることが出来なくなったようです。
脱退するきっかけとなったのは、とある新聞への投稿を扱ったやり取りがきっかけでした。その投稿とは、おそらく朝日新聞への投稿ではないかと思われますが、高校教師らしき人が、「学校におけるピアス規制は憲法違反である。」というものでした。この一言を見ただけで、投稿者が構内で実務的には役に立たず、ごちゃごちゃと非現実的な空理空論をこねまわして混乱を招くタイプの人間であろうとは容易に想像がつきますが、こんな投稿をした馬鹿がいる、という趣旨の書き込みがあった訳です。
私も二つの商業高校、4つの普通高校を経て退職した人間なので、ほぼすべてのパターンを経験したと考えています。その経験を踏まえて、ピアス等の指導をやらねば進路指導、特に就職指導において生徒たちが不利になる場合があり、生徒自身のためにやらねばならないケースもあるのだと説明したのですが、みなさんの理解を得ることはできませんでした。全く同じ条件の生徒を面接した場合、ピアスの穴が開いている生徒と、開いていない生徒のどちらを採用するかは、考えるまでもないことです。しかし、世の人々にはそんな簡単なことも理解してはもらえないのだと分かりました。
この件を通じてしみじみと悟ったのは、人間というものは、特に深くそのテーマについて研究しない限り、自分の個人的な経験を通じてしか物事を理解することができないという事実でした。ある考え方が、自己の経験に照らして、100パーセント正しいと信じている人に対しては、他の経験に照らせば100パーセント正しいと思える別の人の考え方を全く受け入れることができないのです。
いくつか例を挙げると、「自分の学校はピアスでも何でも自由だったが、特に問題は無かったし、進学率もそこそこだった。」という根拠の元、ピアス指導など必要ないという主張が続出しました。私が勤務した中では、足立高校がこれに当たります。ピアスどころか、夏の補習に、上は真っ黒いブラジャー、下は黒いパンツルックで登校して来た女子もいました。私が赴任したころは、制服すらありませんでした。ある時職員室に来た女生徒に頼んで髪を染めている生徒を集めてもらったら、5分と絶たないうちに6色集まりました。しかしこれといった指導はありませんでした。そう、生徒たちが良い子たちなら、何でもありなのです。生徒一般の気立てがとても良く、足立高校へ赴任すると、先生たちは誰も転勤したがらないほどのんびりとした校風だったからです。ただし同じ学力でも、真面目に勉強したい生徒は、足立高校ではなく隣の江北高校へ進んでいましたが。
対極にあったのは葛飾商業でした。こちらは学力も乏しく、生活態度もあまりよろしからぬ生徒がかなりいて、日常の雰囲気のまま送り出したら大変なことになることは目に見えていました。面接で好感度を得られるような清楚な格好をさせようものなら、そんな自分が恥ずかしくてたまらないといううろたえようで、私たちもはらはらしどうしでした。
しかし、そんな彼女たちが口をそろえていったのは、面接時にろくな服装指導を受けてこなかった他校の生徒たちを見て、学校の指導が良かったと心から思ったということでした。しかし、私たちがそれこそ力づくで清楚な格好をさせなかったら、間違いなくちょっといかれた地を丸出しで試験に臨んだはずです。かつ、本番で羞恥心を抑えて清楚な格好をさせるためには、日常的にどんな服装が望ましいかを言い続けなければならないのです。その日になっていきなり、は無理な話です。
私が勤務していたころ、高校生求人倍率は8割くらいだったでしょうか。それでも身なりの指導に力を入れていたお陰で、葛飾商業の就職率は、他校より高めだったのです。「憲法違反」」と言われたピアス指導等をしなければ、学力では勝負しきれない生徒たちの就職率はもっと低かったはずです。
服装指導をした学校、無関心な学校、中途半端な学校等、すべてのパターンを経験した私は、これならだれにでも理解できるはずだと自信を持って「報道もされない事実」に投稿し、数度に渡って解説を加えました。しかし、結局誰も最初から他人の解説など聞く耳を持ってはいなかったのです。
私が何回かに分けて一通り解説を終えた後も、「教師は授業だけやってればいいんだ。」とか、「学校はマックやソバ屋と変わらない。勉強という商品を(生徒という客に)出せばそれでいいんだ。」といった、暴論が続きました。しまいには「大体日教組は・・・」と訳のわからないところへ話が持って行かれてしまいます。いかれた服装にピアスという生徒がまかり通る学校は、周辺の住民たちからとことん白い目で見られ、迷惑がられているといった実情すら理解できないようでした。
私が徹底的に説明を尽くしたそのすぐ後に書き込まれたもの・・・
「でもボクの学校は服装ピアス自由でしたけどなんの問題もありませんでしたよ。」
誰も、人の説明なんか気にもとめちゃいないのです。
いろいろな意見を述べる人たちに向かって最後に言いたかったこと、それは、
「あなたの家の近所にパンツ丸見えの短いスカートをはいた女生徒が横行し、その子たちがピアスに厚化粧だったとしたら、決して自由で立派な学校だとは思わず、学校は何をやっているのだと、先生たちに抗議したくなるはずです。」
ということでしたが、そんな書き込みをするのは止めて、思い切りよ良く退会してしまいました。この問題を通じて、このサイトに書き込みをしている皆さんは、結局自分の経験という狭い視野からしか物を見ようとしない方々が大勢を占めていることが分かったからです。このサイトは国際問題も多く扱われており、勉強になる部分もあったのですが、こういう狭い見識の方々がメインであれば、得るところは少ないと感じています。
脱退するきっかけとなったのは、とある新聞への投稿を扱ったやり取りがきっかけでした。その投稿とは、おそらく朝日新聞への投稿ではないかと思われますが、高校教師らしき人が、「学校におけるピアス規制は憲法違反である。」というものでした。この一言を見ただけで、投稿者が構内で実務的には役に立たず、ごちゃごちゃと非現実的な空理空論をこねまわして混乱を招くタイプの人間であろうとは容易に想像がつきますが、こんな投稿をした馬鹿がいる、という趣旨の書き込みがあった訳です。
私も二つの商業高校、4つの普通高校を経て退職した人間なので、ほぼすべてのパターンを経験したと考えています。その経験を踏まえて、ピアス等の指導をやらねば進路指導、特に就職指導において生徒たちが不利になる場合があり、生徒自身のためにやらねばならないケースもあるのだと説明したのですが、みなさんの理解を得ることはできませんでした。全く同じ条件の生徒を面接した場合、ピアスの穴が開いている生徒と、開いていない生徒のどちらを採用するかは、考えるまでもないことです。しかし、世の人々にはそんな簡単なことも理解してはもらえないのだと分かりました。
この件を通じてしみじみと悟ったのは、人間というものは、特に深くそのテーマについて研究しない限り、自分の個人的な経験を通じてしか物事を理解することができないという事実でした。ある考え方が、自己の経験に照らして、100パーセント正しいと信じている人に対しては、他の経験に照らせば100パーセント正しいと思える別の人の考え方を全く受け入れることができないのです。
いくつか例を挙げると、「自分の学校はピアスでも何でも自由だったが、特に問題は無かったし、進学率もそこそこだった。」という根拠の元、ピアス指導など必要ないという主張が続出しました。私が勤務した中では、足立高校がこれに当たります。ピアスどころか、夏の補習に、上は真っ黒いブラジャー、下は黒いパンツルックで登校して来た女子もいました。私が赴任したころは、制服すらありませんでした。ある時職員室に来た女生徒に頼んで髪を染めている生徒を集めてもらったら、5分と絶たないうちに6色集まりました。しかしこれといった指導はありませんでした。そう、生徒たちが良い子たちなら、何でもありなのです。生徒一般の気立てがとても良く、足立高校へ赴任すると、先生たちは誰も転勤したがらないほどのんびりとした校風だったからです。ただし同じ学力でも、真面目に勉強したい生徒は、足立高校ではなく隣の江北高校へ進んでいましたが。
対極にあったのは葛飾商業でした。こちらは学力も乏しく、生活態度もあまりよろしからぬ生徒がかなりいて、日常の雰囲気のまま送り出したら大変なことになることは目に見えていました。面接で好感度を得られるような清楚な格好をさせようものなら、そんな自分が恥ずかしくてたまらないといううろたえようで、私たちもはらはらしどうしでした。
しかし、そんな彼女たちが口をそろえていったのは、面接時にろくな服装指導を受けてこなかった他校の生徒たちを見て、学校の指導が良かったと心から思ったということでした。しかし、私たちがそれこそ力づくで清楚な格好をさせなかったら、間違いなくちょっといかれた地を丸出しで試験に臨んだはずです。かつ、本番で羞恥心を抑えて清楚な格好をさせるためには、日常的にどんな服装が望ましいかを言い続けなければならないのです。その日になっていきなり、は無理な話です。
私が勤務していたころ、高校生求人倍率は8割くらいだったでしょうか。それでも身なりの指導に力を入れていたお陰で、葛飾商業の就職率は、他校より高めだったのです。「憲法違反」」と言われたピアス指導等をしなければ、学力では勝負しきれない生徒たちの就職率はもっと低かったはずです。
服装指導をした学校、無関心な学校、中途半端な学校等、すべてのパターンを経験した私は、これならだれにでも理解できるはずだと自信を持って「報道もされない事実」に投稿し、数度に渡って解説を加えました。しかし、結局誰も最初から他人の解説など聞く耳を持ってはいなかったのです。
私が何回かに分けて一通り解説を終えた後も、「教師は授業だけやってればいいんだ。」とか、「学校はマックやソバ屋と変わらない。勉強という商品を(生徒という客に)出せばそれでいいんだ。」といった、暴論が続きました。しまいには「大体日教組は・・・」と訳のわからないところへ話が持って行かれてしまいます。いかれた服装にピアスという生徒がまかり通る学校は、周辺の住民たちからとことん白い目で見られ、迷惑がられているといった実情すら理解できないようでした。
私が徹底的に説明を尽くしたそのすぐ後に書き込まれたもの・・・
「でもボクの学校は服装ピアス自由でしたけどなんの問題もありませんでしたよ。」
誰も、人の説明なんか気にもとめちゃいないのです。
いろいろな意見を述べる人たちに向かって最後に言いたかったこと、それは、
「あなたの家の近所にパンツ丸見えの短いスカートをはいた女生徒が横行し、その子たちがピアスに厚化粧だったとしたら、決して自由で立派な学校だとは思わず、学校は何をやっているのだと、先生たちに抗議したくなるはずです。」
ということでしたが、そんな書き込みをするのは止めて、思い切りよ良く退会してしまいました。この問題を通じて、このサイトに書き込みをしている皆さんは、結局自分の経験という狭い視野からしか物を見ようとしない方々が大勢を占めていることが分かったからです。このサイトは国際問題も多く扱われており、勉強になる部分もあったのですが、こういう狭い見識の方々がメインであれば、得るところは少ないと感じています。